縄文時代の玉手箱

 玉手箱を知ってますか。 ギリシア神話のパンドラの箱と同様に、開けてはならないと言われたのに、いいものが入っていないかと欲を出して、開けてしまった箱です。 浦島太郎は、一瞬に年を取ってしまいました。 欲を出しすぎるといい事はないという、道徳的な戒めを教えようとしているシーンです。

 箱を開けると、みるまに年をとることは、お話の上のことと思っていたら違うのです。 この”玉手箱現象”が遺跡の発掘の時にあります。最近、縄文時代の湿地遺跡を発掘すると、木製の器具や布製の出土品が発掘され、縄文時代の生活や文化が判るようになるということがあります。遺跡が湿地にあり、遺物が水に浸漬され、酸素によって酸化されない場合、木製などの有機物が数千年間たっても原型をとどめることがあるのです。

 湿地遺跡の発掘の場合、水分にとんだ土の塊をとり、二つに割ると、中から緑色をした木の葉が現われることがあります。その葉は、みるまに、褐色になり、形がくずれていき、数時間のうちに、ばらばらになるそうです。 何千年も酸素に接触しない状態にあったため、みずみずしい姿が保てられましたが、酸素に接触したとたんに分解します。このような”玉手箱現象”を縄文時代の湿地遺跡の発掘の時に、発掘する人々は経験できます。

 上記内容の記述は、佐藤洋一郎著、「DNA考古学」、東洋書店 にありました。
 この本には、分析方法の技術革新の小さなそして大きな歴史が記述されています。この本に記載されていた、もう一つの話を次に紹介します。

 NHK佐賀放送局の若い女性ディレクタから、イネの渡来の話を番組にしたいとの話が佐藤氏にありました。佐藤氏はこの番組の制作に参加することになりましたが、佐賀県の遺跡で発掘されたのは、炭化した(芯まで真っ黒になった)米でした。佐藤氏はディレクタに、炭化した米は有機物が全て炭素になっているものなので、DNAの抽出作業を行なっても、分析結果が得られないと、論理的に説明しました。一応、ディレクタは納得しましたが、数日後、とにかく分析を試みて欲しいと言って、炭化米が送られてきたのです。佐藤氏は、「炭からDNAは普通とれない。期待しないで欲しい。番組では炭化米からDNAがとれたとは絶対に言わないで欲しい。」と言って、渋々承知して、分析を始めたそうです。 ところが、絶対とれるはずのなかったDNAがとれてしまったのです。

 学者が先入観で、絶対出来ないと思い込んでいたことが、何も知らない若い人の情熱によって、できるようになりました。 技術/文明の発展はこんなところにあると私は思います。
 また、学問の楽しさを教えてくれる佐藤洋一郎氏に喝采を送りたいと思います。

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P.S.)私の場合、本を読み、自分の頭の中で整理して、文章を書いています。上記の記述で、佐藤洋一郎氏が記述している文章とニュアンスが異なることがありえます。問題があるときは教えてください。