縄文時代の衣服


船橋市立飛ノ台史跡公園博物館
 縄文人はとんな服を着ていたのでしょうか? 縄文時代を紹介するのに、腰にミノを巻いたようなかっこうや、毛皮を身につけた格好を示している本があります。縄文時代の衣服が発見されていないために、南方の開発途上国にいる土着民族の格好と同じと考えたり、欧州の石器時代人の格好と同じと考えられます。たしかに、捕らえたシカの皮を捨てることはなく、利用したと考えます。

 下記の理由で、縄文人は布製の服も着ていたと想像します。
  1. 土偶の服
     土偶は筒状の上着と、ズボンをはいています。それらは布で作られているようです。ミノや毛皮ではありません。
     土偶は縄文人の姿をモデルに作られています。しかし、土偶が着ている服は必ずしもその当時の服装だとは言えません。晴れ着だからです。現在、日本服は文化として残っていますが、普段着として日本服を着ている人はごくわずかです。これと同じように、土偶の服装は必ずしも縄文時代の服装であるとは言えませんが、 参考にはなります。
     ついでになりますが、土偶にはサングラス”をかけている土偶があります。遮光器土偶と言われています。ピアスをしているものもあります。変な髪形をしています。なんだか、最近の若者と同じような格好をしています。
  2. 発掘された布
     宮城県山王囲遺跡(縄文晩期)などで編布が発掘されています。また、縄/ひもが発掘されています。麻、カラムシのような植物繊維をよって(撚って)、ひも(糸)を作り、縄や布を作っていたのははっきりしています。簡単な構造の木製織機で布を作成することが可能であることが試みられております。(尾関清子 著 「縄文の衣」 学生社発行 参照)
  3. 土器に布紋
    土器に布の跡が付いているものもあります。
  2001年3月14に読売新聞のスクープとし、各紙で北海道恵庭市のカリンバ3号遺跡の調査結果が報道されました。
  カリンバ3遺跡では、シャーマンと思われる4人の埋葬状態が発掘され、「発掘された日本列島2000」で帯や布片、漆塗り櫛や勾玉などの副葬品が展示されました。2000年春から埼玉県川口市にある民間の東都文化財保存研究所に遺跡ごと移され、調査が続けられ、袖を有するアンギンの衣服を着て絹のような細い繊維で密jに作られた布が掛けられていたことが判りました。
  詳しくは、次のアクロバットPDF を見てください。
karinba010314.PDFへのリンク

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ウィルス「Nimda」ではありません。

カラムシ

船橋市立飛ノ台史跡公園博物館

 : 遠野市立博物館発行 「第35回特別展 縄文の暮らしと精神文化 」掲載の画像を転載しました。
     尾関清子氏(東海学園女子短期大学名誉教授)製作。
 
    尾関清子氏は、越後アンギンが縄文時代の編布と同じとして、縄文時代の衣服を復元しました。松戸市立博物館に、アンギン職布体験コーナーがあります。


左: 糸つむぎの体験コーナーがあります。@松戸市立博物館


右: アンギン作成を体験することができます。@船橋市飛の台史跡公園博物館


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P.S.) 下の土偶を見てください。この土偶は、変な目をしています。縄文人には目が異常に大きい人がいたのでしょうか。違います。このカメレオンみたいな目は、遮光器です。狩猟の際などに使用するサングラスのようなものです。縄文人はサングラスのようなものを使用していました。

  縄文時代の女性は、耳たぶに穴をあけて耳飾りをつけていました。今で言うピアスです。大きな耳飾りをつけた人は、耳たぶが大きくなったようです。 縄文時代でも、一部の男性はピアスをしていたとのことです。

  上記2点は、現代の若者の風俗に似ています。ついでにもう1点。縄文人の骨を調べると、足の甲の骨と脚の骨の接合部が変形していてそうです。つまり、しゃがむ姿勢を多くとったために、骨が変形したようです。昨今、都会の路上でしゃがんでいる若者は、縄文人と共通点があります。 男性の土製人形(土偶とは性格が違う創作物)に、「しゃがんで考える人」がいます。


  縄文人の骨を調べると、複雑骨折の跡があるそうです。集団の人数が少ない時は、負傷者は生き続けることができません。縄文時代は、集落の人数がある程度多く、負傷者を治癒する技術もあったようです。集落構成員の心のつながりもあったようです。心のつながりの強さは、現代以上かも知れません。

  北海道・入り江貝塚から、四肢骨の発育が充分でない約20才の人骨が発掘されました。おそらく小児期にポリオなどの病気を患い、自由に動けない縄文人だったと想像されます。このような人間を助け、生活させる文化がありました。ちなみに、縄文人の平均寿命は30才程度とのことです。