初 恋

 by ayarin
「まあ、マルセルさまったら…。こんな所でお昼寝なんて。」
 
女王補佐官を務めるロザリアは、何に対しても完璧主義で仕事に厳しい事は有名だった。
守護聖、特にジュリアスが舌を巻くほどのそんなロザリアが、唯一甘い顔を見せてしまうのが、
いまロザリアの目の前ですやすや寝息を立てている緑の守護聖マルセルだった。
まだ執務時間中だと言うのに、
常習犯のクラヴィスやゼフェルではないのに、
公園のテラスでお昼寝をしているマルセル。
そんなマルセルにそっと自分が羽織っていたショールをかけると、ふとロザリアは以前にも同じ事があったのを思い出していた。
 
 
 
ロザリアは、幼少の頃から広い屋敷に住み、英才教育を受けて過ごした。
その為、初等学級に入学する歳まで同じ年頃の子供と遊んだ事すらなかった。
話し相手は家庭教師やばあやがほとんどで、小さな頃から大人びていたのだった。
 
そして、精神年齢が人よりちょっぴり高いロザリアは、同じ年頃の男の子とはしゃいだ経験もなく、女王候補として召された。
 
 
それは、ロザリアがこの飛空都市に来てしばらくした頃の事。
ある朝突然、ロザリアの部屋のドアのチャイムが鳴った。
 
「こんにちはー!!ロザリア、居る?」
 
元気のいいその声は、マルセルだった。緑の力を司る守護聖。
 
「どうぞ、お入りになって。」
 
そう答え終わらないうちにマルセルは、転がるようにロザリアの部屋に入ってきた。
 
「よかった♪ロザリアが居てくれて!!早起きして頑張って来てみて正解だったねっ、チュピ。」
 
チュピ…青い小鳥がマルセルの頭の上をパタパタと飛び回っている。
…マルセル様はとってもこの小鳥を可愛がっている。
…前にアンジェリークがマルセル様のペットの小鳥≠ニ、ペット呼ばわりしただけで、マルセル様ったらプンプンに怒っていらしたもの。
 
「チュピ、ごきげんよう。」
 
ロザリアはその事を思い出すと、青い小鳥に対して礼儀良く挨拶をする。
案の定マルセルは満面の、まるでとろけてしまいそうな笑顔でロザリアの横にぴょんと寄り添ってきた。
 
「うふふ。ロザリアって、とっても心が優しいんだね。ロザリアもチュピをお友達だと思ってくれてるんだ。良かったねっ、チュピ。」
 
ロザリアの肩に止まった青い小鳥を優しく撫でているマルセル。
フンをしたら承知しなくってよ。
そう思っている事なんて微塵も出さずに、ロザリアもそっとチュピを撫でてみる。
 
「あ、そうだ!今日はロザリアと王立研究院へ一緒に勉強しに行こうと思っていたんだ。ロザリアって、とーっても勉強熱心だから僕、応援したくって。
ね、いいでしょ?緑の力の事なら僕、ロザリアの力になれるかも知れないよ。」
 
“とってもいい思いつきをした。”
 
まさにそんな表情のマルセルの誘いを断る事なんて、とても出来ないような気がしてロザリアは、勉強をするいい機会だとマルセルの提案に乗ることにした。
その時のマルセルの喜びようといったら、緑のサクリアを受けた自然界の春に花が満開になっているかのようだった。
 
 
 
王立研究院の中にある資料室の机にマルセルとロザリアは向き合って座った。
ロザリアの大陸フェリシア。
民の望みと育成資料はどうみてもバランス良く、順調に成長している事が伺える。しかし、ロザリアはそれでも油断などせずに育成を続けていた。
 
「わぁ…力はどれも足りているみたいだねっ。さすがロザリア、育成が上手いんだね。」
 
マルセルが、感心したように瞳をキラキラと輝かせてロザリアを見ている。
ロザリアは、その視線に照れてしまい、思わずうつむいた。
 
「あ…ロザリアってば、ねぇねぇ、顔を上げて。」
 
そうマルセルに言われてそっとロザリアは上目使いに顔を上げた。
真正面にマルセルの笑顔がある。そんな笑顔と、パッと目が合う。
 
「…ふふふ、ロザリア、とっても可愛いね。」
 
そんな、あまりにも思いがけないマルセルの一言で、ロザリアは耳まで真っ赤になって再び俯いてしまった。
自分らしくないその振る舞いに動揺し、ロザリアは更に心臓がドキドキしているのを感じた。
 
その後は、もう何を喋ったんだかどうやって帰ったのかすら覚えていなかった。
只々、自分の鼓動に動揺していた事だけが強く記憶に残っていた。 
 
そんな事があってからというもの、ロザリアはマルセルと一緒に居ると緊張してしまい、自分が自分でなくなったかのような感覚を覚えた。
そして、そんな“もう一人の私”で居る時間がとても愛おしく感じられていた。
一緒に過ごす時間が増えるにつれて、マルセルはこっそりロザリアの大陸に緑の力を贈る様になった。
フェリシアは、豊かで大自然の恵みを思う存分享受する、素晴らしい大陸へと成長していった。
マルセルと一緒に居ることで遊ぶようになったランディーやゼフェル、そしてマルセルがよく遊びに行くため親しくなったリュミエールからも、力の贈り物を受けるようになった。
フェリシアはどんどん発展していった。
でも。
アンジェリークも負けてはいなかった。なによりも首座の守護聖であるジュリアス様の心を射止めていた彼女は、その腹心であるオスカーにも気に入られ、また、何故だか
クラヴィスにもひいきにされていた。
 
そんなこんなで2人の女王候補の育成状況も、守護聖からの信頼も、五分五分と言った所だった。
お互いの大陸にあと一つ建物が建てば女王が決まるという日。
ロザリアはここの所毎晩マルセルから力の贈り物をもらっていて、また、女王になってしまったら、マルセルと自由に遊べなくなってしまう事を考えて、
敢えて育成はせずにマルセルの執務室にお喋りに行くことにした。
 
もしかしたら、最後の訪問になるかもしれない…。
 
複雑な想いは、ロザリアに最高のおめかしをさせるのに充分だった。
いつもよりきつくカールを巻いた髪に、いつもより念入りにリボンを巻く。
薄ピンクのリップをひいて、お昼近くにマルセルの執務室を訪れた。
 
「あっ!!ロザリア、待ってたよ。やっぱり僕の所に来てくれたんだね!」
 
マルセルは、転がるように執務机から飛び出してロザリアの手を掴む。
 
「今日は何?育成?それとも妨害?」
 
「…今日は…。一緒に昼食でもいかが?」
 
「!!!うん。そうしようね!」
 
マルセルは、ロザリアのその言葉を聞くと、急いで簡単な身支度をして執務室を後にした。
 
「じゃあ、僕のうちでお昼にしようよ。さっき従者を使いにだしたから、僕達が到着する頃にはきっとおいしいランチが出来ている筈だよ!」
 
暖かい日差しを浴びながら、2人のんびりと公園を横切る。
花は元気に咲き乱れ、風は優しくほほを通り過ぎていく。
 
こんな風に歩けるのも、これが、最後になるかもしれない。
 
手をつないで、只無言で歩く二人の間にはそんな気持ちが漂っていた。
別に今生の別れになる訳ではない。
そんな事は判っているけれども…やっぱり切ない、女王と守護聖の距離。
これで終わってしまうには、あまりにも2人の季節は短すぎた。
繋ぐ手に、どちらからともなく、ぎゅっと力がこもる。
 
 
 
マルセルの私邸では、無農薬野菜をふんだんに使った料理が2人を出迎えてくれた。
ルッコラのピザ
トマトのサラダ
パンプキンのスープ
そして、マルセルの大好きなチェリーパイ。
2人は、心行くまで2人きりのランチを楽しんだ。
 
 
「ねぇ、ロザリア。」
 
マルセルの私邸の中庭には、色とりどりの花畑に囲まれた小さなテラスがあった。
さっきから、そこに2人で並んで座って、とりとめのない話をしていた。
 
「明日には女王が決まるのに…ここにいて、いいの?」
 
きっと、マルセルはこの言葉を声にするのにたくさん悩んだのだろう。
返事を聞くのが怖いような、そんな表情でロザリアの顔を覗きこむ。
ロザリアも、その事を聞かれるのが怖かったのか、一瞬顔をこわばらせてから、ゆっくり頷く。
 
「ええ。私の育成は完璧よ。もう、やり残した事はありませんもの。」
 
マルセルは、ほっとしたように空を振り仰いだ。
 
「そうだよね。うん。ロザリア、よく頑張ったもん。僕、そんな君の事が…。」
 
そこまで言うと、マルセルは口をつぐんで、何かを躊躇うかのように視線を泳がせた。
 
「…マルセル様。」
 
ロザリアは、次に来る言葉を予想して、胸が痛くなるのを感じた。
…聞いてしまったら。
…次の言葉を聞いてしまったら、きっと私は…。
 
「ねえ、木登りしようよ。ロザリア、木登りした事ないでしょう?」
 
唐突にマルセルはロザリアの手を引っ張って庭にある大きな木の前までやってきた。
 
「え?」
 
あっけにとられているロザリアの手を離し、マルセルはするすると2m程木を登って、一番低い枝に座ると
下に居るロザリアに手を差し伸べた。
 
「さ、ここまで来てごらん。」
 
ロザリアは、固まってしまったまま動かない。
木登り?
それはロザリアにとっては絵本の中の行為でしかなかったのだ。
どうすればいいのか想像もつかない。
そんな事を自分がしてしまってよいのかすら判らない。
それより、さっきのマルセルの言葉の続きが気になった。
どうして、こんな時に木登りに誘うのか?
 
「ロザリア!」
 
尚もマルセルは、木の枝に座ってロザリアに手を差し伸べている。
…マルセル様を、信じてみよう。
 
ロザリアは、思いきってマルセルの手を掴んだ。
 
 
 
 
ほとんどマルセルに引っ張りあげられるようにして、ロザリアも木の枝の上に座った。
一番低い枝なのに、木の上だというだけで、随分と高いところに居るような清々しい気がする。
吹き抜ける風も、心なしかさっきまでとは違う気すらする。
 
「うふふ。なぁんだ、ロザリア、もっと木の上を怖がるかと思ったよ。」
 
「…わたくしを怖がらせたかったの?」
 
ロザリアのそんな問いには答えずに、マルセルはそっとロザリアの手に自分の手を乗せた。
そして、正面に広がる景色を見つめたまま、ふんわりと笑った。
 
「…例えロザリアが女王になっても、こうして一緒に色んな事をしようね。
忘れないでね、僕達が仲良しだって事。」
 
何事もなかったかのように微笑むマルセル。
でも、重ねられた手には力がこもっている。
 本当は離したくない…こんな、2人きりで居られる時間を…。
 だけど、大好きなロザリアを応援したい。
マルセルのそんな気持ちが痛いほど伝わって、ロザリアは胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。
…女王に、なってしまうのだろうか?
…何の為に?
…いま、わたくしが一番望んでいる事は何?
 
だけど、空に薄い夕日のヴェールが掛かる頃、ふたりはマルセルの私邸を後にした。
 
「陽が落ちるまでに女王候補寮に送っていくよ。」
 
マルセルの言葉に素直に頷いた。
 
マルセルの私邸から女王候補寮へ向かう道の途中に、庭園がある。
2人は、どちらからともなく庭園に足を向けた。
ロザリアが女王候補寮に入ってしまえば、今日という日は終わる。
もしかしたら、これが2人きりで過ごせる最後の時間かも知れない。
そんな想いが、自然に2人をそうさせていた。
気が付けば手をつないでいた。
そして、そのままベンチに向かった。
いつもはカップルが占領しているベンチ。今日はそこが空いていた。
そこに座れば、2人は紛れもなくカップルになれる。
…そんな気がして。
 
「あっ!一番星」
 
突然マルセルの甲高い声がした。
 
「ねぇねぇ、ロザリア。まだ空が赤いのに、あそこにもう一番星が出てるよ!」
 
マルセルの指し示す方向に目をやると、控えめに星がひとつぶ、夕闇濃いグラデーションの藍の空に輝いて見えた。
 
「…もう、ロザリアを離したくないよ。」
 
マルセルは、ぼそりとそう呟くとロザリアの膝にそっと頭を乗せた。
 
「…いいよね?こうしていても。いいよね?」
 
ロザリアは、無言でマルセルの髪を撫でた。
本当は、マルセルの余りにも突飛な行動に緊張している。
でも、それ以上に嬉しかった。胸が詰まって涙が出そうだ。
 
「見て、ロザリア。星が見る見る増えていくよ。」
 
そうして、無言で空を見上げていた。
お互いに、黙って相手のぬくもりに心を依存させていた。
明日以降の事など、何も考えずに。。。
 
そうしてどれほどの時間が流れたのだろう。
ロザリアは、微かな寝息に我にかえった。
マルセルは、自分の膝の上ですやすや眠っていた。
 
 安心しているのだろうか?
 こんな…最後の夜だというのに。
 
少し冷え込み始めた夜の空気の中で深呼吸すると、ロザリアはマルセルに、自分の着ていた上着をそっとかけた。
マルセルの、ほんの少し幸せそうな寝顔。
こんな時間が…。
こんなひとときが過ごせただけでも、これから先の人生を生きていける。
例え…女王に即位したとしても。
気が遠くなるほどの、孤独な時間が待ち構えていようとも。
愛する…マルセルのこの温もりを覚えていられる限り。
 
 
 
そうしてロザリアは、マルセルに送られて夜半に女王候補寮に戻った。
 
そしてその夜。アンジェリークの大陸に…
アンジェリークが朝一番で育成の依頼をした、緑の力が降り注いだ。
中ノ島に、緑の建物が建てられ、女王試験は幕を閉じた。
新しい女王に、アンジェリークが即位した。
 
 
 
 
 
暫くそうしていただろうか。
やっとマルセルは、長いお昼寝から目を覚ましたようだ。
目の前で微笑む補佐官ロザリアの顔をみとめて、慌てて飛び起きた。
 
「わわっ、ロザリア…居たんだぁ。起こしてくれればいいのにっ!」
 
マルセルは、一度ぷっと頬を膨らませた後、ふわっとはにかんだ様に笑った。
ロザリアも笑った。
あの日のように優しく…でも、心の中は暖かく満ちていた。
 
 
      Fin

デスク    5000HITキリ番をお踏みになったみーたんさまに「甘いお話」というリクエストを戴きました。
          やはり、甘々は苦手でしゅ〜(^-^;)こんな駄作ですが、どうぞお納めください。