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中道子山(271.6m) 加古川市 25000図=「加古川」 毘沙門岩から中道子山(志方の城山)へ
山頂に中世の城跡をいただく中道子山は、「志方の城山」として親しまれている。
駐車場の南に「旧道」と書かれた小さな標識があった。そこから小道に入ると小さなため池があったが、その畔に一本の大きなクリの木が立っていた。下には、クリの実がいっぱい落ちている。思わぬ秋の収穫で、二人の栗ご飯の分だけ拾って袋に詰めた。
急な岩場を登ると、岩の間に毘沙門天の石像が祀られていた。自然の祠に祀られたその像は、風化が進んで表情もはっきりしないが、周りとは違う石質で青く佇んでいた。
毘沙門天からの直登はちょっと無理。右へ大きく迂回し、途中でヘアピンに曲がって左へ進むと毘沙門岩に出た。 岩の割れ目に体を入れ、両手で体を持ち上げると岩の上に立つことができた。そこは、高度感あふれる絶景ポイントで、目の前が大きく開けた。でも、岩の前に進むのはやめとこう。
毘沙門岩を降りて、また二人で歩き始めた。急な斜面に九十九折れの細い道が続いていた。道の両側の雑木が光をさえぎって林内は暗く、ホタルガがときどき低く舞った。くさり場コースが合流したあたりから、下生えがシダからササに変わった。
本丸跡を覆うササは、きれいに刈り払われていた。刈られたササはまだ青く、地面から草の匂いが強烈にした。本丸跡には一等三角点が埋まり、北の端には「赤松城址」の石碑が立っていた。
二人でベンチに腰掛けた。うーん、いい天気。上空には、名残りの夏空が広がっている。積雲がさっきより大きくなってきた。ツユクサがポツンポツンと紫の花をつけ、その上をモンキアゲハが飛んでいった。
山行日:2013年9月23日
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| 志方町岡登山口〜旧道入口〜毘沙門岩〜王手門跡〜中道子山山頂〜追手門跡〜舗装路終点〜志方町岡登山口 | ||||||||||||||||||||
| 志方町岡に、案内板の立つ登山用の駐車場がある。この先の道は歩行者用登山道となり、車は侵入できない。アスファルト道を行くと、10分程度で毘沙門岩の下に出た。ここから、毘沙門岩の上を経由する旧道を上った。この旧道は、標高245mあたりで新道と合流し、そこから広い道を登るとすぐに山頂の城跡である。 帰りは、コンクリート製の丸太階段が整備された新道を下った。標高160mの地点でアスファルトの歩行者用登山道の終点に達した。そこからは、この道をのんびりと下った。 |
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| 山頂の岩石 白亜紀 宝殿層 流紋岩 | ||||||||||||||||||||
| 中道子山には、白亜紀後期の宝殿層が分布している。山頂付近に露頭はないが、駐車場から毘沙門岩までのアスファルト道沿いや、そこから山頂へ至る登山道沿いでは流紋岩が観察された。どの露頭でも風化による変質が進んでいて、色も褐色や緑灰色や紫灰色などさまざまである。流理構造が不明瞭ながら確認できるところがあった。 山腹に飛び出した毘沙門岩は、花崗斑岩から成っていた。石英・斜長石(白色)・カリ長石(ピンク色)の大型の斑晶を含んでいる。全体的に風化が進んでいるので、風化に強い石英がよく目立つ。石英の大きさは最大8mmに及んでいる。毘沙門岩の表面がごつごつしているのは、これら大型の斑晶が飛び出したり抜け落ちたりしているためである。この花崗斑岩は、流紋岩中に貫入した岩脈だと考えられる。 |
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