中道子山(271.6m)    加古川市         25000図=「加古川」


毘沙門岩から中道子山(志方の城山)へ

中道子山城跡

 山頂に中世の城跡をいただく中道子山は、「志方の城山」として親しまれている。
 この山城は、室町時代に赤松円心の四男氏則によって築かれた。合戦のとき、敵の侵入を防ぐために竹の皮を敷き詰めたが、火を放たれて落城に至ったという伝説が残っている。初秋の一日、地域の歴史に目覚めた(?)妻と一緒にこの城跡を訪れた。

ふもとから見上げる中道子山

 駐車場の南に「旧道」と書かれた小さな標識があった。そこから小道に入ると小さなため池があったが、その畔に一本の大きなクリの木が立っていた。下には、クリの実がいっぱい落ちている。思わぬ秋の収穫で、二人の栗ご飯の分だけ拾って袋に詰めた。
 ため池を回り込むと、広い作業道に出た。この道を進んだが、なかなか山を上っていかない。うまく旧道に入り込めなかったようだ。
 「大船に乗ったつもりでってゆうとったけど、やっぱり泥舟やったわぁ。」
 的を得たコメントで・・・。でも、池の畔でツリガネニンジンやミヤコグサの花を見れたし、クリだって拾えたし、道まちがってえぇこともあったでぇ。栗ご飯は、今晩がええんやけどなぁ。

 もとの駐車場に戻り、案内板にあるアスファルト舗装の歩行者用登山道を進んだ。
 道は、ゆるやかに山際を上っていた。舗装路は歩きやすいし、左の自然林が日陰をつくってくれるし、なかなかいい感じ。樹上でセミがにぎやかに鳴いていた。
 10分少々歩くと、毘沙門岩の下に着いた。ここで、毘沙門岩へ向かう「旧道」とアスファルト道をそのまま進む「新道」に分かれる。山頂まで、旧道では600m、新道では1000mと標識にあった。さらに、そのすぐ上にも山頂まで500mという最短の「くさり場コース」の入口があった。
 ひと休みしたあと、旧道を登ることにした。

毘沙門岩(一番上) 毘沙門岩の下を登る

 急な岩場を登ると、岩の間に毘沙門天の石像が祀られていた。自然の祠に祀られたその像は、風化が進んで表情もはっきりしないが、周りとは違う石質で青く佇んでいた。

毘沙門天

 毘沙門天からの直登はちょっと無理。右へ大きく迂回し、途中でヘアピンに曲がって左へ進むと毘沙門岩に出た。
 岩の割れ目に体を入れ、両手で体を持ち上げると岩の上に立つことができた。そこは、高度感あふれる絶景ポイントで、目の前が大きく開けた。でも、岩の前に進むのはやめとこう。

毘沙門岩の上から

 毘沙門岩を降りて、また二人で歩き始めた。急な斜面に九十九折れの細い道が続いていた。道の両側の雑木が光をさえぎって林内は暗く、ホタルガがときどき低く舞った。くさり場コースが合流したあたりから、下生えがシダからササに変わった。
 標高245mの大手門跡で、新道からの道と合流した。ここから、広くなった道を進むと二の丸跡に出た。そこからいくつかの平坦面が重なっていた。
 米倉跡は、土塁で三方が囲まれていた。「中道子山城跡」の案内板が立ち、そこに縄張図が描かれていた。地形を巧みに利用し、いくつもの曲輪が配されている。土塁や堀切り、それに井戸なども残されている。66,000uの広さを持つ山城は、東播磨では最大だという。

 米倉跡を過ぎると、その先に本丸跡が広がっていた。

山頂(中道子山城跡)

 本丸跡を覆うササは、きれいに刈り払われていた。刈られたササはまだ青く、地面から草の匂いが強烈にした。本丸跡には一等三角点が埋まり、北の端には「赤松城址」の石碑が立っていた。

 城跡の周囲はぐるりとロープが囲んでいた。そのロープに沿って歩いた。
 南に飯盛山が反射板を乗せて立っている。その左下に平荘湖、その先には加古川の工場地帯が煙突を林立させている。東に回り込むと、権現ダム湖か緑色の水をたたえ、その向こうに小野アルプスの山並みが横たわっていた。
 最後に、お決まりの明石海峡大橋探し。双眼鏡の視野の中で、淡路島の白い山影をバックにかすんだ橋脚が見えた。

山頂から飯盛山方面を望む

 二人でベンチに腰掛けた。うーん、いい天気。上空には、名残りの夏空が広がっている。積雲がさっきより大きくなってきた。ツユクサがポツンポツンと紫の花をつけ、その上をモンキアゲハが飛んでいった。

花の名前が分かりません。誰か教えてください。 マルバハギ

山行日:2013年9月23日

志方町岡登山口〜旧道入口〜毘沙門岩〜王手門跡〜中道子山山頂〜追手門跡〜舗装路終点〜志方町岡登山口
 志方町岡に、案内板の立つ登山用の駐車場がある。この先の道は歩行者用登山道となり、車は侵入できない。アスファルト道を行くと、10分程度で毘沙門岩の下に出た。ここから、毘沙門岩の上を経由する旧道を上った。この旧道は、標高245mあたりで新道と合流し、そこから広い道を登るとすぐに山頂の城跡である。
 帰りは、コンクリート製の丸太階段が整備された新道を下った。標高160mの地点でアスファルトの歩行者用登山道の終点に達した。そこからは、この道をのんびりと下った。 

山頂の岩石 白亜紀  宝殿層  流紋岩
 中道子山には、白亜紀後期の宝殿層が分布している。山頂付近に露頭はないが、駐車場から毘沙門岩までのアスファルト道沿いや、そこから山頂へ至る登山道沿いでは流紋岩が観察された。どの露頭でも風化による変質が進んでいて、色も褐色や緑灰色や紫灰色などさまざまである。流理構造が不明瞭ながら確認できるところがあった。
 山腹に飛び出した毘沙門岩は、花崗斑岩から成っていた。石英・斜長石(白色)・カリ長石(ピンク色)の大型の斑晶を含んでいる。全体的に風化が進んでいるので、風化に強い石英がよく目立つ。石英の大きさは最大8mmに及んでいる。毘沙門岩の表面がごつごつしているのは、これら大型の斑晶が飛び出したり抜け落ちたりしているためである。この花崗斑岩は、流紋岩中に貫入した岩脈だと考えられる。

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