【貝塚町の仏教】




 延命寺



貝塚町の隣の都町に「延命寺」があります。
現在は小さな寺ですが、
江戸時代〜明治時代は寺子屋で、志にあふれる子供達が勉強する所でした。

千葉市にただ1枚の「算額(さんがく)」が残っているお寺です。

延命寺沿革 延命寺発行「由緒」参照

  • 開山: 鎌倉時代には存在していたことが判っているが、詳細は不明。 大聖寺(犢橋村宇那谷)の末寺といわれる。
  • 宗派: 真言宗、豊山派
  • 檀家: 戦前の都村字辺田全域
  • 本尊: 不動明王坐像。 胎内仏。石造、像高 24.3cm。鎌倉時代風。字大境の水田で発見されたと言われている(秘仏)。 他に弘法大師の木像が宝物。
  • 梵鐘: 江戸時代中期に鋳造されたものは1944年に国に献納された。現在のものは、1963年に奉納されたもの。
  • 学校: 1887年に矢作小学校を併合して、辺田小学校として延命寺に小学校が開校された。
        明治の終わりに、小学校は辺田向台に移転され、都村小学校(現千葉市立都小学校)として開校された。
  • 「辺田村昔のあれこれ」高橋好治著 によれば、延命寺の下寺には7寺あったが、現存するのは作草部・正善寺と貝塚町・西光院
    ( 猪鼻台の智光院の開祖とも言われている )
  • 西光院が分寺する際には、千脇・植草・足立・高橋の4軒が随従したと伝えられている。
1889年に辺田村ほか4村が合併し、村の発展を願って「都村」と名付けられた。


奈良県在住の小寺氏が当HPで延命寺の算額を知り、2000/5/25に調査し、6/4に日本数学史学会で発表されました。上の算額の画像をクリックすると、小寺氏のHPへリンクします。
今有円内如図 上下円□中円二個 上円径若干下円径 若干得外円径術問如何 答曰
術曰置下円径以上円径除之名乾 加一個半之名坤自之加乾三段開
平方坤乗上円径得外円径合問
下総千葉郡辺田村   □□□□重惇撰   嘉永壬子初春

□ で示している部分は、字が消えていて判読できません。
「上円の直径と下円の直径が与えられた時、外円の直径を求めよ」という問題です。
「上円の直径を上、下円の直径を下と書きます。 下÷上=乾とおき、(乾+1)÷2=坤とおくと、外円の直径={root(坤^2+3乾)+坤}×上で求まる。」というのが、算額に書かれている内容です。
嘉永五年奉納 (1852)

小寺氏の解説を以下に記載します。

『この問題の面白いのは中円径が答に現われないことです.上円径と下円径を決めると外円径が上式で求まりますが,中円2個が接するので上円径と下円径を任意に指定することは出来ません.上円径と中円径を指定すると外円径と下円径が決定できます.(ここまでなら和算でよくある問題です)だからその外円径を上円径と下円径で表してみよ,と云うのが本問の意味でした.面白い問題です.
現代風に書くと次のようになります。

上円の直径を a、下円の直径を b 、 外円の直径を c とします。

A = b / a 、 B = (A + 1 ) / 2 と置くと、

c = ( root(B^2 + 3 A) + B )× a
  = ( root( a^2 + 14ab + b^2 ) + a + b ) / 2





          大聖寺 (だいしょうじ)  (若葉区若松町ですが参考のため)
  • 弘法大師の外甥・智証大師の開基と伝えられており、現在は真言宗豊山派に属している。
  • 昭和初期までは、犢橋村宇那谷(こてはしむら うなや)にあったが、陸軍演習場設置のため、檀家とともに千葉市若松に移設された。現在、桜木町/小倉台の境界に近い若松町の国道51号線沿道にある。
  • 本堂には江戸時代作の大日如来坐像、阿弥陀如来立像、弘法大師坐像などが安置され、不動堂には平安時代作の不動明王坐像と鎌倉作の不動明王立像が安置されている。
  • 大聖寺からは、60余の寺が分寺したと言われており、千葉県の寺院の中では貴重な存在である。
仁王門です
本堂 鐘楼



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