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恒屋城跡(236m) 姫路市 25000図=「前之庄」 守りの遺構、恒屋城跡
恒屋の集落から、山上のお堂とその上の三の郭が見えるのが恒屋城跡である。主郭は、この三の郭から尾根伝いの標高236mのピークにある。
道はよく整備されていて、大きく曲がるところには道標がつけられていたり、急なところには丸太が渡されていたりしていた。雑木の落葉と、ヒノキの丸い実を踏みながら、山道を登っていった。 登り始めて10分あまりで、頭上の枝葉が途切れ城跡の南端に達した。ここには、ふもとからもよく見えるお堂が建っていた。お堂には、恒屋城を築いたとされる(播磨鑑 1762)恒屋伊賀守光氏が祀られていた。 お堂は南に視界が開け、眼下に恒屋の集落が広がっていた。手前の草地に、「畝状竪堀」のプレートが立っていた。竪堀を連続して並べ、敵が攻め上りにくくしていたのである。横からこの斜面を見ると、地表がゆるくうねっているのがわかった。
お堂で道は二分していた。一方は三の郭へ上る道、もう一方は三の郭へは登らずその西の犬走りを通る道である。三の郭に上ることにした。
三の郭を北に抜け、ゆるく下ると犬走りからの道と合流した。ここから、「土塁」の上を進んだ。この土塁は、三の郭の前城と、二の郭や主郭の後城との連絡に使われた。 コナラの若葉を陽光が照らし、柔らかな緑が目に鮮やかだった。 土塁が二の郭に付き当たったところに「横堀」が掘られていて、ここから二の郭には上がれないようになっていた。二の郭に上るには、横堀の手前を西に折れ、さらに北に折れて二の郭の西を進まなければならない。 道が西向きから北向きに折れ曲がるところが「横矢掛り」。攻め込んできた敵が上から狙われやすいところである。ここから、二の郭の隅を見上げると、そこには木の柵が復元されていた。
二の郭へは、その北西隅から上ることができた。本丸への侵攻を阻んでいたこの郭に、クリのなどの幼樹が密生していた。 二の郭から主郭をめざした。迷路にして敵を惑わす「堀切」や、一時的に雨水をためておくことのできる「水の手」などを見ながら坂道を進んだ。 要所に置かれた関所、「虎口」をいくつか通過した。
道端の日当たりの良いところにニガナが咲き、クチナシグサが白くて可愛い花を付けていた。
主郭の上は、標高わずか236mの山とは思えないぐらい、あたりが広く見渡せた。
そんな話をしながら、木陰に座って休んだ。ハナニガナの黄色の花があちこちで揺れている。コナラの幼樹の枝先の葉はまだ芽吹いたばかりのオレンジ色で、銀色の絹毛をまとっていた。
帰りは、三の郭の西の「犬走り」を通った。この斜面にも畝状竪掘が掘られていた。犬走りは、この畝状竪掘を横切っているので、くねくねと湾曲していた。 曲輪を囲む横堀、斜面に配した畝状竪堀、横矢掛りや虎口や土塁・・・敵の攻撃から城を守るためのいろいろな工夫が地形として残されていた。 説明板を読みながら進んでいくほどに、守りに徹したこの城の高度な縄張りに目を見張った。 テリハノイバラの白い花の上を、コミスジが涼しげに飛んで行った。
山行日:2014年5月25日
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| 恒屋登山口〜お堂〜三の郭〜二の郭〜主郭〜二の郭〜犬走り〜お堂〜恒屋登山口 |
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| 道標に従って恒屋の集落内の道を進む。道が城山の南端にぶつかったところが登山口で、広い駐車場がある。そこから山上の城跡へは、よく整備された道がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||
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| 山頂の岩石 ジュラ紀 丹波帯南山コンプレックス 頁岩 |
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| 登路全体に、白っぽく風化した頁岩が落ちていた。 山頂の主郭には、盗掘跡の穴があり、その穴の壁に露頭が見られた。剥離性のある頁岩で、風化によって淡褐色を呈していた。 |
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