住 居
加曾利南貝塚東部に復元された竪穴式住居群です。 一般の人々は、平安時代の半ばまで竪穴式住居に住みました。 住居の絵が描かれた弥生式土器が発掘されています。弥生時代住居遺跡と、縄文時代住居遺跡の柱穴を比較して、縄文時代の住居を想像して復元住居が作られています。 |
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カヤなどを用いて屋根を葺きました。「チバ」は「カヤが生えている所」という意味だと言われています。背の高い草だけでなく、木も多く、家を作りやすい所だったと想像します。 「ぼろい家だな」と思うかもしれませんが、縄文時代は大工道具がなく、家を建てることは大変なことでした。 |
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縄文時代にノコギリはありません。木を石斧で切り倒し、枝をはらい、樹皮をはぎ、木を寝かせます。 一時的なキャンプの場合は、生木を使用してもいいですが、何年も住む家(10年位住んだとのことです)は、虫が入っておらず、変形をしない木が必要です。縄文人は何らかの処理で虫を殺した後乾燥させた木で家を作る技術をきっと持っていたでしょう(木の中にいる虫を殺すための貯木場と考えてもおかしくない地形が、復元集落の東にあります)。 適度の長さにします。麻などのひもで結び、住居の骨組みを作ります。 ・・・と想像します。 小輩は、10年前に荒屋敷支谷の東、姥ヶ作貝塚付近で伐採されたクヌギの木をえらい苦労をして家に引きずって帰りました。馬の首から胴体に似た形だったので、ブランコにしたのですが、樹皮をむかずに作ったので、3年もしたら虫食いでぼろぼろになってしまいました。 |
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竪穴式住居はなぜ竪穴式住居と呼ばれるのでしょう?
栄浜遺跡HP関連で青森県一戸町にある縄文中期・御所野遺跡で、住居土屋根が出土されたとの情報を得ました。
御所野遺跡の復元住居は褄付きです。この復元住居は読売新聞で特集として取り上げられ、連載されました。
居住体験記事がありました。「火を焚くと、暖房効果は充分だったが、排煙効果は不充分で、燻製ができるほど煙たかった。」
と記述されています。小輩は、
@排煙効果を考慮して復元されていない。
A煙量が少ない材種を選んでいない。
B薪を充分に乾燥していない。
といった問題が体験試験時にあったとも考えます。真実は如何。
北海道栄浜遺跡で発見された家形石製品 (2000/1/30、松戸市立博物館で開催された巡回展、「発掘された日本列島’99」にて許可を得て撮影:フラッシュなしなので鮮明でない) |