佐原 真氏 を偲ぶ  2002/7/10







2002/4/29、歴博隣り、くらしの植物苑。右から2人目の車椅子に座っているのが佐原氏。
国立民俗歴史博物館 前館長・佐原 真 氏が 2002/7/10、他界されました。 (以降、民俗歴史博物館を歴博と記します)
2002/4/29に、佐倉市の歴博の隣にある「くらしの植物苑」に行ったら、佐原氏の話しが広場で行われていたので、地面に座って聞きました。 題は 「花と木の文化史」 。佐原氏は療養中とのことで、車椅子での原稿なしの話しでした。 頭髪が薄かったのは薬剤投与であったためと今になってわかりました。 司会である辻誠一郎氏がバトンタッチして話す予定もありましたが、話が進むにつれて迫力がだんだん増し、陽光の中、聴衆の大きな拍手で話しは終わりました。拍手はいい話を聞けたという聴衆の表現でした。拍手は大きいだけでなく、なかなか鳴り止みませんでした。 今思うと、佐原氏は自分が学んだこと、自分が考えたことを後人に伝えるために、療養中にもかかわらず無理をして くらしの植物苑 に来られたのでは と思います。

小輩にとって、4/29の話の中で次の3項目が印象に残りました。

1.日本建築が柱構造であるのは地震国に住んだ日本人の知恵
2.日本人は道具を使いやすいように改良した
3.恐竜は花を見て滅んだ


1.日本では木造建築が多く作られてきた。「地震などで倒壊してもすぐ建て直せるから木造建築が作られた。」と言われたが、決してそうではない。柱構造は地震に強い。柱構造の建築には木造が適していた。柱構造の建築は日本に適したものであった。地震の少ない国では壁構造の家が作られ、壁構造ゆえに有する文化がある。壁が厚いことから個人主義が生まれる。(佐原真氏の著書の中には柱構造のルーツは竪穴式住居と書いているものがあります)。

2.木を加工する道具の文化を日本人は創り出した。ノコギリやカンナは押して使うものが伝来したが、日本人は引いて作るものを作り出した。文化をひも解いていくと、日本人の創造性が浮き上がってくる。

3.恐竜も花を見ていた。その花が恐竜を滅ぼした。被子植物は環境変化に適応する能力があるためジュラ紀以降繁殖したが、大型シダ類は適応力が弱く減少したため、恐竜の食物が減少し、恐竜滅亡の原因となった(この部分は明瞭に言ったか不明:少なくとも小輩はこう考え、日本人は被子植物のようであれと感じた)。


小輩は、縄文時代の植物を調べるために、くらしの植物苑 に来たのですが、いい話に遭いました。
くらしの植物苑 参加者記念撮影 


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