弥十郎ヶ嶽(715.1m)・丈山(701m)・北中山(725.9m)  篠山市 25000図=「福住」


弥十郎ヶ嶽山塊をぐるりと巡る

飛曽山から弥十郎ヶ嶽を望む
(右の最高所が弥十郎ヶ嶽山頂)

 「辻村誌」には、「弥十郎ヶ嶽」は、村の南方に連立する山々の総称とある。今、一般に弥十郎ヶ嶽と呼ばれているピークには、「海石ヶ岳」という名があった。春の一日、この弥十郎ヶ嶽山塊をぐるりと巡ってみた。

 畑市の西光寺に咲く桜の花の下で支度をした。畑市の町並みを抜け、ネズミサシの大木を見て、林の中に入った。スギ・ヒノキの植林と自然林がかわるがわる現れる谷の道を、ゆるく登っていった。
 道は途中から細くなった。暗い林内のスギの落ち葉のあちこちに、木漏れ日が落ちている。木漏れ日が目に入ると、その瞬間だけ目の前がパッと明るくなった。
 小さな谷の源頭を登りつめると、吹越峠に出た。ここには、「辻」と彫られた、古くて小さな石柱が埋められていた。ひと休みしていると、キビタキの声が響いてきた。カケスやウグイス、それにシジュウカラやヤマガラの声が混じり、キツツキのドラミングも聞こえた。
 道は峠からの尾根をすぐに離れ、尾根の南側をトラバースして伸びていた。アカマツ・コナラ・リョウブなどの明るい自然林。ヒサカキが、緑の葉をつけていた。
 枯れた小さな沢を丸木橋でまたぐと、右下に水音が大きくなってきた。やがて、谷底の岩間を勢いよく落ちる水の流れが見えた。その白い流れを背景に、ツバキが赤い花をポッポとつけていた。
 道はガレ場にさしかかった。頁岩・砂岩・チャート……、石の種類を調べていると、近くの石にテングチョウが止まった。石の間には、タチツボスミレが咲いていた。
 黒い岩肌を、水が幾筋にも分かれてすべり落ちる小さな滝があった。道はその滝の上で、沢に下りていた。

タチツボスミレ

 石を見始めると、なかなか前に進まない。3人のパーティーに追い越された。私が歩き出すとこの3人を追い抜き、止まって石を見ていると追い越されるものだから、何度も前を入れ代わった。
 青色のきれいなカケスの羽をひろった。急なところには巻き道がつけられていた。2つ目の巻き道は通らずに、チャートの硬い岩盤に固定されたロープをつたって岩間を直登した。
 標高580m、谷の右の斜面にポッカリと穴を開いた洞窟があった。洞窟の入口は、高さ4mほど。斜め上に大きく掘られ、奥行きは10mほどもある。岩は、オレンジ・白・黒がまだらにになった層状チャート。あたりのようすや岩の産状から、鉱山跡とは思えない。入口近くの段になったところに、「山窩弥十郎洞窟」の札が一枚立てかけられていた。

この岩の間を登る 洞窟の層状チャート

 道は、やがて沢を離れ、急な斜面を登ると主尾根の小さなコルに出た。大きなホオノキの白い樹肌を見て尾根道をたどると、弥十郎ヶ嶽の山頂に達した。
 山頂にたどり着いたのも、3人とほぼ同時。山頂の標識をバックに写真を撮ってあげたりした。

 弥十郎ヶ嶽の山頂は、北西に開けていた。西ヶ嶽〜三嶽〜小金ヶ嶽〜八ヶ尾山〜櫃ヶ嶽と続く多紀アルプスの稜線が、春に白くかすんでいた。
 南風がゆるく吹いていた。越冬したわりにはきれなヒオドシチョウが、地面に降りてはまた飛んでいった。空には巻層雲が広がり、その巻層雲に日暈がくっきりとかかっていた。
 ふもとで合わせてきた高度計が、20mも高い標高を示している。高気圧が急速に遠ざかろうとしていた。

弥十郎ヶ嶽山頂
(背景は右より小金ヶ嶽・三嶽・西ヶ嶽)
巻層雲にかかる日暈
(弥十郎ヶ嶽山頂で)

 山頂を後にし、南へと下った。尾根道はゆるくアップダウンを繰り返しながら、南東に伸びていた。Ca.680mピークには、「八上山」の石柱が埋まっていた。次のCa.680mは、北を巻いて通過。気持ちのよい自然林の中に、落ち葉の道が続いた。小さなピーク連続して現れたが、ひとつひとつマップで確認しながら進んでいった。
 次のCa.660mピークにも、「八上山」の石柱。さらに次のCa.660mピークには、「日置村」の石柱が埋まり、「ハハカベ山」の石柱がアカマツの幹に立てかけられていた。
 665m標高点ピークを越え、次のCa.660mピークで方向を北東に変えた。すぐ近くで、シジュウカラがジクジクジクと警戒して鳴いた。そこを通り過ぎると、今度は後方からさえずりが聞こえてきた。

 主尾根から南へ派生した701mピークには、丈山という名がついている。分岐点には、オレンジや青など、色とりどりのテープがヒサカキの木に巻きつけられていた。
 分岐から南に踏み跡をたどると、広い作業道に合流した。この道を進むと広場に出て、そこから再び細い踏み跡を進むと丈山の山頂に達した。ヒノキと雑木が混じる山頂には、小さな登頂プレートが何枚か掛けられていた。

 分岐に戻り、主尾根を北東に進んだ。やや急な坂を登ると、道はほとんど平坦になった。落ち葉を踏み、アセビの緑をくぐって進んだ。下り始める手前が、標高725.9m、北中山という名のある弥十郎ヶ嶽山塊の最高点である。あたりは、アカマツ、イヌシデ、クリなどの雑木林。どこからか、オカリナの奏す「エーデルワイス」が聞こえてきた。

北中山山頂 飛曽山山頂より723ピークと北中山を振り返る

 北中山を越して北に進むと、723mピークに達した。ソヨゴの木に「P723」の小さなプレート、枯れたコナラの木に「丈山北峰」のプレートが掛かっていた。落ち葉の上に影が長くなってきた。風も少し冷たく感じるようになった。723mピークを下り、奥谷峠への下り口を見つけておいて、先を急いだ。

 主尾根の踏み跡をたどると、今日最後のピーク、飛曽山(663m)に達した。飛曽山の山頂には、岩が重なっていた。岩の上に立つと、深い谷の向こうに、ここまで歩いてきた稜線が一望できた。
 弥十郎ヶ嶽は、山襞の陰影が逆光に薄れていた。そこから回りこんで南に見える近くのピークは、斜光を浴びて鮮やかに浮かび上がっていた。山々の夏緑樹は、まだくすんだ茶一色だが、若葉の萌え出る季節はもうそこまで来ている。

山行日:2010年4月4日

畑市西光寺〜吹越峠〜洞窟〜弥十郎ヶ嶽〜665mピーク〜丈山分岐〜丈山(701m)〜丈山分岐〜北中山(725.9m)〜723mピーク〜飛曽山(663m)〜奥谷峠分岐〜奥谷峠〜小野奥谷ため池=自転車=西光寺
 畑市から弥十郎ヶ嶽までのコースは、一般的な登山路である。弥十郎ヶ嶽から、辻川の源流部を囲むこの山塊の尾根をぐるりと回って、飛曽山(663m)まで進んだ。
 下山は、723mピークの基部(標高670m地点)まで戻り、踏み跡を探しながら奥谷峠へ下った。奥谷峠からの峠道(破線路)も、荒れた山道で一部分かりにくい区間があった。

山頂の岩石 弥十郎ヶ嶽   古生代ペルム紀〜中生代ジュラ紀 丹波層群U型地層群 チャート
        丈山、飛曽山  流紋岩
 この山域は、丹波帯に属し、チャートや砂岩や頁岩などが分布している。また、山域の東側には広く流紋岩が分布していた。
 弥十郎ヶ嶽の山頂近くには、丹波帯のチャートが分布していた。黒と白が細かく混じったまだら模様をしている。普通のチャートより石英の粒が大きいのは、再結晶しているためだと思われる。それでも、放散虫化石の丸い模様が認められる部分があった。
 丈山や飛曽山には、流紋岩が分布していた。緑色をしているのが特徴で、流理による細かい縞模様が観察される。ピンク色の長石の斑晶を含んでいる。また、1cm以下の黒色頁岩の角礫を捕獲していることがある。この流紋岩は全体的に風化が進んでいて、新鮮な標本を得ることはできなかった。

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