忠誠の指輪5

01.09.09改


 その晩、光の守護聖は成人した彼の使っていた自分の部屋で、付き添いの守護聖たちは
 それぞれ用意された客用寝室で休むことになった。
 一人で心細くはないかと訊ねられた幼いジュリアスは、ここは自分の私邸だから
 平気だとにこやかに答え、クラヴィスは、あまり納得していない顔をしている
 年少組の守護聖に向かって、当人がそう言うのだからそうだろうと言い渡すと、
 それぞれ自分に割り当てられた部屋に引き取った。
 

 十代の少年たちが、こんな状況で寝床につくわけがない。
 風、鋼、緑の三人の守護聖は、光と闇の守護聖が引き取るとさっそく
 割り当てられたうちの一室に集まって、夜更かしの準備に取りかかった。
 風の守護聖と鋼の守護聖がマントルピースの上のブランディの瓶を目敏く見つけ、
 緑の守護聖がナッツやドライフルーツを見つけてくると、三人は絹絨毯の上に
 円を描くように座り、額をつき合わせながらてんでに感想を述べ合った。
「ジュリアス様って小さい頃からジュリアス様だったんだねえ。ぼく、感心しちゃった。」
 とマルセル。
「思ったより線が細かったので、驚いたよ。」
 ブランディを注いだグラスをゆっくりと舐めながら、思案顔でランディが続ける。
 ゼフェルもどことなく不機嫌そうに言った。
「おめーら、気づいたか? あいつは、オレたちにまったく気を許してないぜ。」
「そうかな? あれだけたくさん、いろんな話をしたのに?」
「うーん、ただ、俺たちにすごく気を使ってるのはわかったよ。」
 とランディ。
 そのとき、耳をつんざくような悲鳴がジュリアスの寝室から聞こえてきた。
 驚いた三人は一斉に立ち上がり、ジュリアスの眠っている部屋へあわただしく駆け込んでいった。
 

 寝台の上では、幼いジュリアスが金の髪を激しく振り乱し身をよじって悲鳴をあげていた。
 のたうちまわって、もがき苦しむジュリアスの姿を、三人はただ茫然と見守るばかりだった。
 ジュリアスの焦点の定まらない青い瞳から涙が滂沱と落ちている。
 悪夢にうなされているらしいジュリアスは、何か止めようとするかのように必死で腕を
 振り回していた。彼は無意識のうちに胸をかきむしる。
「もういやだ!」
 いやだ――星が死ぬのを見るのは嫌だ!
 幼いジュリアスは泣き叫んでいた。
「みたくない、みたくないのに!」 
 半ば起きあがっては打ち伏し、頭を枕に打ち付け、ジュリアスはベッドの周囲に垂れた
 カーテンをすがるように握り締めた。
「だめ、死なないで、ぼくのサクリアならいくらでもあげるから、お願い、どうかうけ取って!」
 喉から血を吐くような絶叫が響いた。
「ああ、星々がくずれていく! だれか、だれか止めて!」
「ジュール!」
 扉が開け放たれ、黒い影のような背の高い人物が光の守護聖の寝室に飛び込んできた。
 闇の守護聖は、金縛りにあったように身動きできないでいる年少の守護聖たちの脇をすり抜け、
 幼いジュリアスのもとに駆けつけると、彼を抱き起こして懐にかかえ込んだ
「ジュール、今宵は大丈夫だ、大丈夫だから目を覚ませ。」
 両腕でぎゅっと堅く抱きしめてくる相手を、ぼんやりと不思議そうに眺めていたジュリアスは、
 相手が誰かに気づくと、はらはらと涙をこぼし始めた。
「…クーリィ…。」
 ようやく心を許せる先を見つけたあとの、胸が張り裂けんばかりの泣き声。
 クラヴィスは、涙を流しきることでジュリアスの気持ちがおさまるのを黙って待っていた。
 幼なじみの胸に顔を伏せて、さめざめと泣き続ける幼いジュリアス。
 クラヴィスは沈痛な面もちで、冷や汗でぐっしょりと濡れた金の髪を丁寧になでつける。
「クラヴィス様…。」
 ランディが、遠慮しながらそっと声をかける。
「…大事ない。この頃のジュリアスにとっては、いつものことだ。」
「いつものこと、ですか?」
「そうだ…これと私が幼い頃は、一晩に崩壊する星の数が今より比べ物にならぬほど
 多かったからな。」
 年若い守護聖たちは粛然として声もなかった。
 クラヴィスの安らぎを与える深く穏やかな声だけが、灯りのない部屋に響く。
「安心しろ、ジュール。ここは元の時代ではない…。
 星々が迎える死も、あの頃よりもはるかに穏やかで優しい…。
 お前が夜毎うなされないで済むよう、私がサクリアを送っている。
 闇のサクリアに抱かれたまま、星々は静かに永遠の眠りに就くのだ…。」
 闇の守護聖はジュリアスの心を解きほぐすように、つぶやくような声をかける。
「そうか。そなたがそう言うなら信じる…そなたの手による終焉は、なさけぶかいから。」
 そう言って、幼いジュリアスはクラヴィスの懐に頬を寄せた。
 

「久しぶりに一緒に寝るか、ジュール?」
 幼いジュリアスは、こっくりとうなずいた。ゼフェルが驚いて聞き返す。
「おめーら、一緒に寝てたのか?」
「そうだ…。もっと幼い頃は毎晩同じ寝床で寝ていた。」
 クラヴィスは、淡々と答えた。
「…その頃は、宇宙の状態が厳しく、私のサクリアもこれのサクリアもひどく不安定でな。
 ジュールは私の闇のサクリアなしには眠れず、私は光のサクリアなしでは
 目覚めなかった…。」
 当時の私は、体の内にある闇のサクリアの勢いが強すぎて、夜毎の睡眠が
 そのまま永遠の眠りにつながりかねなかった。
 ジュールはそんな私を、朝が来るたびに光のサクリアで救ったのだ…
 いわば生命の恩人だな、とクラヴィス。
「…おかげでこれは、今でも私がうたた寝しているとひどく心配になるようだ。」
 クラヴィスはそう言いながら、幼いジュリアスの金の髪を梳く。
 闇の守護聖は沈痛な表情で、遠い日の幼なじみをいたわるように抱き寄せて目を伏せた。
「これは五歳の頃から毎晩、泣き疲れて眠りながら大きくなったのだ。
 人より遙かに長い時をな…。」
 案外今でもそうかもしれぬ、と一人ごちるクラヴィス。
「…そんな風には、見えねーけどよ。」
「見えまいな…。」
 幼なじみの頬に落ちる涙をそっとぬぐってやる闇の守護聖。
 クラヴィスはそのまま三人の方に首だけ向け、底冷えのする瞳でにらみ付けた。
「今宵のことは他言無用…わかっているな?」
 闇の中で鋭く光る射すくめるような紫色の瞳に、思わず背筋がぞっとする年若い守護聖たち。
 彼らは反射的にうなずいていた。
 

 翌朝、幼いジュリアスは定時に宮殿に出仕した。
 現在、ここにいる光の守護聖は自分なのだから、光の守護聖の責務ははたさねばと
 ジュリアスは言い、クラヴィスはそれを止めなかった。
 闇の守護聖は私邸に引き上げ、年少組の三人は別の馬車で宮殿に向かう。
「『星々は守護聖の涙で出来ている。』 今も昔も、それは変わらぬ…。
 ジュリアスは知っている。守護聖に逃げ場はないことを。」
 まして、あれの故郷はこの聖地だ…。
 自分の意志で宇宙のために身を捧げようとする者を、引き留める手だてなどどこにあろう。
 そう言ったクラヴィスの瞳は、深い諦念の色をたたえていた。
 お前が光の守護聖としての務めをはたすことを望むなら、止めるわけにはいくまい。
 そう言ってクラヴィスは、幼いジュリアスの手を放した。
 闇の守護聖は幼いジュリアスを見送ると、自分の屋敷へ戻っていった。
「でも、クラヴィス様も今日ぐらい出仕なさればいいのに。」
 緑の守護聖の言葉に、まったく同感の風の守護聖と鋼の守護聖であった。
 

 風、鋼、緑の三人が乗り込んだ馬車は、森の中を一路宮殿を目指して走っていた。
 さわやかな朝日が窓から馬車の中に差し込んでくるにもかかわらず、
 年少の守護聖たちは、三人とも異常に口が重かった。
「それにしても、あの二人。見かけほど仲悪くねぇみてーだな。」
 馬車に揺られながらひとりごちるゼフェルに、マルセルが低めの声で相づちを打つ。
「うん、ぼくもそれは思った。でも、やっぱりお二人の関係ってよくわかんないや。」
「そうだな。」
 ランディがおもむろに口を開く。
「お二人の関係は、友情でも、家族愛でも、恋愛関係でもない。
 それ以上の強い絆で結ばれてると思う。」
「おめーの言いたいことは、なんとなくわかるぜ。」
 ゼフェルは、ぼそっと言った。
「『くされ縁』って言ったら身も蓋もねぇが…
 要するに、あれが『対の関係』ってヤツなんだろうな。」
「ああ。」
 風の守護聖は、それだけ言うと栗色の髪を風になびかせながら窓の外を眺めた。
 マルセルがふと気づいたように言った。
「でも、考えてみたら不思議だよね。炎の守護聖と水の守護聖は対になるのに、
 風の守護聖と地の守護聖は対にならないなんて。」
「そうだな、マルセル。」
 地水火風の四大の守護聖のうち、炎と水が対の関係ならば、風と地も同じように
 対の関係であってもおかしくないはずである。
「夕べ晩餐の席で、小さなジュリアス様が似たようなことを言っていたし。
 どうしてなのか一度ルヴァ様に聞いてみようか?」
「ルヴァのヤツ、そういう質問好きそうだからな。きっと喜んで調べて回るぜ。」
 年若い守護聖たちは、明るめの話題を見つけて少し元気を取り戻した。
 三人の守護聖がそんな話をしている間に、馬車は森をぬけて、宮殿の前庭へと入っていった。
 

 ※               ※               ※
 

 水の守護聖スユと緑の守護聖イェシルの自宅軟禁処分が決定して間もなく
 王立派遣軍の一部に不穏な動きがあるという報告が聖地にもたらされた。
 首座代理の風の守護聖リュズギャルがいちはやく報道管制を敷いていたお陰で、
 エストレ星域の大崩落について、聖地はいまだに相当のフリーハンドを確保していたが、
 主星連合政府の公安系の調査機関が、主にエストレ星域の出身者で構成される
 王立派遣軍第二十八師団の若手将校がエストレ星域に一向に救援の手を述べない
(ように見える)聖地の姿勢に不満を募らせているという情報をつかんだ。
 王立派遣軍内部での内偵の結果、彼らの企てていた聖地関係者の襲撃計画が露見し、
 当局は機先を制して首謀者数名を拘束した。
 計画自体は特に背後関係もなく、単発的で杜撰なものであったが、
 この襲撃未遂事件の余波は思いもかけぬところに及んだ。
 

 光の守護聖ジュリアスは、この件について協議を行うため聖地を出て、
 主星の首府にある星間連盟評議会ビルに向かった。今回の件については実質上
 聖地が主導権を握っていたが、君臨すれども統治せずという原則に基づき、
 今回も形式上評議会側に諮問し、その答申を受ける形を取っていた。
 ジュリアスと、王立派遣軍の最高司令官である炎の守護聖アテシュの二人が
 乗った専用のエアカーが星間連盟評議会ビルのロータリーに着いたとき、事件は起きた。
 

 守護聖を迎える主星側の警備体制はある意味で完璧であった。
 現役の守護聖が二人も来臨するとなれば、受け入れ側の警備体制も当然万全を期していた。
 少なくとも半径五キロ以内に、不審な火器類は皆無であった。
 ――だが、まさか次元砲や気象兵器の時代に
 守護聖に対して、剣で斬りかかる者がいるとは誰一人予想していなかった。
 しかも、守護聖を出迎える儀仗兵の一人がそんな行為に及ぶとは。
 

 自らもフェンシングをたしなむジュリアスは咄嗟に身をかわしたが、ローブの上に
 ケープを羽織った正装のために体の動きが思うに任せず、結果的に腹部を斜めに
 斬りつけられることになった。
 怒号と悲鳴を遠くに聞きながら、ジュリアスは犯人が取り押さえられるところを
 どこか人ごとのように冷静に眺めていた。
「ジュリアス、大丈夫か!? しっかりしろ!」
 炎の守護聖アテシュが、抱きかかえるようにしてジュリアスを支える。
   ジュリアスは鮮血のにじんだ純白のローブを手で押さえながら、あえぎあえぎ言った。
「聖地へ戻りましょう、アテシュ様。」
 光の守護聖は苦痛をこらえながら、言葉を続けた。
「一度テロのターゲットになった人物は、以後繰り返し狙われることが多い。
 守護聖がテロの対象となり得るという考えが流布することのほうが、
 はるかに怖ろしいことです。」
 私を一刻も早く聖地へ戻してください、このままでは騒ぎが大きくなり過ぎます、
 とジュリアスは蒼白な顔で訴えた。
 アテシュは無言でうなずくと、ただちにエアカーにジュリアスを押し込み、
 自分も乗り込んで急発進させた。
 傷口からから力と熱が流れ出してい生々しいく感触。
 後部座席にぐったりと倒れ込んだジュリアスは、薄れいく意識の中でつぶやいた。
(…惑星イリ…惑星ゼムリア…惑星タドモル…そうだ、エストレ星域を見殺しにしたのは私だ……)
 刃を向けたくば向けるがよい。
 私は逃げぬ…私は私の下した決定から…
 …もはや死して救いを受ける資格を持たぬこの身だ…
 永遠に冥府の暗い道を歩き続ける覚悟は…できて…い…る…。
 そこでジュリアスの意識はブラックアウトした。
 

 ジュリアスの受けた創傷は腹部全体を斜めに横切っていたが、傷自体は浅く、
 出血量に比べれば軽傷で済んだ。女王陛下の加護の下にある聖地では傷が癒えるのも早く、
 彼は、一日休養をとっただけで、直ちに執務へ復帰した。
 ジュリアスを襲撃した犯人グループは第二十八師団の若手将校に共鳴した
 王立派遣軍内部の不満分子で、この事件は表沙汰にはされず、ごく内密のうちに
 処理された。ジュリアス自身は、実際のところこのような襲撃を受けることには
 慣れているので、さほどの感慨もわかない。だが、彼は聖地、特に女王の身辺については
 警護を強化する決定を下した。
 復帰後の光の守護聖ジュリアスは何事もなかったかのように、首座の守護聖の
 務めを精力的にこなした。ただ一つ変わった点があるとすれば、それは、
 彼の執務服が浅緑色の半袖のチュニックに白いトーガという、自分の時代で
 身にまとっていた物よりはるかに軽装で動きやすいものに変わったことだった。
 

 ジュリアスは、羽ペンを取り上げ、決済ずみの書類に流れるような筆致でサインをした。
 保安上の理由のため、聖地と外界との障壁の強化を目的とする一連の措置に関する
 内容の書類だった。
 この件に関しては守護聖の間でも意見が割れ、特にジュリアスと夢の守護聖リューヤとの
 間で激論となった。
「恐怖政治を敷くつもりかい、ジュール? いいかい、女王と守護聖はね、力で人々を
 ねじ伏せるような真似は、決してしてはならないんだ。女王と守護聖が宇宙に与える
 秩序は、ちょうど妙なる音楽のようなものさ。美しい調べに人の耳が自然に従うように、
 人々の心が女王の御心に進んで従う。それが私たちの目指すものだろう?」
 夢の守護聖リューヤこそ、実は幼いジュリアスに同じ理想を植え付けたその人だった。
 人々に美しいもの、善いものを惜しみなく与え、人々の心を潤すことで宇宙の均衡を維持する。
 それはリューヤが幼い彼の心に育んだ、彼自身の理想でもあった。
「ですが、何かあってからでは遅いのです。女王陛下の御身に万が一のことがあっては
 取り返しがつきません。」
 ジュリアスは、最後まで強硬な姿勢を崩さなかった。
 守護聖の中でも鳩派である緑と水の守護聖が謹慎中だったこともあって、
 結局ジュリアスはリューヤの反対を押し切って聖地の警備体制の強化を決定した。
 

 夕方の茜色の陽が差し込む光の守護聖の執務室に、かろやかなノックの音が響く。
「どうぞ。」
 ジュリアスは、羽ペンを机の上に戻して扉の方に向き直り、いずまいを正した。
 その拍子に腹部の傷が引き連れたので、彼は思わず顔をしかめた。
 ドアの間から、ヴェールをかぶった女性が滑るように中に入り込んでくる。
 先日の襲撃の件を思い出し咄嗟に身構えたジュリアスは、次の瞬間まったく
 別の驚きに打たれて、思わず椅子から立ち上がった。
「ジュール、あなた怪我をしたのですって。大丈夫?」
 ジュリアスは足早に扉のところまで近づくと、声をひそめて早口で言った。
「セラフィン様、このようなところに…。いけません、早くお戻りにならないと。」
「あなたのことが心配だったの。傷の具合はどうなの?」
「おかげさまで経過は順調です。どうかお気になさらず。」
 ジュリアスの傷についてさらに二三言葉を交わす二人。
 だが、襲撃事件自体については、どちらもあえて語ろうとしなかった。
「あなたは昔から意地っ張りですもの。大丈夫だと言われても今ひとつ信じられないわ。」
 女王セラフィンはレースのヴェールをとって、はらりと背中にかけた。
「傷を見せてちょうだい、ジュール。そうでなければ納得できなくてよ。」
「…それで納得して、お戻りいただけるならば。」
 ジュリアスは困ったような表情を浮かべたが、まとっていたトーガを畳んで机の上に
 置くと、チュニックの前を開いてウェストまで滑り落とした。
 朱色の夕暮れの光の中、大理石の彫像のようなジュリアスの白い上半身が、
 黄金で縁取られたように輝く。文官のイメージの強いジュリアスだが、
 フェンシングや乗馬をたしなむ彼は文武両道といったほうが正確で、王立派遣軍の
 精鋭にも劣らぬ、引き締まった見事な体格をしていた。
 セラフィンは迷わず彼に近寄って、膝をつくと引き連れたような腹部の傷を
 心配そうにのぞき込み手を差し伸べてそっと触れた。彼女の手のひらから輝くばかりの
 女王のサクリアが肌と肌を通して流れ込み、彼の受けた傷を癒していく。
 わずかに熱を持っていた傷に、ひんやりとした感触が快い。
 もったいない、そのようなことはどうかおやめ下さい…口ではそう言いながら
 ジュリアスは、そのあまりの心地よさにセラフィンを強く制止できないでいた。
 このまま…できればそれ以上に彼女にふれていてほしい。理性が警鐘を鳴らしていたが
 ジュリアスはどうしても自分から身を引くことができず、息苦しさに耐えながら
 ポーカーフェイスを維持していた。
 今抱いている自分の想いが罪深い類のものであると自覚したジュリアスは、
 ひそかに心をおののかせた。
 

 鈍くうずいていた傷の痛みがかき消すように薄れていく間、ジュリアスは、一心に傷を
 癒している女王セラフィンから目をそらすことができなかった。うなじから背中、そして
 その上に扇のように広がる黒い巻き毛。
 彼の視線に気づいたのか、黒い巻き毛がさやさやと音を立てて揺れ、セラフィンが
 首を傾げてジュリアスを見上げた。ふと戸惑ったような表情が浮かぶ。
 彼女は身を起こすと、あらためてジュリアスと向き合った。彼の均整のとれた見事な体躯に
 思わずみとれてしまった彼女は、頬をほんのりと染める。
「セラフィン陛下、癒しの力をわけていただきありがとうございました。」
 光の守護聖は、ことさら堅苦しく礼の言葉を述べた。だが、彼の目は言葉を裏切り、
 どこか熱っぽい光を放っている。
 彼の強く訴える眼差し、セラフィンには彼以上にそれが何を意味するのかわかっていた。
 

 ジュリアスは、煩悶していた。
 至高の存在である女王とそれに仕える守護聖という決して結ばれてはならない間柄。
 未曾有の大惨事である星域の崩壊にあたっておのれの熱情に流されるなど、第一
 不謹慎であり、この危機に立ち向かうため迅速かつ適切なを行動をとるための
 妨げともなりかねない。彼がこの時代の守護聖の一部の不興をかっている現在、
 女王がジュリアスに心を傾けたとなれば、女王と守護聖との間に微妙な隙間が
 生まれかねない危険もある。
 そもそも、本来時に隔てられてこの年齢で出会うべきでない人なのだ。
 …と数え上げてはみたものの――。
 ジュリアスは、自分を叱咤して女王に還御をうながそうと口を開きかけたが、彼の舌は
 彼を裏切り、まったく別の言葉が口をついて出るのを信じられない思いで聞いていた。
「もしよろしければ、森の湖へ参りませんか?」
 夕暮れの部屋の中に、誘いの声がひどく甘く響いたことに我ながらうろたえるジュリアス。
 セラフィンは、清らかでありながらどこか凄艶なほほえみを浮かべた。
「参りましょう。」
 潤んだ瞳を隠すように、ヴェールをかぶり直す女王。彼女は、ジュリアスと心通わせることが
 もたらす末路を正確に予期し、すべてを覚悟していた。
 ジュリアスは陶酔のまじった絶望的な眼差しでそれに応えた。
 このままは、二人とも深みにはまってしまう…
 自分はともかく、尊い女王をそのような小暗い迷宮へ引きずり込むわけにはいかない。
 いかないのだが、堕ちることのなんという甘美さ。ジュリアスは、もう逆らえなかった。
 
 

(続)


 
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