考古学講座 「考古学入門」

日  時 : 2001/12/8(土)13:00〜16:00 及び 12/9(日)10:00〜16:30      
場  所 : 千葉市立加曽利貝塚博物館(主催)

12月 8日(土)

 1. 【岩 宿 時 代】 : 旧石器時代の様子と石器づくりの実演、 講師:小菅先生(笠懸野岩宿文化資料館)
  @. 石器とは
    ◇ 石の遺物 : 母岩(材料) → 石核(石器を切り取った残り) → 石器 + ロス
    ◇ 分類   : 打製石器、磨製石器  実演参照
    ◇ 作り方  : 石目のない母岩の端から充分に離れた部分を打撃すると、60°方向に割れる。端付近の場合、富士山型(積分演算記号型)に割れる。
             割れ方を予測して打点を決める。 打点付近を平滑にする。
  A.人類と石器
    ◇500万年前に人類が発生。
    ◇人類は同時代に数種類の人類が存在したこともあったが、現在はホモサピエンスの1種のみ。
    ◇ホモサピエンスは20万年前にアフリカ大地溝帯を出て、寒冷地にも到達し、アメリカ大陸にも渡った。
     高度な石器製作技術を持っており、狩猟スキルに優れていた。
    ◇人類は200万年前に石器を製作していた。
  B. 岩宿時代の気候と火山活動
    ◇千葉市は冷温帯針広葉樹地帯(ブナを伴う) : 現在の尾瀬のような気候
    ◇洞爺(北海道)、富士(静岡)、御岳(長野)、大山(鳥取)、三瓶(島根)、阿蘇(熊本)、姶良(鹿児島)、
     鬼界(鹿児島)で大規模な火山活動があり、テフラ、ローム層が形成された。
    ◇岩宿時代の神奈川県の火山灰地層は厚いが、千葉県は比較的薄いため発掘調査を行いやすい。
    ◇約3万年前には大型石器が見られたが、時代が進むにしたがって小型化した。
        yygucci註 : ゾウ、オオツノジカなどの大型動物が絶滅し、中型動物を狩猟したため石器の小型が進んだと思われる。
     しかし、縄文草創期になると大型石器が見られるようになった。
     縄文草創期の大型石器は木を伐採したことも考えられるが、実用的なものではない要素が大きい。
  C. 岩宿時代の生活
    ◇旧石器時代は狩猟生活を行い、定住はしなかった。2〜3軒の簡易住居が移動時に作られると考えられていた。しかし、千葉県
     池花南遺跡では10個の石器ブロックが直径60〜80mの環状に分布しており、同時に10軒の簡易住居が存在したことがわかった。
     石器を調べたところ10個のブロックから互いに接合する石器が発掘された。このことから10ブロックが同時に存在したことがわかる。
     3万年前は、ナウマン象やオオツノジカなどの大型動物が存在し、それらを狩猟するためには人手が必要であったと考えられる。

左:博物館の前で、石器づくりの実演。


右:まず、黒曜石をたたいて剥離部分を作ろうとしたら、たたく石が手から離れ、手のひらをわずかに切った瞬間。弘法も筆の誤りです。
左:打製石器を作るときは、亀裂方向を考える。


右:川原の石を硬い石でたたき続けると、斧のような石器が出来ます。
左:石でたたく場合と、


右:シカの角を使って細かい細工をする場合があります。
左:シベリアから日本に伝わった細石刃(さいせきじん)は黒曜石を木材などで固定して、


右:シカの角で押して薄片を取る方法で作ります。
左:加曽利貝塚公園に落ちていたマテバシイとスダジイです。
黒曜石は、細石刃を作るための薄片とロス部分です。


右:午後 4:30を過ぎると、日は沈んでいました。

 2. 【東京湾岸の貝塚】  講師: 庄司先生(加曽利貝塚博物館)

  @. 旧石器時代の海岸線
    ◇約2万年前には東京湾は寒冷地の草原でした。多摩川/荒川/利根川は古東京川の1本となっていた。
    ◇ナウマン象とオオツノジカの骨が、木更津沖の底引き網で水揚げされた例がある。
    ◇養老川河口の東京湾をソナー測定したところ、河岸段丘が見つかった。
     これをきっかけに、古東京川にも河岸段丘があることがわかった。
  A.縄文時代の関東地方の貝塚
    ◇縄文時代の貝塚の個数は次の通り。
       日本全国  : 1,600箇所
       関東地方  : 1,000箇所
       東京湾沿岸:   600箇所
       千葉市   :   100箇所
    ◇千葉市では、縄文中期と後期に多くの貝塚が存在した。
    ◇東京湾の東部分は遠浅であったためと考えられる。
    ◇中期と後期には大型貝塚が存在しました。直径100m以上の馬蹄形や環状の貝塚。
    ◇大型貝塚の貝層は層状ではなく、ブロック状になっており、魚骨/獣骨/土器破片がないのが特徴。(yygucci:?)
    ◇小型貝塚は直径3〜5mで、早期から晩期までだいたい数が一定。
     魚骨/獣骨/土器破片が捨てられており、ゴミ捨て場。
    ◇大型貝塚は晩期になると姿を消する。
    ◇加曽利貝塚博物館では、晩期に霞ヶ浦付近で製塩が盛んに行われていたことと関係があると考えている。
  B. 大型貝塚の意義
    ◇干し貝加工場
    ◇石器・石材の交易の場
    ◇共同祭祀の場? 

12月 9日(日)
 3.【縄文土器の起源をめぐって】  講師: 岡本先生(千葉大学文学部)
  @. 縄文文化の特質
    ◇弓矢 : 狩猟方法の技術革新が行われたことが文化を変えた
    ◇土器、定住 : 定住することによって土器を使用するようになった。
  A. 縄文土器の起源年代は正しいのか
    ◇C14年代が正しい値として使われているが、次の前提を満たしていないと誤る。値をそのまま信用するのではなく、考古学者の考察が必要。
      a. 時間的に一定 : 変動している事がわかり、較正グラフが作られた。
      b. 空間的に一定 ; 米国と日本、陸と海で異ならないことを確認することが必要。
      c. 死後汚染されていない
  B. 神子柴文化は正しいのか
    ◇土器制作年代、「16500年前」はさらなる考察が必要。
  C. 縄文草創期の土器
    ◇草創期は粘土を輪積みして土器を成形するのではなく、パッチワーク方式で作っていたとの説があるが、賛成しない。
     輪積み方法と考える。壁厚が薄く、粘土が広げられているため小判状に壊れると考える。

 4.【縄文時代早期の土器】 
講師: 小笠原永隆先生(千葉県文化財センター)
  @. 土器型式の概要
    ◇撚糸(前葉) → 沈線(中葉) → 条痕(後葉)   千葉市と成田市の遺跡数が時代とともに変化することが、出土する土器型式でわかる。
                                   遺跡数変化の原因、意味は現在不明。
          千葉市遺跡数  成田市遺跡数   胎土             ↑
      撚糸    多         多        +砂          yygucci註:
      沈線    少         多        +砂             東京湾沿岸と香取海沿岸の環境が変化したと想像できる。
      条痕    多         少      植物繊維を含む        
    ◇縄文早期に貝塚出現、 竪穴式住居増加
    ◇早期は台地斜面の貝塚 : 神崎・西の城貝塚、佐原市・鴇崎貝塚
    ◇撚糸文は中葉に近づくにつれて無文化し、地域分化が激しかった。そして、沈線文に置き換わった。
    ◇沈線文も同様に無文化して条痕文に置き換わった。

 5.【千葉県における縄文時代前期の土器】  
講師 : 松田光太郎先生(かながわ考古学財団)
  @. 前期土器の特徴
    ◇器形 : 平底、外反する口縁(この時期にキャりパーはない)
    ◇胎土 : 植物繊維を含む。 粗い砂を含む(海性粘土であり、広大で平坦な海底であったため砂を含む)。
          (yygucci註 : 植物繊維は泥炭層/ピートを使用。乾燥時に器形を保つため繊維を入れた。 ← 土器づくり同好会の人の見解)
  A. 地域間の交流
    ◇前期前葉は西関東と同型式であったが、中葉以降は異なった。交流が疎くなったことを示している。
               前葉              中葉             後葉
      千葉    花積下層式 → 関山U式 → 浮島Ta式 → 興津T式 → 粟島台式
      西関東   花積下層式 → 関山U式 → 諸磯a式 →  諸磯b式  → 十三菩提式
          (yygucci註 : 縄文海進が千葉と西関東の交流に影響を与えた可能性あり)

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平成15年度千葉市遺跡発表会

下記の通り開催されます。

1.日 時:2004年3月7日(日) 10:30〜15:30
2.場 所:千葉市生涯学習センター (千葉市中央区弁天町)
      JR千葉駅東口より徒歩約8分
3.主 催:(財)千葉市教育振興財団 埋蔵文化財調査センター
4.内 容:
  <最新発掘情報>
   @.若葉区台畑遺跡;  縄文・古墳時代の集落跡
   A.若葉区坊屋敷遺跡; 都川中流域の7基の古墳
   B.緑区上塚遺跡;   土気「昭和の森公園」脇の古代集落
  <特集>
     事例研究「石棒・石剣について」
  <特別講演>
    「埋葬から見た縄文社会」 堀越正行氏(市川考古博物館・館長)

5.問合先:043-266-5433

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加曽利貝塚博物館企画展


  − 川の恵み・海の恵み −
   東北の淡・汽水系貝塚


内 容: 宮城県の貝塚の淡水系貝塚「中沢目貝塚」の各種出土品と汽水系貝塚「里浜貝塚」の最新

資料を展示し、宮城県に展開した縄文文化と千葉市の東京湾の貝類からなる貝塚の文化とを比較して

紹介します。
期 間: 1月25〜2月29日(月曜日・祝祭日休館)
開 館: 午前9:00〜午後4:30
 所 : 千葉市立加曽利貝塚博物館
     千葉市若葉区桜木町163
入場料: 一般60円、小中学生30円
     (小中学生には土曜日無料制度あり)
問合せ: 加曽利貝塚博物館 TEL043-231-0129

加曽利貝塚博物館のHPは
http://www.city.chiba.jp/education/edu/kasori/kasori/index.html

左: カンザシ。縄文時代の女性もきれいに着飾ることがあったのでしょう。 千葉市ではあまり見られない透明感がある乳白色の石で作られています。

右: ヤジリの根バサミ(画像の左半分))。
シカ骨製です。千葉市では根バサミを竹や木で作った?直に矢にはさんだ?千葉市の博物館には千葉市出土の根バサミは陳列されていません(たぶん)。ヤジリをどのようにして使ったかがわかります。
左: 里浜貝塚出土・大木8式深鉢
   把手が発達しています。
   火焔型土器と関係がある?

右: 里浜貝塚出土・大木8式浅鉢
   木の実などを入れた?
左: 里浜貝塚出土・大木8式(中期)

右: 参考として加曽利貝塚出土・
   加曽利E式(小輩複製)


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