縄文時代の衣服
カリンバ3遺跡では、シャーマンと思われる4人の埋葬状態が発掘され、「発掘された日本列島2000」で帯や布片、漆塗り櫛や勾玉などの副葬品が展示されました。2000年春から埼玉県川口市にある民間の東都文化財保存研究所に遺跡ごと移され、調査が続けられ、袖を有するアンギンの衣服を着て絹のような細い繊維で密jに作られた布が掛けられていたことが判りました。 詳しくは、次のアクロバットPDF を見てください。 karinba010314.PDFへのリンク
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☆ : 遠野市立博物館発行 「第35回特別展 縄文の暮らしと精神文化 」掲載の画像を転載しました。
尾関清子氏(東海学園女子短期大学名誉教授)製作。
尾関清子氏は、越後アンギンが縄文時代の編布と同じとして、縄文時代の衣服を復元しました。松戸市立博物館に、アンギン職布体験コーナーがあります。
左: 糸つむぎの体験コーナーがあります。@松戸市立博物館 右: アンギン作成を体験することができます。@船橋市飛の台史跡公園博物館 |
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P.S.) 下の土偶を見てください。この土偶は、変な目をしています。縄文人には目が異常に大きい人がいたのでしょうか。違います。このカメレオンみたいな目は、遮光器です。狩猟の際などに使用するサングラスのようなものです。縄文人はサングラスのようなものを使用していました。
縄文時代の女性は、耳たぶに穴をあけて耳飾りをつけていました。今で言うピアスです。大きな耳飾りをつけた人は、耳たぶが大きくなったようです。 縄文時代でも、一部の男性はピアスをしていたとのことです。
上記2点は、現代の若者の風俗に似ています。ついでにもう1点。縄文人の骨を調べると、足の甲の骨と脚の骨の接合部が変形していてそうです。つまり、しゃがむ姿勢を多くとったために、骨が変形したようです。昨今、都会の路上でしゃがんでいる若者は、縄文人と共通点があります。
男性の土製人形(土偶とは性格が違う創作物)に、「しゃがんで考える人」がいます。
縄文人の骨を調べると、複雑骨折の跡があるそうです。集団の人数が少ない時は、負傷者は生き続けることができません。縄文時代は、集落の人数がある程度多く、負傷者を治癒する技術もあったようです。集落構成員の心のつながりもあったようです。心のつながりの強さは、現代以上かも知れません。
北海道・入り江貝塚から、四肢骨の発育が充分でない約20才の人骨が発掘されました。おそらく小児期にポリオなどの病気を患い、自由に動けない縄文人だったと想像されます。このような人間を助け、生活させる文化がありました。ちなみに、縄文人の平均寿命は30才程度とのことです。