white night

「あー、明日は雨になりそうですね・・・」
アンジェリークは部屋の窓から外を眺めながら、昨日のルヴァ様の言葉を思い出していた。
「あーあ、憂鬱。雨、嫌い」
飛空都市にやってきてからというもの、雨降りの日は必ず決まって、仰いだ空に見えたオスカーの姿を思い出す。
飛空都市にやって来る直前の下校途中に、突然雨に降られた事があった。友達とあわてて雨宿りをしたそのとき、ふ、と見上げた空に天馬に乗った騎士の姿が見えたような気がした。
その時は目の錯覚かと気にもしなかったけれど、初めてオスカーの姿を見た時に、あ!と思った。アンジェリークにとっては、紛れも無くおとぎばなしに出てくるナイトの様に見えた。
でも・・・
見上げると、真っ暗な空には月明かりを背に、物凄い速さで流れる雲が見えるばかり・・・
「嫌い、嫌い、嫌い!」
アンジェリークの脳裏に、昨日のオスカーの執務室での一件が蘇えった。

「失礼します」
そっとドアを開けると、瞬時に焼けるような視線を感じる。
「よお、お嬢ちゃん。そんな所に突っ立っていないで、入ってきたらどうだい?」
おそらく、微笑みかけてくれているのだろうが、いつからか、まともに顔を見る事も出来なくなっていた。
アンジェリークは、無言で頷くとちょこちょこと執務机の前に進んだ。
「あの、育成をお願いします」
「育成?かわいいお嬢ちゃんに頼まれちゃあ、嫌とは言えないな。もちろん沢山だよな?・・・おっと、またお嬢ちゃんの力は2つしか残ってないじゃないか。」
オスカーは、アンジェリークの顔をわざと下から見上げた。
「今日はもう、どこぞの守護聖殿に依頼を済ませて、その足でついでに俺の所に寄ってくれたって・・・所かな?」
また、完璧にからかわれてる・・・そう思うと、アンジェリークの顔は真っ赤になった。
「あのな、お嬢ちゃん。ヤツの力が贈られた後の大陸に俺の力を贈ってみろ。大変な事になるんだぜ。」
「えっ?」
アンジェリークはその言葉に驚いて顔を上げた。
「知らないのか。ヤツは、その事は教えてくれなかったのか?」
なおもオスカーはまじめな顔で続ける。
「そうか・・・ヤツには教わってないのか・・・これは、大変な事だぞお嬢ちゃん。何せ、二人の贈った力が形と性質を変え、まるっきり無駄になっちまうんだからな。ただな、その逆なら問題無いんだぜ。まず、俺の力を大量に贈る。その後でヤツの力をちょっぴり贈る。これなら何も心配は要らない。何だ、ディアもその事を教えなかったのか。」
アンジェリークは、その話を聞いてるうちにだんだん不安になってきた。
「大陸に贈られた力が形と性質を変え、まるっきり無駄になる。そんな大変な事・・・いつもやってたの?私・・・」
アンジェリークの顔面がみるみる蒼白になっていくのを見ながら、オスカーはちょっとやりすぎたかなと反省して脅かすのをやめた。
「一体、どうしてかわかるか?」
「一体、どうしてなんですか?どうしてそんな事に・・・そんな大切な事、私今まで誰からも聞いてませんでした」
そう言うアンジェリークは今にも泣きそうな顔をしている。オスカーの胸の奥がちくりと痛む。
「お嬢ちゃんが知りたいというのなら、教えてあげない訳にはいかないな。いいか、リュミエールが送るのは水の力だ。俺が送るのは何だい?」
「炎の・・・力です」
消え入りそうな声でアンジェリークが呟いた。
「そうだ。はは、お嬢ちゃん、考えてみてくれ。大量の水に向かって強い炎を浴びせてみろよ。相殺して全部水蒸気になっちまうと思わないか?」
ここは笑う所だとばかりに笑い出すオスカーの姿を、暫くアンジェリークはぼんやりと眺めていた。
オスカーにとってはやたらに長い1分が経過した頃、やっとアンジェリークは自分がからかわれていた事に気が付いた。
「オスカー様・・・ひどい・・・わたし・・・わたし・・・」
最後は半泣きになりながらそこまで言うと、アンジェリークはオスカーの執務室を飛び出した。
「やれやれ・・・またやってしまった。」
口調とは裏腹に、後悔の二文字がオスカーの心を蝕んでいた。

まだ聖地に居た頃・・・ジュリアスの密命で、オスカーは女王候補の視察に向かった。
本命とされていたロザリアは、彼女の自宅で友達と談話をしていた。
異色の候補とされていたアンジェリークの姿を嵐の中で見つけたとき、オスカーはひとめで彼女を気に入ってしまった。
女王試験が始まるのを、どれだけ楽しみに待っただろう。自分がきっと彼女のナイトになるだろうと、確信すらしていた。
しかし・・・いざ始まってみると意外な展開がオスカーを待っていた。華麗なる恋のジゴロと自認するこの自分が、なんと情けない事にアンジェリークの前に出ると意識をしてしまう。
つい、「お嬢ちゃん」なんて呼んでしまう。つい、子供扱いしてしまう。つい、憎まれ口をきいてしまう・・・
「小学生じゃあるまいし・・・」
口にして、またオスカーは気が滅入ってしまった。まさしく、小学生の時だって俺はこんなじゃなかった。
「まいったな・・・しかも、よりによってあのリュミエールに取られちまうなんて。なんてザマなんだ・・・」
私邸の、ソファーに身を投げ出してオスカーはもう一度身をよじった。

「わかりましたよ。アンジェリーク。」
やっぱり朝一番でこの方の所にやってきてしまう。リュミエールと話をする時が、アンジェリークにとって最高に幸せな時だった。
今日は水の力を依頼しなかった。オスカーに昨日あんな事を言われて・・・何となく気が進まなかった。その代わり、次の日の曜日に湖に連れてってくれとねだってしまった。
リュミエールは微笑んでうなずく。
アンジェリークが満面の笑みで執務室を後にするのを見送って、リュミエールは溜息をついた。
「わたくしは・・・」
ここの所毎晩彼を悩ませている事柄が、またリュミエールにまとわりついた。
リュミエールは、オスカーの気持ちを知っていた。
もちろん、自分だって誰よりもアンジェリークの事を大切に思ってる。しかし・・・彼はオスカーの苦悩も、自分の事の様に感じていた。
はじめは普通にアンジェリークに接していた。しかし、まあ当然といえば当然だが、優しさをもたらすサクリアを有する彼のこまやかな心配りに、アンジェリークはすっかり参ってしまった。
はじめから、オスカーの気持ちは知っていた。だからアンジェリークに対して恋愛感情を持つ、などとはリュミエール自身も予想していなかった。
しかし・・・恋とは惹かれ合うもの・・・アンジェリークのラブラブフラッシュに(笑)抗う事など出来ようも無い。
いつしか、自分も強くアンジェリークの魅力に惹かれるようになっていた。
それでも、あからさまにオスカーの前でアンジェリークと手なんかつないで歩く事は、とてもリュミエールの繊細な神経では出来ようも無い。
「いっそ、オスカーと決闘してしまいましょうか・・・」
そう呟くと、リュミエールはふふ、と笑った。
「争い事は嫌いじゃなかったのか・・・と、オスカーに一笑されてしまいそうですね・・・わたくしとした事が。」
負けるとは思ってない所が、このお方の底知れぬところ・・・

「オスカー、居ますか?」
オスカーの私邸に早朝姿を現したのは、にっくき恋敵のリュミエールだった。昨晩もブランデーを1瓶空けて、ガンガンの二日酔いのオスカーはよれよれとベッドから起き上がると、
細めにドアを空けた。
「なんだ、水の守護聖さんよ。夢の続きかと思ったぜ。ああ、今日も最悪な夜明けだな・・・」
また、彼にアンジェリークを取られる悪夢を見ていたのだろう、オスカーの背中は寝汗でひんやりしている。
「オスカー、こんな時間に申し訳無いと思ったのですが、どうしても執務が始まる前にはっきりしておきたい事があります。」
一方のリュミエールは目の下にくまを作って土気色の顔で戸口に立っている。昨夜は一睡もしていないらしい。
「何だ、今じゃなきゃだめなのか?勘弁してくれよ・・・まったく、優しさのサクリアもお前の頑固の前じゃ消えてなくなるらしいな・・・」
リュミエールを中に招き入れながらオスカーは、何で俺はこの男の性格をこんなに把握しているんだろうと不思議に思ってた。
ソファーの上に2人並んで座る。なんか変な感じだが、オスカーの私邸にはベッドとダイニングテーブルとラブチェアしか、人が座れるところがない。もともと、男を招き入れる準備などオスカーにははなから無いのだから・・・
「で、何なんだ。」
寝起きのくしゃくしゃの頭をいじりながら、オスカーは非常に不愉快そうな表情でめんどくさそうにそう言った。
「オスカー。あなたはアンジェリークの事を愛していますよね。」
唐突のストレートパンチに、オスカーはのけぞる。せめてジャブからくれないか・・・リュミエール、と心の中で哀願する。
「どうしてそんな事を聞くんだ。だからなんだって言うんだ?おまえには関係無いだろう。」
真顔で答えるオスカーに、リュミエールも真顔で返す。
「もし、あなたが彼女を本気で愛しているなら、わたくしと決闘して下さい。決闘の手段は、申し訳無いですがわたくしが決めさせて頂きます。どうされますか?」
八方手詰まりといった感じだった。リュミエールは、こうなってしまったらもう引かない。オスカーにはそれがよくわかっている。もう、誤魔化しは利かない。
「いいだろう。俺も彼女を愛してる。受けて立つ!」

かくて、寝不足で土気色の顔をしたふらふらのリュミエールと、寝起きで二日酔いのよれよれなオスカーは決闘の成立に闘志を燃やした面持ちで、暫くにらみ合っていた。

「へーえ、素敵じゃない!」
オリヴィエが感嘆の声を上げた。あわててルヴァがその口をふさぐ。
「オリヴィエーだめですよー。ジュリアスや年少組みにこの事が知れたらとってもやっかいですからねー。」
「ん、もう。わかってるわよ。でも、リュミエールもやるじゃない。さすが芸術家は考える事が違うわね。」
「でもー、決闘なんて彼らしくないですよねえ・・・」
ルヴァは溜息をついた。
「あらあ、やるときはやる。男らしくていいじゃない。見直しちゃった。でも、あの二人って、日ごろから仲悪そうにしてる割には、気が合うのねー。おんなじ子、好きになるなんてさ。」
オリヴィエは心底おかしそうにくすくすと笑う。その様子を見て、ルヴァはもう一度深い溜息をついた。
「アンジェリークには、くれぐれも内緒ですからねえ・・・」

決闘の方法は、ある意味アンジェリークにとって残酷なものでもあった。リュミエールはこう言った。
「クリスマスの日、お互いに自分のサクリアを使ってアンジェリークにクリスマスプレゼントを贈ります。彼女が喜ぶ贈り物をした方が、彼女に告白する権利を手に入れるということです。」
つまり・・・アンジェリークは、自分の知らない所でレフリーになる。
そして、判定人としてルヴァとオリヴィエが選ばれた。当然その他の人には一切内密に・・・

そして、クリスマスの日が来た。オスカーもリュミエールも、朝から自分の執務室にこもりきりだった。
昨晩、二人はそれぞれサクリアを使った。その効果は今日現れる。判定が出るまで、二人は誰とも顔を合わせる気にはなれなかった。
二人がそれぞれ何を贈ろうとしているのかは、ルヴァとオリヴィエだけが知っている。二人も朝から顔がこわばっていた。何故なら、オスカーとリュミエールが用意した贈り物は、それぞれに甲乙付け難いほど二人の愛情を表していたから・・・

アンジェリークは、せっかくのクリスマスの日に、リュミエールの姿が見えない事に失望していた。
この日の為に、プレゼントだって用意しているのに・・・私邸に行っても留守・・・執務室に行っても留守・・・
夕方、公園でしょんぼりとベンチに座っている姿を、植え込みの影からルヴァとオリヴィエが見ていた。
「ねーえ、ちょっとお。これじゃ、ノゾきじゃない!こんなの、あたしの美意識に反するー」
植え込みの影でしきりにぶつくさ言うオリヴィエを完全無視して、葉と葉の隙間からアンジェリークの様子を伺うルヴァの姿は、本人はいたって真剣なのだが、まるで「初めてのお使い」で子供を心配して眺めている親の様でほほえましい。
「あーあ、リュミエール様、どこに行っちゃたんだろう・・・今日はクリスマスなのに。」
ベンチに座って足をぶらぶらさせながら、アンジェリークが不服げに呟く。
「やだ、ちょっとルヴァってば、今の聞いた?オスカーが聞いたら泣くねえ。でも、もしオスカーのプレゼントの方にアンジェリークが喜んだら、一体どうなるんだろうね。」
「はあ、リュミエールの事だから、きれいさっぱり身を引くんじゃないんでしょうかー」
「え?それで、アンジェリークに言い寄られても、『わたくしは決闘で負けましたから・・・』なーんて、あの子にとってはワケわかんなコト呟くってワケ?」
「いやあ、どうなんでしょうかねえ・・・」
「あ、始まったよ!」
オリヴィエの声と同時に、みるみる辺りは金色に染まっていく・・・
辺りの様子に、アンジェリークは何気なく振り返る。
「あ・・・」
遠く、地平線に陽炎のように揺らめく、金色の大きな夕日・・・一分一秒の時を惜しむかのようにそれは、輝かしいオレンジ色の暖かい光を投げかけながら、森に、湖に、大地に、染み込んで行く・・・人類のノスタルジックな原風景・・・
暫く、アンジェリークの姿を、懐かしく暖かい光が包み込む。
やがて、アンジェリークのほほにきらきらと七色の光が描き出された。
「あっ!あの子、泣いてるよ。」
「オスカー、やりましたねー・・・」
判定人も、感無量である。
ゆっくりと、壮大な黄金色の夕日は辺りを甘く染めながら沈んでいった。
空にその名残がある間、アンジェリークはずっと流れる涙に身を任せていた。
「・・・懐かしい。こんなに綺麗な夕日ははじめて見たのに・・・」
やっと、彼女がそう行った時には、空には星が瞬いていた。
「ふーん、オスカーなかなかやるね。炎のサクリア、見事だったよ。」
オリヴィエも、ご満悦だった。
「それにしても、さすがに冬の夜は冷えますね・・・」
ルヴァが喋るとその息も白くなる。
「ははん、そろそろ来るかな?」
オリヴィエの息も白い。
「・・・何だか冷え込んできちゃった。今日は、もう諦めて帰ろうかな・・・」
アンジェリークが勢いよくベンチから立ちあがった瞬間、ぱらり・・・と彼女のほほに何か冷たい感触・・・
「!!!」
ぱっ、とアンジェリークは空を見上げた。はらはらと音も立てずに舞い降りる白い粉・・・
「きゃ!雪だ」
そう言うと、暫くアンジェリークは空を凝視していた。みるみる雪は降る量を増してきている。
「これは、リュミエール大博打にでたねえ」
「え?なぜですかー?オリヴィエ」
「だって、さっむいじゃないさ。あんまり寒いから、アンジェリークがさっさと帰っちゃうかもよ。それに、積もるまでに結構時間かかるしね。」
「はーそういわれてみると、そうかもしれませんね。でも、降り初めがまた、わくわくするんですよねー」
ルヴァは、確かにわくわくしているらしい・・・
「わくわくするったって・・・」
故郷の星で散々味わった寒さにうんざりしながらオリヴィエがそう言った時、
「わーい、雪だ!リュミエール様に報告しなきゃー」
アンジェリークはくるっと向きを変えると、上機嫌で自分の寮とは反対の方向へ走っていった。
「・・・ちょっと、行っちゃた。リュミエールのとこだって・・・」
「随分あっさり行っちゃいましたね。これって、判定難しくありませんかー」
「だって、散々昼間探しまくって見つからなかったリュミエールを、あの子、また探そうってんでしょ・・・まったく。」
「結局、この光景を誰と楽しみたいかって、そう言う事なんですねえ・・・」
二人はしみじみと語らいながら、オスカーとリュミエールが待つ聖殿のロビーに向かった。

聖殿のロビーには心配げな二人の守護聖が待っていた。オリヴィエが事の顛末を全て話した。
「・・・そうか。お嬢ちゃん、俺の贈り物を見て、泣いていたのか・・・」
「たった今、アンジェリークがわたくしの私邸に着いたそうです。そのまま待ってもらうように言ってあります。」
判定人が判定を下すまでも無く、オスカーの心には結論が出ていた。
「リュミエール。悔しいがお前の勝ちだ。」
「オスカー・・・」
「俺とお前は、同じ事を考えていたようだな。自分の精一杯の愛情をサクリアに乗せて、彼女に贈った。彼女が自分の事を考えてくれるように。」
そこまで言った所で、オスカーは一息ついてリュミエールのサクリアを込めて降る雪を見つめた。
「アンジェリークは、俺のサクリアを見て、涙を流して綺麗だと感動してくれた。それだけで俺は嬉しい。だが、俺の事を思ってはくれなかった。俺とこの夕日を見たいと・・・感じてはくれなかった。 だが・・・このおまえのサクリアを見た途端・・・彼女はお前を捜しだした。一度は諦めたのにだ。」
そこまで言うと、オスカーはくるりとキビスを返して聖殿の外へ向かって歩き出した。その後を追うようにリュミエールは歩を進めながらオスカーに話し掛けた。
「オスカー。アンジェリークはわたくしにお任せ下さい。必ず・・・」
「それ以上言うな。わかっているさ。俺達は決闘して奪い合ったんだからな・・・」
オスカーは、一度も振り返ることなく雪の夜の飛空都市に消えていった。

リュミエールの私邸の窓辺にほおづえをついて、さっきからアンジェリークはずっと雪の降る空を見上げていた。静かに降りしきり、確実に積もっていく雪はまるでリュミエール様の様だと考えながら・・・
そしてリュミエールの贈り物が飛空都市一面に降り積もる頃・・・アンジェリークは待ち望んでいた瞬間を、迎えることになった。。。

Fin
to desk