忠誠の指輪7

01.09.09改


「ところで、夕べ小さなジュリアスの様子はどうだった?」
 オリヴィエは、何気ない調子でさぐりを入れた。
 ランディとマルセルは顔を見合わせたが、ランディは話をはぐらかすことにした。
 明朗活発で裏表がない性格であるため隠し事に向いていないと思われているランディだが、
 複雑な家庭環境で育った彼は、胸に畳んでおくべきことがあることを心得ている。
「そう言えば夕食の席で、小さなジュリアス様にちょっと面白いことを聞かれたんですよ。」
「へえ、何かな?」
「『この時代の風の守護聖と地の守護聖は、どうしてそんなに年がはなれているのか?』
 小さなジュリアス様はそう聞いたんです。
 ジュリアス様はとても不思議そうな顔をしていました。」
 期待はずれの答えが返ってきたオリヴィエは、そう?と聞き流した。
 だが、ルヴァは、この話にかなり興味をひかれたようだった。
「ジュリアスがそんなことを? 確かに、それはなかなか面白いですね。」
「でしょう!」
 マルセルもせき込んで言った。
「考えてみたら、ジュリアス様とクラヴィス様、オスカー様とリュミエール様は
 ほとんど同じ年なのに、風の守護聖のランディと地の守護聖のルヴァ様が
 年が離れているなんて不思議ですよね。」
 話をはぐらかされたオリヴィエは肩をすくめ、退屈そうに
 よく手入れされた自分の爪を眺めた。
「そんなの、『対の守護聖』じゃないからに決まってるじゃない。」
「じゃあ、どうして風の守護聖と地の守護聖は『対』の守護聖じゃないんですか?」
 マルセルは即座に聞き返した。
 オリヴィエは、お子さまはこれだから、とうんざりした表情を浮かべ、
 軽く手を振って話題を自分が興味のある方向へ誘導しようとした。
「そんなことよりさ、あんたたちと一緒にクラヴィスも光の守護聖の私邸に
 行ったんでしょ★」
 そっちの話を聞かせてほしいんだけどねェ、と水を向けるオリヴィエ。
 だが、ルヴァはオリヴィエの話にまったく関心を払わず
「ふむ。確かにそうですね。『対』の関係ですか。」
 と何度もうなずく。オリヴィエのどこかうらみがましい視線を
 まったく意に介さず、ルヴァは先を続けた。
 

「現在、聖地で明らかに対だと認識されているジュリアスとクラヴィス、
 オスカーとリュミエールは、よかれあしかれお互いに深く結びついています。
 互いに強く反発することがあっても、一種独特の関係に立っていることは
 間違いないでしょう。」
 ルヴァはそう言いさしたまま、考え込んだ。熱心に思索にふける地の守護聖。
 彼は無意識のうちに銀のスプーンでこつこつとテーブルを叩き、思考を巡らせた。
「こういった関係が成立するためには、おそらく就任と退任の時期が
 ほぼ同時でなければならないはずで…。」
 ランディはルヴァの前にあったティーポットを引き寄せると、
 自分とマルセルのカップに自分で紅茶を注いだ。
「ねェ、そんな話より、日頃犬猿の仲と言われているあの二人、
 夕べどんな会話をしてたの?」
 オリヴィエがまたぞろ話題をそちらへ持っていこうとしたが、
 その途端、ルヴァは
「ああっ」
 と素っ頓狂な声をあげた。
(絶対わざとだね、ルヴァ。)
 オリヴィエは、藍玉の瞳でひそかにルヴァをにらみ付けた。
 

「何かひっかかるとは思っていたんですが、そう言えば
 聖地の公文書館で、風の守護聖と地の守護聖を『対』と呼んでいる例を
 ついこの間見つけたんです。それも、比較的最近の文献でした。」
 風の守護聖と地の守護聖の間には、かつては光と闇、炎と水に匹敵するだけの
 運命が約束した特別な絆があったに違いありません、とルヴァは続ける。
「ですが、今の私とランディの間には、そのような意味での結びつきはありません。
 そうですね、ランディ。」
「ええ、ルヴァ様。だけど、じゃあ、昔、風の守護聖と地の守護聖の間にあった
 対の関係はどうしてなくなってしまったんですか?」
 ルヴァは、少し厳しい顔つきになった。
「おそらく過去のどこかの時点で、かなり変則的な守護聖の交代が
 起きたんだと思います。」
 対の関係は、ほぼ同時に守護聖にならないと成立しませんからね、とルヴァ。
「おそらく、任期途中で風と地どちらかの守護聖が交代するような事件が
 起きたのでしょう。」
 ランディとマルセルは顔を見合わせ、それからルヴァに訊ねた。
「いったいどんな事件だったんでしょう? 年表を見ればわかりますか?」
「年表など参照しなくても、ジュリアスかクラヴィスに聞けばわかると思いますよ。」
 子供の頃のジュリアスにとっては、風と地の守護聖が対の関係であることのほうが
 当然だったのでしょう。だとしたら…
「おそらくこの事件が起きたのは、あの二人が守護聖に就任して以降のはずです。」
 覚えていないはずがありません、と地の守護聖は結論づけた。
 だが、オリヴィエはおもむろに口を開いた。
「…記憶を封印されていなければね。」
「記憶を?」
 夢の守護聖の声音がそれまでとどこか違っていることに気づいた三人は、
 オリヴィエのほうへ向き直って、彼の次の言葉を待った。
 

 テーブルに両肘をついたオリヴィエの様子は、どこか猟犬が臭跡を追っている時の
 姿を思わせた。ルヴァとはまた違った意味で、頭の回転の速さに定評のある
 夢の守護聖。こんな時、彼の鋭い目つきはひときわ鋭くなる。
「考えてもごらん。クラヴィスが精神的外傷を負った時期と、記憶が封印された
 時期はほぼ同じだ。」
 そしてあの人が聖地に来てから起きたという、かなり変則的な守護聖の交代。
「それに今回の、時を越えたジュリアスの入れ替わり。
 すべてがあまりに符合するとは思わない?」
 何かあるんだよ、私たちが知らない重要なことが、とオリヴィエは続ける。
「たぶん、それが今回の事件の鍵になるはずだ。」
 夢の守護聖は確信に満ちた口調で言い切ると、まだ腑に落ちない顔をしている
 ランディとマルセルにぴしっと指を向けた。
「あんたたち、ちょうどいい機会だからクラヴィスのところへ行ってこの話を聞いといで。
 それから、ついでに今、クラヴィスが何をしているか見て来るんだよ。
 この非常時にクラヴィスが単独行動をしているとすれば、絶対に何か裏があるんだから。」
 ランディとマルセルは、それでも半信半疑といった顔つきだった。
 だが、夢の守護聖の隠された真相をかぎつける嗅覚が折り紙付きであることは
 誰しも認めるところである。
「裏というのは言い過ぎかもしれませんが、確かにクラヴィスがどうしているかは
 気になりますねえ。」
 ルヴァは腕組みをしてうんうん、とうなずいた。
「悪いけどあなたたち二人で、ちょっとクラヴィスの様子を見てきてくれませんか?」
 さすがにルヴァにまで頼まれると二人ともいやとは言えない。
「しっかり報告するんだよ。」
 そう言って夢の守護聖は、風の守護聖と緑の守護聖を送り出した。
 

「ご主人様は、お出かけになりました。」
 闇の守護聖の屋敷を訪れた風と緑の守護聖に、応対に出た家令は慇懃に告げた。
「出かけた? どちらにですか?」
「私どもには何もおっしゃいませんでした。」
 そう言って首を振る家令に、マルセルは食い下がった。
「あの、クラヴィス様のご様子で、何か変わったことはありませんでしたか?」
「そうですね…手がかりになるかどうかはわかりませんが、
 ご主人様は珍しく白い斎服でお出かけになりました。」
 聞き役に回っていたランディが、はっと息を呑んだ。
「それだけ分かれば十分です、ありがとうございました。」
 家令への礼もそこそこに、ランディはマルセルの腕を引っ張って
 闇の守護聖の屋敷を後にした。
「どういうこと、ランディ?」
「クラヴィス様の行き先は聖廟だ。間違いない。」
 

 聖地の北方の丘陵地帯の、うらさびしい黒い森の中をぬけていくと
 白大理石で造られた壮麗な廟が忽然と姿を現す。
 風の守護聖と緑の守護聖は、廟の前庭に並んだ彫像のところで立ち止まって
 廟を見上げた。
 このみたまやは聖地の奥津城、在任中に亡くなった歴代の女王、女王補佐官や
 守護聖の墓所、聖廟であった。
「僕、聖廟に来るのはこれが初めてだよ。」
 マルセルは無意識のうちにしりごみした。
「なんだか空気が違うのを感じる。」
「別にこわがることはないよ、マルセル。
 ここに眠っていらっしゃるのは、かつての女王や守護聖の皆様だ。
 皆様の魂は今でも聖地と宇宙を見守ってくれているのさ。」
 勇気の守護聖は豊かさの守護聖をうながし、先に立って聖廟の扉の中に消えた。
 

 聖廟の中は薄暗く森閑としていた。
 ドームを重ねた天井からつり下げられた無数の釣り香炉から香の煙がくゆっている。
 死者の領域に足を踏み入れた二人の年若い守護聖は、自分たちが不作法な闖入者のように
 感じられてならず、身をすくめながら黙って先へ足を進めた。
 ひんやりとした厳粛な空気は奥に連れてますますその濃度を増し、
 新鮮な死の匂いがあたりに濃厚に立ちこめている。
 両側に並んでいるのは宇宙のため殉じた代々の守護聖の柩。
 聖地の外で殉難しついに聖地へ戻らなかった守護聖の場合は、柩の代わりに
 青銅の銘板に名前と紋章だけが刻まれている。守護聖にはそれぞれ個人の紋章があって
 紋章を一瞥するだけで、何代目の女王に仕えた何の守護聖かが識別できる。
 いまわの際の吐息のような名残のサクリアが、整然と並んだ並んだ柩の上に
 幻のようにほのかにゆらめく。
 思わず逃げ出したくなるのをこらえてなおも先へ進むと。
 聖廟の至聖所の祭壇の前に、白い斎服に身を包んだ闇の守護聖がぬかづいていた。
 

 闇の守護聖は白い斎服の上に銀糸で縫い取りした小忌衣を羽織り、冷たい大理石の
 床の上に跪いて深々と頭を垂れていた。
 淡い絹糸のような金色の輝きがやわらかく、だが、いましめるように
 彼の背を取り巻いているのをランディとマルセルは目にした。
(あれが、クラヴィス様の記憶を封じた力なの?)
(ああ、女王陛下の封印だ。)
 彼らが見守っている間、次第にクラヴィスの身体から藍色の陽炎のようなものが
 立ちのぼってきたが、それにつれて彼をいましめる封印も黄金のモールのように
 輝きを増し始め、最後に激しい閃光を放つと藍色の陽炎を霧散させた。
「陛下は私が記憶の封印を解くのをお認めにならぬか…。」
 クラヴィスは呟いた。
 悄然とうなだれる闇の守護聖。ランディとマルセルは、自分たちが
 見てはならぬものを見てしまったことを知って、音を立てずにその場を
 すみやかに離れた。
 

 さわやかに澄み渡る聖地の空の下、風の守護聖ランディと緑の守護聖マルセルは
 無言で宮殿へと続く道をたどっていた。
 クラヴィスが、幼いジュリアスを過去に戻し、この時代のジュリアスを呼び戻すために
 女王の禁を破って自分の記憶の封印を解こうとしていたことは明らかだった。
 だが、二人ともそれを他人に話す気にはなれなかった。
 クラヴィスも、このことを他人に知られるのをよしとしないだろう。
 ただ、自分たちに何かできることがあれば――。
 光と闇の守護聖のために力になりたい、と年若い守護聖たちは心から願った。
 マルセルは道の両側に花壇に植えられた花々の、早めに咲いて枯れてしまった部分に
 目を留め、立ち止まって丹念にちぎり始めた。ランディも自然にそれを手伝う。
 以心伝心というべきか、風の守護聖と緑の守護聖はどちらからともなく口を開いた。
「ねえ、ランディ。」
「なんだい、マルセル?」
「小さなジュリアス様は、結局ゼフェルの呼びかけをきっかけとして
 この時代に現れたんだよね?」
「どうやら、そうらしいな。」
 花壇の手入れをしながら緑の守護聖はおもむろに切り出した。
「じゃあさ、もし僕たちが今のジュリアス様に向かって『お願いです、帰ってきてください』
 って呼びかけたら――ジュリアス様、戻ってきたりしないかな?』
「えっ?」
 ランディは思わず手を止めて聞き返した。
「だって、子供の頃の名前で呼びかけたら小さいジュリアス様が現れたんでしょう?
 だったら、今のジュリアス様に呼びかけたら、今のジュリアス様が
 戻ってくるかもしれないじゃない。」
 マルセルの菫色の大きな瞳は、真面目な光をたたえていた。
 風の守護聖は顎に手を当ててしばし考え込む。
「確かに…理屈ではそうなるかもしれない。」
 ランディはしばらく考えたあと、首を振った。
「けど、危険すぎるよ。
 前はうまくいったけど、今度はうまくいかないかもしれないじゃないか。」
「でも、他に方法が考えられる?」
 庭園の噴水の音だけがあたりに大きく響く。
 この場に似つかわしくないような、のどかな小鳥の囀りが聞こえてくる。
「僕は、危険でも試してみる価値があると思う。だから、やってみようと思うんだ。」
 止めても無駄だよ。僕は、この方法を自分の責任で試してみるつもりだから。
 マルセルは、きっぱりそう言うと王立研究院のある方向へ向かって歩き出した。
「待つんだ、マルセル。」
 ランディは立ち去りかけたマルセルの肩に手を置いて引き寄せ、急いで言った。
「どうせやるなら、俺も一緒だ。二人で一緒にジュリアス様に呼びかけよう。
 いいだろう?」
「ありがとう、ランディ。」
 日差しがまぶしいのか、マルセルは少し歪んだ笑顔を浮かべた。
「じゃあ、一緒に行こう。」
 

 王立研究院の受付で、現在ちょうど幼いジュリアスが時空回廊のある区画にいることを
 知った風の守護聖と緑の守護聖は、目配せすると、ただちにそちらへと向かった。
 守護聖であるランディとマルセルは、ノーチェックでオフリミット区域である
 時空回廊のエリアに足を踏み入れることができた。
「こんなに早くチャンスが来るなんて…。」
 マルセルの声は緊張して、多少うわずっている。
「落ち着けよ、マルセル。」
 ランディは声を低めてたしなめた。
「どうやらオスカー様もご一緒しているみたいだ。」
「えっ、オスカー様も? 大丈夫かな?」
 マルセルの顔に不安がよぎる。
「関係ないさ、どうせ試すことができるのは一度きりだ。
 だったら、オスカー様がいようがいまいが同じことじゃないか。」
 一旦腹をくくってしまえば、風の守護聖は大胆不敵である。
 年長の友人に励まされて、緑の守護聖は大きく深呼吸すると決然と前を向いた。
 やわらかなオレンジ色のカクテル光線に照らされた研究院の廊下は、年若い二人の
 守護聖にとって実際以上に長く感じられた。
 
 

(続)


 
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