桃の節句の桃企画 
桃の節句に因んで、こんな『桃』はいかがでしょう? 
女王試験も終盤を迎え、育成でロザリアに大きく遅れをとったアンジェリーク。
たった今、遊星盤で見て突き付けられた現実に…パスハのお説教に…
つい、大好きなリュミエールの執務室に来て、泣き言を言ってしまいました。
 
「アンジェリーク。大丈夫ですよ。」
 
さっきから、頭の上に乗せられたリュミエールの顎が、彼の優しい声を振動に変えてアンジェリークの頭蓋骨に伝えている。
 
「アンジェリーク。あなたの頑張りは皆さんよく存じ上げています。大丈夫。大丈夫です。」
 
尚も、声は響く。
リュミエールが優しい言葉を掛けてくれればくれるほど、アンジェリークの張り詰めた心はだんだん弱く、もろくなる。
 
突然、リュミエールは思い立った様にアンジェリークの手を引っ張ると、つかつかと…日頃の彼からは想像もつかないような勢いで…執務室から出ようとした。
 
「リュミエール…様?」
 
アンジェリークが半べその顔を上げ、リュミエールの顔を覗き込む。
もしかして、怒っちゃいました?
しかし、リュミエールはそんなアンジェリークに笑顔を向けると
 
「わたくしに、ついてきて下さいますか?」
 
と問い掛ける。
もちろんアンジェリークは頷いた。
 
 
 
聖地にも、聖地の住民専用のシャトル乗り場がある。
聖地からの出発先では、同じ主星へ行くものが一番本数も多い。
リュミエールは有無を言わさず、今にも出発しようという、主星の首都に向かうシャトルに乗り込んだ。
 
「…アンジェリーク、驚いていますね。」
 
シャトルのロイヤルシートに座ると、可笑しそうにリュミエールがアンジェリークを小突く。
当然でしょう。
オスカーなら話しは判るが、リュミエールなのである。
あの…リュミエールなのである。
 
「ふふ、わたくし、守護聖に就任してからというもの、実は聖地から出るのはこれが初めてなのですよ。」
 
今日のリュミエールは、まるで幼い少年の様だ。
瞳をきらきらと輝かせて、すごく楽しそう。
楽しそう。
いつしか、そんなリュミエールの表情を見ているアンジェリークも楽しい気持ちになっている。
リュミエールのマジック…
そんな気がした。
 
 
程なくして、機内アナウンスは着陸地点が近づいた事を告げる。
ガタン
ガタタタン
ギューン……
 
 
 
初めて降り立つ主星の首都…
アンジェリークが住んでいた所からは少し離れた所だった。
そして、女王候補に召されてこの地を後にしてから、主星では幾世紀かが過ぎていた。
 
ここまで様相が変わると、郷愁とは又違った感情が沸いてくる。
アンジェリークは久し振りに胸が高鳴るのを感じていた。
そう。
リュミエールと気持ちが通じ合った、あの時の様に…
 
リュミエールは、とても初めて来たとは思えないほどの確かな足取りで、繁華街に入っていく。
一方、この様な所はアンジェリークにとっては未知の場所。
幾分不安な気持ちで、リュミエールの手をぎゅっとつかむ。
 
「おや?どうしました?」
 
アンジェリークの気持ちなんかお見通し…
そういった表情でリュミエールが振り返る。
 
「リュミエール様…ここは?」
「ふふ..ここは、オスカーがよくお忍びで来る所なのですよ。話しだけは何度も聞かされましたから、何となく想像がついてました。」
 
面白そうに、辺りと不安なアンジェリークの顔を見比べながら、リュミエールはアンジェリークの手を再びしっかりと握ると歩き出した。
もう、真夜中だろうに、まるでここには時間が存在しないようだ。
陽気に人々が徘徊している。
客引きが何度も2人に声をかける。
酔っ払いが2人をひやかす。
何を間違えたのか、それともそういう趣味なのか、リュミエールを熱心にナンパする男も居た。
ややもすれば、非常に不愉快な思いをしてもおかしくないこれらの事が、ここでは普通に行われている。
アンジェリークも、リュミエールと一緒に手をつないで歩いていると、起こること全てが楽しくさえ感じられる。
リュミエールもまたしかり。
 
「ふふ,,,オスカーが普段ああなのも、何だか納得出来ちゃいますね。」
 
熱心に男に口説かれた後、リュミエールは非常に楽しそうにそう言った。
そう言えば、今リュミエールをナンパした男の口調はオスカーに似ていたかも知れない。
 
ナンパ師=あんな感じ
 
そういう図式がたった今、リュミエールの頭の中に構築されたようだ。
アンジェリークはそれが可笑しくて、くすっと笑う。
リュミエールもつられて笑う。
 
「あ、着きました。ここです。」
 
リュミエールが立ち止まった、その先にはクラシカルな構えのバーがあった。
 
「…ここは?」
 
どうしてこんなお店を知っているの?
アンジェリークはそう言いたげにリュミエールの顔を見上げた。
 
「オスカーが、見事落とした女の子をここに連れてくるとまず失敗しない、と嬉しそうに言っていたんですよ。とっても雰囲気がいいそうなんです。」
 
…落とした女の子
リュミエール様にとって、それは私なのだろうか
 
リュミエールのエスコートで店内に入る。
店内は薄暗い。
ウエイターに案内され、窓際のカウンター席に通される。
テーブルは木造だ。
リュミエールの横に並んで座ると、丁度目の前に星空が広がっている。
窓の外がプラネタリュームになっていて、それがこの店の「ウリ」になっている。
オスカーが好んで来る訳だ。
でも。
リュミエールもアンジェリークも、クラヴィスの事をふと、思い出していた。
2人の目の前に輝く「ティアードロップ」
この星座にはそんな名前が付けられていた。
もう、何代も前の闇の守護聖の伝説が今も、星座の名前の由来と共に語り継がれている。
 
…闇の守護聖が、この宇宙に闇の安らぎのヴェールを架けるとき
  一粒の宝石が、光の七色を屈折させて闇の色を紡ぎ出す
   その宝石の形は ティアードロップ ひとりの少女の流した涙の結晶
    この宇宙に毎夜闇が訪れるとき 闇の守護聖はこの宝石を手に取り 悲しみの光を集めて、闇夜に変える…
 
アンジェリークも、子供の頃夜空にこの星座を見付ける度に、この伝説を思いだし訳も無く心が切なくなった。
リュミエールの肩に、そっと寄り添う。
リュミエールは優しくアンジェリークの手を取った。
 
「ご注文は…」
 
「このお店のお勧めはなんでしょうか?」
 
リュミエールは、初めて聖地を抜け出したとはとても思えないほど優雅に振舞っている。
アンジェリークは全てが未知で、どぎまぎしているというのに…
 
「目の前に見えてございます星座の名前、『ティアードロップ』というカクテルになりますが。」
 
「では、それを2つ。」
 
オーダーをした後、リュミエールはアンジェリークの顔を優しく覗き込む。
 
「それで、よかったでしょうか?」
 
「は、はい!」
 
アンジェリークは大きくひとつ頷く。
カクテルなんて何が何だかさっぱり判らない。
リュミエールはにっこり微笑むとメニューを手に取った。
 
「何を召し上がりますか?わたくしのアンジェリーク。」
 
からだがむずがゆいような感じがした。
わたくしの…
今すぐ身をよじりたいくらい、その台詞はくすぐったかった。
今日は、ここ数日の自分の鬱状態が信じられない程、幸せな日だ。
一体、今日は何の日?
私の誕生日って訳じゃない。
何かのイベントがある日でもない。
もしかして
私を元気付けるために…?
リュミエールは楽しそうにメニューを広げて、アンジェリークに見せている。
その、リュミエールの気持ちが、アンジェリークには涙が出るほど嬉しかった。
ティアードロップ
今まで、あの伝説の涙は悲しい涙なんだとばかり思っていた。
でも。
もしかして
あの宝石は、闇の守護聖を愛した少女の、幸せの涙だったのかも知れない。
悲しみの光を、安らぎの闇に変えられるほどの…
 
傍らにリュミエールが居る。
優しく、私を見つめている。
胸がいっぱいで、食べるものなんか選べない…
 
ぐぅ〜…きゅるる…
 !!!!
 
「さあ、どれでも好きなものをお選びなさい。」
 
リュミエールが笑いながらメニューを、更にアンジェリークに近づける。
アンジェリークは顔から火が出る思いだった。
 
「…もう。ムードぶち壊しですね。」
 
そう言って、舌をぺろっと出して見せる。
リュミエールは、そんなアンジェリークを愛おしそうに抱き寄せた。
 
「そこが、あなたの可愛らしさなんですよ。わたくしの前では、常に自然体のあなたで居てくださいね。」
 
星空が見える、ムード満点のバーのカウンターに座って、お腹が鳴った自分を可愛いと抱き寄せる。
世界中の、誰よりも誰よりも、そんなリュミエールが大好きだ。
アンジェリークは改めてそう、思う。
この方を愛して、良かった、と。
 
「お待たせ致しました。」
 
2人の目の前に、星座と同じ名前を頂く『ティアードロップ』というカクテルが置かれた。
薄暗い店内で、それは深い青色に見えた。
 
「・・・アンジェリーク、ご覧なさい。」
 
リュミエールが、壁の照明にカクテルを透かして見せると、深い青の色彩の中に、淡い紫色が揺れている。
 
「わぁ…綺麗。」
 
「まるで、クラヴィス様のアメジストの様ですね。闇の守護聖のイメージは、いつの時代も同じなのでしょうか。」
 
リュミエールは、穏やかにそう言うと、カクテルに口をつける。
アンジェリークも、リュミエールと同じ様に振舞ってみた。
カクテルは、甘かった。
いつか、どこかで聞いた事がある。
涙の味
悲しい涙は塩辛いらしい。
嬉しい涙は甘いらしい。
やっぱり…
アンジェリークは、嬉しくなった。
見るたびに心が締め付けられる様に感じていた星座 ティアードロップ。
でも今、アンジェリークの中でこの星座は幸せの象徴に変わった。
リュミエールと、自分と、2人の甘美な、今夜という想い出の星座に。
 
いつ、頼んだのだろう…
気が付くとアンジェリークの目の前には食べ物が並んでいた。
さっきメニューを見ながら、美味しそうだなと目を付けていたものばかりが。
リュミエールは、自分の心の中も、お腹のなかも、判っちゃうのだろうか。
なんだか、それが途方もなく嬉しい。
私の事を、なんでも理解している。
そして、その全てを包んでくれている。
それが、アンジェリークの勝手な錯覚だとしても…
 
「ここは食べ物も美味しいですね。オスカーは、とてもセンスがいいのですね。」
 
リュミエールが、香草のサラダをつつきながら嬉しそうにアンジェリークに話しかける。
リュミエールの、人を誉める姿も大好きだ。
何もかも。
そう。
アンジェリークだって、リュミエールの事を見つめている。
リュミエールの様な慧眼こそ持ち合わせていないだろうけれど、誓ってリュミエールの事を「あばたもえくぼ」で判ったつもりになっているのではない。
彼の、素敵な所もちょっと頑固な所も、そして弱い部分も…
リュミエールは、2人の心が通じ合ってからというもの内面を少しづつ、アンジェリークにさらけ出す様になっていた。
そして、
リュミエールの、弱い部分を見る度に…
自分と同じ人間である事を実感する度に…
2人がお互いに必要とし合っている事を確認する度に…
日に日に、リュミエールへの想いはいっそう強くなっていった。
 
「美味しい。リュミエール様…わたし、本当に嬉しい。」
「ふふ。アンジェリークの喜ぶ顔が、わたくしの1番のご馳走ですよ。」
 
満足そうに、リュミエールはアンジェリークのほほを軽く指先で突つく。
そうして、幾時間を過ごしただろう…
恋人達に、夜の時間はどれほど与えられても足りる事はない。
特に、美しい景色と美味しい食事、口当たりのいいお酒が揃ってしまったら…
 
いつもより饒舌になっていたアンジェリーク。
お水の様に何倍も『ティアードロップ』を空けた。
口当たりの良いカクテルほど、アルコール度数は高かったりする。
初めて下界に遊びに来たリュミエールは、そこまでは配慮しきれなかった。
リュミエールは、体質的に酒が強い。
だから、てっきりアンジェリークも自分と同じ状態だと思っていた。
第一、リュミエールは普段、不特定多数と酒を酌み交わす事なんて無かった。
オスカーやオリヴィエが押しかけてきて飲む事はあったが、彼らはザルだ。でも、リュミエールの基準は、悲しいかな今の今まで彼らだったのだ。
 
「大丈夫ですか?アンジェリーク…」
 
アンジェリークはさっきから、リュミエールにしがみつきながら、陽気に歌を歌っている。
単なる酔っ払いなのだが、リュミエールが心配なのは、彼女が真っ直ぐに歩いていない事。
自分が支えているから前に進んではいるが、手を離せば恐らくすぐに転ぶだろう。
 
「へーきへーきです〜♪」
 
リュミエールへのお返事まで歌になっている。
こんな陽気なアンジェリークも可愛い。
そんな風に感じている自分が可笑しくて、でもアンジェリークがこんなになるまでお酒を飲ましてしまった自分が情けなくて。
 
シャトル乗り場に着いた。
まだ、聖地に向かうシャトルもある筈だ。
リュミエールは、それだけはちゃんとチェックしていた。
オスカーが帰ってくる時間に比べれば、まだまだ宵の口だ。
これからシャトルで聖地に向かって、聖地の彼女の特別寮に彼女を送り届けても、時計の針はまだ上半分にある筈。
そして明日は日の曜日。
お昼から、ゆっくり起きたって大丈夫。
そんな事を考えながら、乗降口に向かおうとするリュミエールの耳に、か細いアンジェリークの声が聞こえた。
 
「…リュミエール、さま…きもちわるい」 
「え?」
 
アンジェリークは、へなへなとその場に座りこんだ。
リュミエールは慌ててしゃがみこむと、アンジェリークの顔を覗き込んだ。
顔が白い。
おでこに触れてみる。
ひんやりと冷たかった。
…貧血を起してしまったようだ。
これでは、シャトルになどとても乗せられない。
とりあえず、リュミエールはアンジェリークをそっと抱えると、シャトルの乗降口にある待合室の椅子に座らせた。
 
「リュミエールさま。ご心配おかけして、ごめんなさい。」
 
さっきまで歌っていたのはどこへやら、アンジェリークはちいさな声でそう呟く。
よほど、辛いのだろう。
アンジェリークは身じろぎひとつしない。
 
「アンジェリーク。わたくしの膝に頭を乗せるといいですよ。」
 
リュミエールは、アンジェリークの隣に座ると、そう言ってアンジェリークの肩を優しく自分の体の方に引き寄せた。
ちょうど、膝枕のように。
リュミエールの膝にアンジェリークの上半身が乗る。
貧血の時は、頭をなるべく低い位置に置いた方がいい。
暫らくそうしていた。
そんな時間も、2人にとっては幸せな時間に違いなかった。
アンジェリークには、どんなに辛いときでもリュミエールに守ってもらえている事が実感できる幸せを。
リュミエールには、アンジェリークが自分に全てを預けてくれている事を確認できた幸せを。
 
 
ようやくアンジェリークが身を起せる様になった時、その日最後の聖地行きのシャトルが飛び立った。
 
「ちょっと、ここで待っていて下さい。」
 
リュミエールは、別段動揺もせずに待合室にある公衆電話へと向かう。
アンジェリークは、リュミエールに対して申し訳無い気持ちで一杯になると同時に、こんな状況でも落ち着いているリュミエールが頼もしく思えた。
しかし、リュミエールは一体どこに電話しているんだろう。
もちろん、いくらここが主星だと言えど、聖地に電話が繋がる事はあり得ない。
聖地は、完全に下界と遮断されているのだから。
では、リュミエールはこの主星の、聖地ではないどこかに電話をしている事になる。
アンジェリークが、不思議に思っていると、リュミエールがほっとしたような表情で戻って来た。
 
「アンジェリーク。少し歩けますか?」
「はい。もう大丈夫です。」
「では、もうすこしだけ頑張って下さいね。」
 
リュミエールが、アンジェリークを気遣う様にそっと自分の方に抱き寄せる。
アンジェリークは、まだ酔いの抜けきらない頭で、この状況に夢見ごこちになっている自分をぼんやりと感じている。
 
…これから、どこにいくんだろう?
 
今、世界中ですがれるのはリュミエールただ1人。
リュミエールさえ傍に居てくれればそれでいい。
アンジェリークは、リュミエールの背中でゆらゆら揺れながら、リュミエールに対する愛おしさで今にも泣きそうだった。
 
リュミエールさまはまるで海のように
わたしを優しく包んでくれる
まるで、海に浮かぶ小船のように
ゆらゆら揺れている…
 
 
 
「済みません。ちょっとここで待っていて下さいね。」
 
リュミエールの声に、ふと我に返る。
アンジェリークはいつのまにか眠っていた自分に気がついた。
今度はふかふかのソファーに座っている。
リュミエールはフロントに向かって歩いている。
…フロント?
辺りを見まわす。
豪華なシャンデリアにきらびやかな内装。
シャトル乗り場に程近いところに、主星の中でも高級の部類に入る格式あるホテルがある。
ここは、どうやらそのホテルのロビーのようだ。
…さっき、電話をしていたのは、ここに部屋を取るため?
私が、貧血起しちゃったから?
 
「行きましょうか。歩けますか?」
 
こちらに戻って来たリュミエールがアンジェリークに手を差し伸べる。
アンジェリークはリュミエールに抱きついた。
 
「おやおや、その様子では…。安心しました。」
 
リュミエールは微笑むと、アンジェリークの肩を抱いて非常にゆっくりとした足取りで歩き出す。
エレベーターの扉が閉まると、リュミエールはアンジェリークの髪を優しく撫でた。
 
「済みません。わたくしがあなたにあんなにお酒を飲ませてしまって。今日中にお部屋にお送りする事が出来ませんでした。」
 
そんな事を言い出すリュミエールに、アンジェリークは慌ててかぶりを振った。
 
「いいえ!私の方こそ、調子に乗って何も考えずに飲みすぎちゃって…」
 
アンジェリークがそこまで言うと、リュミエールはアンジェリークを抱き寄せた。
 
「…そういう事は、もうお互い言いっこ無しにしましょうか。」
「はい。」
 
エレベーターの扉が開く。
随分上層階まで来たようだ。リュミエールはきょろきょろしながら、キーと壁に掲げてある部屋番号の表示とを見比べている。
…まさか。
いま、アンジェリークの脳裏にふと、懸念が浮かぶ。
リュミエールさまの事だ。
お部屋を2つ、取っているかも。
朝まで、別々のお部屋で休むつもりかも…
つい今しがた迄、リュミエールの腕枕で眠れる幸せを期待していたアンジェリークだったが、そう考えると確かに怪しい。
リュミエールの事だ。
添い寝するつもりなら…そんな野望を抱いているなら…こんなにあっさりと自分をエスコート出来るだろうか?
リュミエールの顔を見上げる。
極めて涼しい顔で−少なくともアンジェリークにはそう見えた−部屋番号の表示を確かめながら廊下を進んでいる。
片手でしっかりと自分を抱き寄せながら…
こういう時…
アンジェリークは想像してみる。
欲望を抱いた男の人だったら、変に緊張していたり、不自然な行動をしたりするものなんじゃ、ないのかしら?
やっぱり、彼はあくまで紳士的に振舞うつもりなのか。
自分の方が、彼よりもよっぽど不謹慎なのかしら…
アンジェリークがそう考えていると、リュミエールが1番端の扉の前で止まった。
 
「さあ、ここですよ。」
 
リュミエールは、背後からアンジェリークの肩を両手で包み込む様に持つと、扉の前に立たせた。
アンジェリークがリュミエールの方をくるりと振り返ると、リュミエールはアンジェリークの手を取りくちづける。
 
「では、わたくしはこれで。」
「いやです!」
 
リュミエールは、アンジェリークが1番恐れていた台詞を口にした。
その、リュミエールの台詞に弾かれる様に、アンジェリークはリュミエールにひしっと抱きついた、
 
「逃がしませんよ!ぜったい、一緒に居て下さい!」
 
お酒の所為か…アンジェリークはいつもより数倍大胆になっている。
リュミエールは、くすりと笑うと、かがみ込んでアンジェリークのほほを両手で包んで目線を合わせた。
 
「嘘ですよ。」
 
「!」
 
次の瞬間、リュミエールはアンジェリークを抱きすくめながらキーを差し込んで扉を開くと、中に入って錠を下ろした。
アンジェリークはもう、何が何だか判らない。
判るのは、リュミエールが自分と一緒に眠ってくれると言う事。
リュミエールに促がされるままに部屋の奥にすすむ。
部屋の窓からは、眼下にさっき2人で過ごした繁華街のネオンが、夜空にさっきのプラネタリウムと同じ星空が広がっていた。
でも。
アンジェリークの心には、またも失望が広がっていった。
ツインなのだ。
ベッドが2つあるのだ。
ああ…こういう事だったのか。
リュミエール。
一筋縄ではいかないようだ。これだから…
 
 
今度も、アンジェリークの懸念はあっさりとあざ笑われた。
リュミエールが、自分にくちづけた。
こんどは、くちびるに。
リュミエールの手は、しっかりとアンジェリークの体を包み込んでいる。
包み込む手が、アンジェリークの体を優しく撫でている。
うん。
今度こそ。
これは、いい感じ。
アンジェリークは、自分の体が火照っているのに気が付いた。
すっかり、リュミエールの、普段からは想像もつかないような情熱的なキスに興奮してしまっている。
 
アンジェリークが、自分からもくちびるを動かそうとした矢先、リュミエールのくちびるが自分から離れた。
 
「さあ、もう朝まであまり時間がありません。明日は、午前中のシャトルで聖地に戻らないと。外泊がばれたら大変ですからね。」
 
そう言うとリュミエールは、アンジェリークの体をひょい、と抱えると窓側のベットに横たえ、シーツを掛けた。
そして、自分は残りのベットに入る。
あぁ、やっぱり。
アンジェリークは軽く落胆する。
ま、これがリュミエールさまなのよね。
リュミエールは、アンジェリークに笑顔をむける。
 
「電気は、真っ暗でも大丈夫ですか?」
「はい。」
「では、おやすみなさい。アンジェリーク。」
「リュミエールさま、おやすみなさい。」
 
ぱちん
 
リュミエールがスイッチを切る。部屋にはやっと、夜が訪れた。
暫くは、アンジェリークの鼓動だけが、賑やかな様だったが。
 
 
 
…一眠りしただろうか。
リュミエールは、お酒の酔いの所為か…ふと、目が覚めた。
隣のベットには、自分の天使が眠っている。
静かな寝息がなんとも可愛らしい。
気が付くと、なんと服を着たまま眠っていた。
自分も、相当酔っていたらしい。これでは服が皺々だ。
明日、こんな服を着た2人を誰かに目撃される訳にはいかない。
見ればチェストの上にバスローブが2枚置いてある。今のうちに、脱いで掛けておけば明日には皺も取れている筈。
リュミエールは、さっさとバスローブに着替えた。
そして、すやすやと眠っているアンジェリークに目線を移した。
アンジェリークに近寄って、そっとシーツをめくる。
やっぱり。
服を着たまま眠っていた。すでに皺が寄っている。明日、このまま街を歩かせるのは可哀想だ。むろん、服を買って着替える時間などある筈も無い。聖地に着くのが午後になってはまずいのだ。
リュミエールは、アンジェリークを起そうとして、そしてためらって。
結局、気持ちよさそうに眠っているアンジェリークを起す事は出来なかった。
そっと、シーツをまくる。
幸いな事に、アンジェリークが着ている服は前ボタンだ。何とか起さずに脱がせる事が出来るかも知れない。
この時点では、リュミエールには『男の欲望』など存在していなかった。
あるのは、極めて純粋培養の愛情のみ。
そっと、ボタンを全て外した。
上着を脱がす為に、ゆっくりとアンジェリークの肩を抱え上げる。
そして、しっかりと抱きかかえながら、肩から上着を脱がし腕を曲げて袖を抜く。
リュミエールが、以上の作業を終えたとき、アンジェリークの上半身は白いレースの飾りのついたキャミソール姿になっていた。
ぴく
『男の欲望』がちょっぴり頭をもたげる
ふるふる
リュミエールは、慌ててそれを振り払うとスカートの存在に気がついた。
…これを脱がせるのですか。
たった今しがた、自分の中に眠る『男の欲望』の存在を自覚してしまったリュミエールには、これはちょっと酷な作業に思われた。
しかし、やっぱりスカートも可哀想なくらい皺くちゃになっている。
アンジェリークの為ですからね。
リュミエールは変な使命感に助けを借りて、アンジェリークの下半身を覆うシーツを更にめくった。
スカートの裾は完全にまくれて、アンジェリークの白い大腿部が闇にほの白く浮かび上がって露になっている。
ぴく
あ、また…
リュミエールは再びふるふると頭を振って、『男の欲望』を鎮める。
 
「う…ん、」
 
アンジェリークの睡眠が、ちょっぴり浅くなった様だ。
今、彼女が目を覚ましたら…
妙な事を考えて、リュミエールに緊張が走る。
ハッキリ言って、この状況では間違い無く自分は犯罪者だ。
服の皺が…
そんな事を説明する前に、びんたが飛んできてもおかしくはない。
いや、それよりも
アンジェリークがショックを受けて泣き出してしまったら…
それは、困る。
リュミエールは刹那、固まった。
しかし、アンジェリークは又、寝息をたてだした。
しかも、リュミエールの腕に絡み付いて。
これはこれで、かなり困る。
身動きが取れない。ちょっと自分が動いても、これじゃあアンジェリークにすぐに振動が伝わってしまう。
リュミエールは、取り敢えずアンジェリークにシーツを掛け直すと暫くその場で固まっていた。
 
「…ん…」
 
再びアンジェリークの睡眠が浅くなる。
この状態で、目を覚まされてはたまらない。
リュミエールは再び緊張を全身に走らせた。
 
「リュミエールさま…リュミエールさ、ま。もっと…」
 
リュミエールは驚いた。
目が覚めたのですか?!
しかし一瞬の後、それが寝言だと判る。
眠っている間も、自分の名前を呼んでくれる。
その事が、リュミエールはたまらなく嬉しかった。
 
「もっと…傍に来て下さい。」
 
アンジェリークのその台詞と同時に、リュミエールはぎゅっとアンジェリークに腕を引っ張られた。
 
「あぁ!」
 
どさ
リュミエールは、突然の出来事に抗う余裕も無く、引き寄せられるままにアンジェリークの身体の上に覆い被さる様な体制になった。
 
「ん…」
 
アンジェリークがゆっくりと目を開ける。
自分のすぐ上にリュミエールが居る。
その事が判った途端、アンジェリークは嬉しくてリュミエールにぎゅっと抱きついた。
リュミエールの鼻腔を、アンジェリークの髪の香りがくすぐる。
リュミエールのバスローブがはだけた胸に、アンジェリークのバストのやわらかな感触が当たる。
ぴくぴく
『男の欲望』再び
今度は引っ込みがつきそうにない。
リュミエールの、長年の男の経験がそう告げている。
果たしてアンジェリークの方も。
就寝間際に、中途半端に途切れた期待がまだ、身体の芯に残っていた様だ。
 
どちらからともなく、くちづける。
寝ぼけた頭の所為だろうか
まだ酔いが抜けきれていないからだろうか
そのくちづけは、就寝前のそれとは違った。
相手のくちびるを
相手の舌を
知り尽くすのが目的なのであろうか…そう、疑いたくなるような、そんなくちづけ。
 
アンジェリークの足がリュミエールの足に絡み付く
ぐぐぐ…
『燃える欲望』の登場
リュミエールはもはや、こいつを押しとどめる事を諦めていた。
手遅れです。アンジェリークのこの挑発にはとても抗えません。
キャミソールの中に、そっと手を滑り込ませる。
アンジェリークはぴくっと身じろぐ。
 
「もう、わたくし後には引きませんよ。アンジェリーク。覚悟して下さいね。」
 
耳元で、リュミエールがそう囁く。
アンジェリークが待ち望んでいた、夜のリュミエールの出現。
こんな時。女の子は、優しい中にも、ちょっぴり強引にされたいとも思う。
アンジェリークが想像していた通り。やっぱり、リュミエールは本当の意味で優しい男だった。
攻め時を了解しているのだ。
 
「きゃん♪」
 
アンジェリークはわざと、シーツに顔を埋めた。リュミエールが、それを剥がしに来る事を期待して…
 
 
 
「ふふふ、逃がさないっておっしゃっていたのはあなたの方ですよ。アンジェリーク。」
 
リュミエールの囁きが真近で聞こえる。
みしみしと、リュミエールが動く度にベットが軋む。
 
 
リュミエールは確かに自分の上に体重をかけている。
どうして、シーツを剥がしてくれないの?
 
そんなアンジェリークの戸惑いは、あっさりと掻き消える。
突然、シーツがむぎゅっ、とアンジェリークのくちびるに押し当てられた。
シーツ越しに、柔らかい感触が伝わってくる。
シーツ越しの…kiss
そのまま、アンジェリークの身体じゅうにシーツが巻かれていく。
そっと、顔のシーツがめくられる。
暗闇の中に、リュミエールの瞳があった。
少し酔っているのか
それとも…
リュミエールの瞳はある意味妖しくさえ見えた。
アンジェリークの視線を捕らえて離さない・・・
 
「アンジェリーク。わたくしの天使。今宵ひととき、わたくしだけの…」
 
 
 
そうして、長く、短い夜は終わりを告げる。
疲れ果てて幸福の中、眠りについた恋人達を、けたたましく起こすベルの音。
 
「んー…」
 
アンジェリークは目を覚ましたが、まだリュミエールの腕枕に包まれていたい。
リュミエールは、ぼんやりと目覚ましを眺めていたが、やがて意識が戻ってきたのかハッと起きあがる。
 
「やーん。まだ起きちゃ。」
 
アンジェリークがリュミエールの腕に絡み付いてくる。
リュミエールは、そんなアンジェリークに微笑を浮かべておはようのキスをする。
優しく、包み込むように抱きしめる。
幸せな朝。
聖地でも、こんな朝を迎えてみたい…
 
 
昨夜の自主的な『燃える欲望』とは、その趣旨を異にするが
自然現象として毎朝この状況が自分にある事を、リュミエールは今の今まで忘れていた。
スタンバイO.K.になっているのである。
あぁ
わたくし、キャラクターが変わってしまいそうです
リュミエールは、それでもようやくそんな『燃える欲望』を押しとどめ、ゆっくりと身を起す。
 
「さあ、アンジェリーク。名残惜しいですがそろそろ聖地に戻らないと…」
「はぁい。」
 
アンジェリークははにかみながら、リュミエールの傍らで身を起す。
剥き出しの肩がなんとも艶かしい。
ふるふる
いとおしい天使と迎える真夜中のひとときと目覚めの時が、こんなにも自分との戦いを強いられるものだとは。
…知りませんでした。
リュミエールは、すこし自嘲気味に微笑む。
他の方も、この様に苦労されているのでしょうか…
いつも軽快に女性のエスコートをしている、心の葛藤とは最も無縁な所に居そうなオスカー。
彼がいつも、こんな苦労をされていたなんて。
すこし、リュミエールの心が動く。
今度オスカーとお酒を飲む機会があったときには、もう少し、彼の話しをよく聞かなければ…
 
 
瓢箪からコマ?
それが理由で、昨晩衝動的にあんな過ごし方をしてしまった。
服の皺は、それでも少し名残を留めていた。
極力誰にも合わない様に、アンジェリークをお部屋に送らなければ。
リュミエールは、フロントでチェックを済ませると大急ぎでアンジェリークの手を引っ張り、シャトル乗り場に向かった。
 
幸い、すぐに聖地に飛び立つシャトルがあった。
乗降手続きを済ますと、登場口のゲートが開くまでの短い間、待合室で待機をする。
 
 
リュミエールがふと見ると、アンジェリークが真っ赤になって俯いている。
一瞬の後、今2人が座っているのは、昨晩と同じ場所である事に気づく。
アンジェリークは、それに一足早く気が付いていた様だ。
確か…ここで長い間アンジェリークを膝枕していた。
昨晩の事なのに、夢の様だ。
 
乗降口の扉が開く。
 
 
〜只今より、聖地行きのシャトルの乗降手続きが始まります。フライトまで15分となっております。お早めに乗降口へお越し下さい〜
 
 
「…アンジェリーク。参りましょうか。」
「はい。リュミエールさま。」
 
 
忘れられない二人の、桃色の想い出
 
 
アンジェリークが乗降口に足を掛けた時、リュミエールがそっと彼女に囁いた。
 
「また、2人で来ましょうね…」
 
アンジェリークのほほが、桃色に染まった。
 
  
          F i n
  …いかがでしたでしょうか? 馴れないスイート路線に、ついリュミエールさまのキャラが走って(~_~;)しまいましたが。
   お楽しみ頂けたなら幸いです(*^_^*)
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