善防山(251m)から笠松山(244.4m)     加西市      25000図=「笠原」
岩稜の秋、善防山から笠松山へ

東尾根より善防山山頂を望む
(中央奥が山頂、左のピークは前山)
善防山山頂の樹林
 
 2年前の春、子供達と3人で笠松山に登ったことがある。笠松山をめざす私たちの背後に特異な山容の善防山が立っていた。
 その後、ふもとの道を車で走るたびにその山を見上げてきた。非対称の山の字形をしたその山は、山頂部の一角が木の茂みでこんもりと盛り上がり、無骨ともいえる姿でたくましくそびえていた。
 今回、この善防山から、古法華寺を経て笠松山へと縦走した。

 池の畔の道から続く斜面を登ると、すぐ尾根に出た。この尾根をしばらく上ると、善防山の肩に達し、急に視界が広がった。主尾根の岩稜の向こうに前山が立ち、その右に善防山の山頂が姿を現した。前山から北に伸びる支尾根の斜面には、岩肌が大きく鎧のように露出している。
 流紋岩からなるこの岩稜は、表面に適当な凹凸があって歩きやすかった。アカマツやネズミサシ、それにコナラなどが岩間のわずかな土に根を下ろし、疎らに生えている。木肌を見ると、もう幼樹ではないのだが、どの木も小さい。この環境での精一杯の生なのである。岩ばかりが目立つ無機的な景色の中に、リュウノウギクの白く可憐な花が、小さく群れて咲いていた。
 岩の尾根は、前山の手前から雑木の尾根に変わり、最後の小さな坂を上ると善防山の山頂に辿り着いた。この山頂周辺だけが、まるで神社の社内林のように木々が大きく茂っている。紅葉したツタのからむコナラの木の樹皮は、縦に深く割りさけていて古さと風格が漂っている。ふもとからも見えた木の茂みは、これらの数本のコナラの大樹だったのだ。コナラの樹の下には、ソヨゴ、ヤマウルシ、ヒサカキ、イヌツゲ、モチツツジやシャクナゲなどの低木が生えている。
 三角点もない静かな山頂に、風が強かった。木の葉がざわざわとその風に揺れる。木の葉を透かした日の光も、ササの葉や地面の落ち葉の上で揺れていた。

連なる山々(中央右の鋭鋒が笠松山)
 山頂を西に下ると、すぐに樹林が切れて前方に展望が広がった。岩盤をまっとた鋭い頂を、波のように重ねる山々。明るい日差しによる強い陰影が、山襞をくっきと浮かび上がらせている。時折、雲の影が山々のつくる地形に変形しながら足早に移動する。
 ソヨゴの赤い実が、この景観に鮮やかな彩りを添えていた。遊ぶような心持ちで、岩の稜線を降りていった。

 吊り橋を渡り、石の祠に収められた石仏を見ながら古法華寺へ。この辺りは、古くから「長石(おさいし)」と呼ばれる凝灰岩が切り出されていて、豊かな石の文化をこの地に造ってきた。今も採石が続いていて、稜線のすぐ下が採石場の絶壁という部分もある。

 古法華寺の裏にある七福神の石像から笠松山に上る。
 善防山が樹林の頂なら、笠松山は展望の頂である。頂上の三角点の上に、コンクリートの展望台が建てられている。六甲の山並み、かすんだ播磨灘の向こうに淡路島の白い影、南播磨の低いながらも重畳と連なる山々、明神山、七種山、笠形山、千が峰、まだまだ……。
 展望台の上のベンチでは、家族連れが弁当を広げ、若い父親がまだ幼い子供に「どこの山でもこんなに周りは見えないよ。こんな山は、特別なんだ。」などと山の話をしてやっている。そんなほほえましい会話の聞こえる山頂で、私はもう一度、双眼鏡でぐるりと辺りを眺めてみた。

山行日:2001年11月4日

山 歩 き の 記 録
北条鉄道「播磨下里」駅〜神姫バス下里農協前停留所〜善防山東尾根肩(150m+)〜前山(230m+)〜善防山山頂(251m)〜吊り橋〜古法華寺〜笠松山山頂(244.4m)〜214mピーク〜熊野権現堂〜鳥居〜灯籠(権現堂参道入り口)〜北条鉄道「長」駅
岩間に咲くリュウノウギク
ソヨゴの赤い実と笠松山
  北条鉄道「播磨下里」駅の駐車場に車を止め、車道を南に歩く。54mの標高点のある交差点を、そのまま南に進むと神姫バス下里農協前のバス停がある。ここから、池の北の草むらの中を、西へ道が通じている。道は斜面にさしかかると細くなった。斜面を少し上ると、南からの道と合流した。養護学校の裏あたりから、ここへ道が通じているようである。
 さらに進むと、すぐ尾根に出て、やがて善防山の東尾根上の肩(150m+)に達した。岩盤の上に、何か構造物の跡が残っている。そのまま尾根を進み、少し登ると前山(230m+)に着く。ここには、「第2頂上」のプレートが立っていた。ここから、ゆるく下って上り返したところが善防山の山頂である。
 善防山の山頂から、古法華寺をめざす。岩稜上の明るい径を、笠松山周辺の尖峰群を見ながら降りていく。途中、北の支尾根からの径や南の峰から降りてくる径と交わっている。
 笠松山との鞍部には、車道の上に吊り橋が掛かっている。この橋を歩くのも楽しい。橋はかすかに揺れる。橋を渡ると大きな岩盤が斜めに立ちはだかっている。固定された鎖のロープを利用しながらこの岩盤を登る。岩盤の先は谷に落ち込んでいる。ここで、径は二手に分かれる。右へ行くと、谷を北へ回り込んで笠松山山頂に到る。2年前に歩いたコースである。今回は、分岐を左に進み古法華寺へ降りた。
 古法華寺は、何度か訪れた所。立ち並ぶ石仏や歌碑を見ながら、古法華寺の裏手に回った。ここには、七福神の石の像が立ち、ここからほぼ真っ直ぐに笠松山の山頂へ径が通じている。最後の急坂を登り切ると、展望台の建つ笠松山山頂に着いた。
 笠松山の山頂からは、北西に伸びている尾根を進む。幾度か、上り下りを繰り返して214mのピークに着く。ここから主尾根は西へ続いているが、その方向への道はほとんど消えている。北へ、「熊野神社(100m)」のプレートがある。これに従い、荒れた径を北へ降りると、すぐに二頭の狛犬が迎える「熊野権現堂」に着いた。古いコンクリートの社の前に、新しく簡素な社殿が建っているが、人気がなく荒れ果てた感じがする。ここからは、広い地道の参道を北へ降りていった。地形図の神社の地図記号あたりにある「長石(おさいし)」でできた鳥居をくぐり、石段を下りると山裾の車道に出た。
 ここから、長駅まで歩き、北条鉄道の電車に乗って田園の中を播磨下里駅へ帰った。

   ■山頂の岩石■ 白亜紀 有馬層群鴨川層    流紋岩質凝灰岩

流紋岩の球顆状構造1
(大きさは20cm程度、
ハンマー左の穴は球顆の抜けた跡)
流紋岩の球顆状構造2(大きさは1cm程度)

 善防山ー笠松山山系は、尾根や斜面に多くの岩盤が露出しているため岩石の観察に適している。ここには、今から約8000万年前の火山活動でできた有馬層群の鴨川層(相生層群伊勢累層に対比)が分布している。
 善防山は、流紋岩でできている。表面は薄く褐色がかっているが、ハンマーで割ってみると灰色のことが多い。少量の石英と長石の斑晶を含んでいる。表面の縞模様は、溶岩の流れを示す流理構造である。また、多くの部分で見事な球顆状(きゅうかじょう)構造が観察される。球体からだ円体をした球顆(スフェルライト)の大きさは、径1cm程度のこともあるが、ところによっては径10〜30cmもある部分がある。善防山東尾根肩(150m+)のあたりでは、ソフトボール大の球顆がゴロゴロと含まれている。球顆は珪質で同心層状構造が発達している。
 流紋岩でできた善防山は、山頂付近だけが凝灰岩でおおわれている。これは、流紋岩の上位に堆積した凝灰岩である。この凝灰岩層の最下部には、薄いシルト岩がはさまれていた。この凝灰岩は、数センチの大きさの黒や白のチャート、黒色の頁岩、同質と思われる流紋岩の岩片を多く含んでいる。

 笠松山は、流紋岩質凝灰岩でできている。善防山の山頂をおおう凝灰岩と同じ層準のものである。黒色の頁岩、チャートなどの異質岩片、流紋岩の同質岩片を多く含んでいるのが特徴である。尾根付近の凝灰岩は風化が進んでいるが、この岩体の良質な部分が古くから「長石(おさいし)」として採石されてきたのである。
 山頂の展望台付近にも凝灰岩が露出している。流紋岩質で、石英と長石の結晶を多く含む。基質は、ガラス質で緻密であり、灰色〜褐色の色をしている。黒色の頁岩、チャート、同質流紋岩、同質凝灰岩などの岩片を含んでいる。


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