常緑の樹林と白い海
論鶴羽山(ゆづるはさん)には、紺碧の海と淡い水仙の花の色がよく似合う。時あたかも水仙の咲く2月、昨年買った「論鶴羽山」の地形図も真っ新なまま待っている。各種ガイドブックにあるように「市」を登山口として、諭鶴羽山を縦断し「黒岩水仙郷」に下るコースを予定した。洲本から「市」までと「黒岩」から洲本までは、バスを利用する。バスの時刻も確認し、完璧な計画だと、寝たのが午前2時……。起きたら日はすでに高く昇っていた。しかたがない、計画を論鶴羽ダムから山頂までの往復に切り替えた。
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古道に立つ丁石仏 |
論鶴羽古道 |
論鶴羽ダムからよく整備された道が山頂までついている。登山口には「論鶴羽古道入口」の案内板が立っている。尾根までは急登するが、その後は長く緩やかな道が山頂まで続いている。この道は、論鶴羽神社の裏参道にあたり、ところどころに丁石仏が立っている。石仏の顔は、ひとつひとつが異なり、それぞれが趣をもっていた。南国淡路は、2月でも雑木林の緑は濃い。常緑広葉樹が多いためである。ヒサカキ、ネズミモチ、ヤブツバキ、カクレミノ、ヤブニッケイ、ソヨゴ、イヌツゲ、ウバメガシ、ユズリハ……。ユズリハは論鶴羽山の名の由来になったとも言われている。また一説には、天竺の摩迦陀神が鶴にのって熊野へおもむく途中、この山頂で羽を休めたことからこの名がついたとも言われれている。
登山道沿いに見られる露頭も転石も、そのほとんどが砂岩である。論鶴羽山は白亜紀の和泉層群からできている。和泉層群は西日本を内帯と外帯に分ける中央構造線の北側に、四国は松山市あたりから阿讃山地へ、そして淡路論鶴羽山地を経て大阪府と和歌山県の府県境の和泉山脈へと総延長300kmにわたって分布している。保存の良いアンモナイト化石がでてくる地層としても知られている。どこかに、アンモナイトが転がってはいないかと探してもみた。
諭鶴羽山山頂(背景に紀伊水道)
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植生も地質も、これまでよく歩いた山域とは異なる。上を見たり下を見たり、立ち止まったりしている間に、どんどん人に追い越されていった。その人たちは論鶴羽神社まで降りていったのか、ようやく辿り着いた山頂は意外に静かだった。日差しに何となく春を感じるが、吹く風はまだ冷たい。山頂から東を見ると、緩やかな稜線から続く丘が急傾斜で海に落ち込んでいる。西南日本を貫く巨大な活断層、中央構造線にそって直線的に浸食された地形である。丘の下に広がる海は白く霞み、わずかな濃淡を示すのみである。その茫洋とした海はそのまま空の白にとけ込んでいた。
海の青も水仙のレモンイエローも見ることができなかった論鶴羽山……。せめて写真だけでもと、水仙の咲く道ばたに車を止めて山を振り返った。しかし、もうそのとき、論鶴羽山は前景の山に隠れて見えなかった。
山行日:2001年2月10日 |