頂 上 石   (187.5m)       家島町西島                25000図=「西島」

”夕鶴の島”に立ち続けよ、頂上石

丘の上の頂上石 頂上石

 各地から多彩な人たちが集まった。医師、詩人、記者、教師、神社の神主さん、大学生、地元の人々、お告げによって全国を巡り巡ってここへ来たと言う人まで……。誰もが、ある一つの大きな岩に出会うためにである。

 「頂上石」は、家島諸島西島の小高い丘の上に立っている。地形図には「頂ノ岩」と記載され、また「コウナイの岩」とも「天の御柱」とも呼ばれている。私がこの岩を初めて知ったのは、香寺町の「石坐の神山」であった。その場所で、この頂上石に惹かれ調査研究をされている土井治道さんに出会った。土井さんの熱い語りに、いつの間にか私も引き込まれていた。

頂上石へ向かう
 家島から出た船は、西島の室崎の岬を北から西へ回り込んで、入り江の桟橋に着いた。目の前に、採石のために堀込まれ、むき出しになった灰色の岩盤が広がっている。もうここは、広大な採石場のまっただ中なのである。採石場の中に、ダンプ用の砂利道がうねりながら斜面を上っている。その先に見える丘の上に、頂上石はもう頭を出していた。坂道をゆっくり歩いて、30分ぐらいで頂上石の前に立った。
 高さ約8m、周囲約25m。その巨岩は、海を背景にやや西に傾いて立っていた。岩を正面から見ると、縦に走る2本の割れ目が目立つ。左の割れ目は、ほぼ上から下まで。右の割れ目は、岩の中程から下へ。左の割れ目の左右に、人の目のような模様が見える。見る角度により、また光の当たり具合いにより、さまざまな表情に変化するのである。表面の模様は、人為的につくられたものなのか、それとも自然にできたものなのか。岩の不思議な表情は、これを見た者の好奇心をかきたてずにはおかない。

 「古事記」のオノゴロ島が家島で、「天の御柱」がこの頂上石にあたると考えられたり、あるいはまた、「播磨国風土記」の神嶋が西島で、「石神」がこの頂上石だと考えられたりもしている。古の昔、各地の巨岩は磐座(いわくら)として神と結びつけられて崇拝されてきた。人工的なものが加わっているにしろ、加わっていないにしろ、頂上石はまさに磐座にふさわしいたたずまいであった。

 岩の立つ丘からは、あたりの海をぐるりと見渡すことができる。海には、家島の島々が浮かんでいる。相生から姫路までの海岸線が北に見える。南西には小豆島の島影。
 「天気のいい日には、四国や淡路もはっきり見えて、まわりはぐるっと陸地に囲まれているんです。ちょうど、湖の真ん中の島のようで、国生みの島にふさわしい景色です。」この日の「天の御柱見学会」を企画し、自らも家島の古代を研究している割烹旅館「志みず」の支配人、高島一彰さんは、こう語った。

採石場(頂上石北)
 ここでまた、思いがけないものを見た。頂上石の下に、真新しい三角点標石が4個の保護石に囲まれて立っていた。しかも、一等三角点である。私の持つ平成2年修正測量された地形図には記載されていない。
 帰って、「点の記」を調べてみると、ここから360m南方に埋標されていたものを、平成4年9月にここへ移設している。標高187.47m。おそらく、旧位置の三角点が採石によって危うくなったので、ここに移設されたのであろう。頂上石の下なら、いつまでも安全だ。移設の時点では、そのように判断されたのかも知れない。

 北から、西から、東から、迫っている採石による切り崩しは、かろうじて頂上石の寸前で止まっている。これまで幾度となく切り崩されそうになっては、その危機を逃れてきた頂上石に、今また新たな危機が迫っている。保存すべきなのか、下の岩盤もろとも削り取ってしまうのか。結論がでないのなら、占い師を呼んできて決めてしまおうという話まで持ち上がっている。

 際限のない採石によって、削り取られていく家島の島々……。かつて、ルポライターの荒木有希さんは、山を削り取って生活を支える家島諸島を、身を細らせながら自らの羽で美しい織物を織り上げていく「つう」にたとえて、”夕鶴の島”と呼んだ。
 「今も、この島は国生みの島なんです。ここで採れた石が、埋め立てに使われて国をつくっていく。そうとでも思わないとやってられません。」家島神社の神主である高島俊紀さんは、こう私に語ってくれた。

 旅館「志みず」に帰って、高島一彰さんの弟さんの作曲された「コウナイの石」を聴いた。ストラムスティックで演奏されたその曲は、哀愁の漂う、しかも甘美な調べであった。目をつぶると、海に浮かぶ丘の上に日差しを浴びて神々しく立っていた頂上石が、再び見えたような気がした。

山行日:2002年2月3日


※ 土井治道氏には、調査研究された論文集『仮説、「コウナイの石」』やその他の資料を頂きました。
※ 伊藤三樹夫氏には、著書『コウナイの石』(共著)を謹呈して頂きました。
※ 高島一彰氏には、論文『国生みの島』を頂きました。
以上、ここに感謝致します。
また、高島一彰氏作成のホーム・ページ『志みず・COM』に、ご自身の研究成果「国生みの島」や今回の「天の御柱探訪記」が掲載されています。

山 歩 き の 記 録

  行き:西島室ノ内〜(採石場内道路)〜頂上石         帰り:頂上石〜(採石場内道路)〜西島室ノ内

天の浮き橋を渡る
  姫路港9:00発の家島汽船に乗る。真浦を経由し、9:34宮に着いた。宮の桟橋から、海岸の道路を東へ10分程度歩くと、割烹旅館「志みず」に着く。今回の「天の御柱見学会」は、「志みず」の支配人高島一彰さんの呼びかけで実現した。総勢26名である。「志みず」前の桟橋から海上タクシーに乗り、15分程で西島室ノ内の採石場の桟橋に着いた。
 桟橋からは、採石場内の砂利道を「頂上石」まで歩く。30分程度で、頂上石に達した。

 帰りの船は、西島の南を回り、坊勢島との間にある「天の浮き橋」を通った。かつて、ここは潮が引くと陸が現れ、人々は両島の間を歩いて渡ったという。今は、船の行き来のために水面下4mまで堀込まれている。松島、高島、黒島、加島……。家島の島々の名前や伝説などを、高島さんや地元から参加された方から教えてもらった。

 帰りの家島汽船は、真浦と男鹿を経由して、姫路港に着いた。


   ■「頂上石」の岩石■ 白亜紀  相生層群赤穂累層  流紋岩質溶結凝灰岩

 地質岩石探訪『西島「頂上石」の岩石』をご覧下さい。

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