鉄人迷宮10:殿


今回でチンタラチンタラめでたく10回目を迎えました裏鉄人フリートーク。
もはや裏の方がメインと化してしまった感じですが、それも仕方ありません。
私は別に、どこぞの人気日記系サイトの管理人みたいな
エンジョイ&エキサイティングの黒犬騎士団みたいな人生送ってるわけではないので、
そうそう面白いネタなんか身辺に転がってません。
ごめんなさい。
もしくは
裏にしか書けないようなネタしか発見できない私の資質の問題かもしれません。
ごめんなさい。

 

 

 

さて、皆さんとっくにご存知の通り、私はたぶん二次オタと呼ばれる人種です。
少なくともこのサイトで語られているような内容は、他人に対して大っぴらに語れるようなシロモノではありませんし、
私自身、ごく親しい友人を除いてはこのサイトの存在を明かしてはおりません。
もしかすると
酔った勢いでペラペラ喋ったこともあったかもしれませんが、通常は秘密にしています。
数あるオタクの中で(もっとも世間一般では「オタク=アニメやゲームのキャラクターに恋愛感情を抱く変態」と分類もクソもありませんが)、
二次オタとはもっとも侮蔑の対象にされるもの。
うかつに言えるわけがありません。

 

 

 

だが、ここにひとり、そんな二次オタにとって血涙モノの心情を吐露した本を書いたお方がおります。
その名は
本田透
そして本の名は
「電波男」
いちおう言っておきますが、
「電車男」ではなく「電波男」です。
今回は、
「妄想戦士ヤマモト」に並ぶ、二次オタ必読の聖典もしくは魔道書である、この「電波男」について語りたいと思います。

 

 

 

まず、この作者、のっけからこんなこと書いてます。

「オタクは現実に勝ったあああっ!!
いきなりだが、このぶ厚い本は歴史上初となる
『オタクによるオタクの勝利宣言書』である。」

いきなり勝利宣言ですよ?
「オタクは現実に勝った」ですよ?
もうこの一文で、この手の
開き直り本が大好きな私は、先が読みたくてたまらなくなり、一気に最後まで読みつくしてしまいました。
いやホント、めっちゃ面白かったです、コレ。
作者の
「俺の言いたいことをすべてブチまけてやるぜ!」って気持ちが、
これほど明確に伝わってくる本も珍しいのではないでしょうか?
そして、それでいて単なるヒステリックな叫びではなく、冷静で論理的
な感じがするのはスゴイです。

 

 

 

この本、全4章で構成されているのですが、
第1章「恋愛資本主義の構造と現実」で、
「どうあがいてもキモメンはモテない」というミもフタもない現実を恐ろしいほど的確にかつ容赦なく分析し、
第2章「合言葉は「萌え」〜オタクの「脳内恋愛」宣言」で、
「萌え」について
「宗教とは巨大な萌えシステムなのだ!」などとべらぼうに壮大なスケールに話を広げて徹底的に語りつくし、
第3章「「萌え」の力」で、
なんと宮澤賢治と都井陸雄(『八つ墓村』のモデルとなった「津山30人殺し」の犯人)を比較することで、
「萌え」は人間を鬼畜化から救うという結論に至る
というあまりにも大胆な、それでいて恐ろしい説得力を有する論拠を展開し、
第4章「「萌えオタク」こそ、これからの勝ち組」で、
「萌えまくれ!仮想現実こそ価値がある!」という
閉じてるんだか開いてるんだか判断しがたい結論に至ります。

 

 

 

どうです?少しは興味が湧いてきましたか?
とにかくこの本、異様に突きつめた実証と異様に熱狂的な筆致が一体化して、
ある意味カルト的な危うさに満ちています。
わかりやすく言えば
と学会の格好のエジキにされそうな本ということです。
ってよけいわかりにくいですか。
しかし、文体が過激なので誤解を招きそうな本ですが、実際、この本に書かれてる内容はそれほどおかしなものではないと思います。
少なくとも
「ゲーム脳の恐怖」とか「買ってはいけない」などのバカ本に比べれば10000倍はまともでしょう。

 

 

で、以下に恒例の独断名言集(一部簡略してますが、意味は変わってないはずです)。

 

 

『三次元の恋愛資本主義者たちは、
「イケメンには健全な精神が宿り、キモメンには変質者の精神が宿る」
という間違った心身一元論を信じている』

 

 

 

『つまりね、アナログ女はオタクに向かって、こう言ってるわけなんですYO!
「このフニャチン!役立たず!悔しかったらちんこ勃ててみろよ!
でもなぁ、勃てても絶対やらせてやらねえ!」
彼女たちはずっと恋愛資本主義の商品としてチヤホヤされてきたためにプライドが山ほど高いので、
俺たちキモオタに自分がまったく相手にされていないという現実が受け入れがたいのだ。
で、勃たせたらそれで満足なので、またまた罵倒するのだ。
結局、自分のプライドを満足させれば、もうオタクは不要なのだ。
「電車男」系のオタク狙い女も、オタクをゲットしたら脱オタさせて
ペットに改造しようとする。
もちろんこの場合捕まるオタクは、若くイケメンの可能性があるオタクだけであって、
俺のようなキモオタは捕獲対象にならない。俺は駆除対象だよ。ゴキブリだよ』

 

 

 

『たとえば、キリスト教では、イエスは真性童貞、母親のマリアは処女、ということになっている。
これは
イエスやマリアが「萌えキャラ」だからだ。
イエスとマリアが恋愛ゲームのキャラクターなみに清純で美しい人たちだったという萌え設定があるからこそ、
キリスト教は普及したのであり、
信者たちはフィギュア、つまり十字架を拝んでは萌え、マリアのポスター、つまり肖像画を拝んでは萌え、
イエスのライトノベル、つまり聖書を読んでは萌え、しまいにはイエスが十字架にかかったあと復活したという
人気作にありがちな最終回の改変まで行わせてしまったのである。
「イエスたんが死ぬなんて、そんなの、やだやだ!じたばたじたばたじたばた!」という信者が多かったのだろう。
宗教とはつまり、あるカリスマが萌えキャラ化されることによって普及する、
巨大な萌えシステムなのだ!

 

 

 

『「二次元の妄想世界に理想のキャラクターを見出して、萌えることで癒される」
というシステムは、キリスト教も仏教も、そしてオタクも変わらないのだ』

 

 

 

『「スター・ウォーズ」6部作は
・前半3部作…萌えを知らぬアナキンが現実の女の邪悪さに絶望し、鬼畜になる話 
・後半3部作…妹に萌えるルークが鬼畜ルートを退け、その愛で父親を改心させる話

そういう構成になっているのだ!実によくできた映画ではないか!
「萌え」は、宇宙を救う!これが「萌え」の世界であり、「萌え」の威力なのだ!』

 

 

 

女を支配することも女に支配されることも望まない心の優しい男は、
みな、続々と「平等な恋愛」や「真に愛する人との幸福なセックス」や「ウソ偽りのない本当の愛」を求め、
腐敗しきった恋愛市場を捨て、オタクになり続けているのだ。今、この瞬間にも!』

 

 

 

『80年代以後、「自立した個人同士の恋愛」という、一見平等主義的な恋愛像が蔓延した。
しかし、そんなものは幻想なのだ。
いや自立するのは自由だが、完全に自立したらどうなるか?
本当に自立していれば、そもそもパートナーは必要ない。
結局、個人の完全な自立などは、幻想だった。
その結果、「自立しているつもり」の中途半端な人間ばかりが増え続けた。
人間は一人では生きていけない。絶えず、他者による自我の確認を行わなければならない。
だから、家族やパートナーが必要なのだ。
しかし、自立した個人同士が立ち会うと、結局は相手を赦さずにいちいちケチをつけてダメ出しをするという関係になってしまう。
その結果、どんどん孤独になる…。
「自立した個人」を演じれば演じるほど、人間は孤独になっていくのだ。
そんな寒い世界の中で、「恋愛」や「家族」を追い求める萌え衝動こそは、恋愛資本主義によって破壊されてしまった
人間の関係性を回復しようとする本能的な欲求なのだ。
「萌え〜」ですべてが赦される、そんなユルい関係、素敵やん?

 

 

 

…なんだか本当にヤバイ宗教の人格改造セミナーみたいになってきて不安になってきましたが、
これは特に過激な部分だけを抜き出したためにそう見えるだけで、実際に読んでみれば、
思わず「なるほどなあ」とうなってしまう程、精緻な分析がなされており、
それでいて文章が(かなり黒いですが)ユーモアに満ちているので、読んでて飽きません。
もっとも、私は
すぐ他人の考えにコロコロ影響される人間ですので、
精緻な分析うんぬんのあたりはあまりアテにしない方がいいかもしれません。

 

 

 

この本を「単なるモテない男のひがみ本」と切り捨てることは簡単です。
ですが、そんな陳腐な理由で切り捨ててしまうには、あまりに惜しい本であることは確かだと思います。
と学会のエジキにされる前に読んでみてはいかがでしょうか。
少なくとも、毒にも薬にもならない本ではないと思います。
毒になるか薬になるかは、
読んだ本人しだいですけどね。

 

 

 

蛇足ですが、私が「アガシオン」などといういつ完成するかわからないAVGを作成している理由は
いちおう表向きには
「サウンドノベルをただ批評するだけではなく、実際に作ってみたい」とか
「きちんと選択肢が後の話の展開に生きてくる、そうしたノベルゲームを作りたい」ということにしてますが、
実のところ、最大の理由は、ぶっちゃけた話、

「俺好みの萌え&燃えシチュを
これでもかとブチこんだ
ノベルゲームが作りてえんだよ!」

ってなもんで。
あははははははは(←もう笑うしかない模様)。


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