トンガリ山(620m)・西寺山(646.2m)   篠山市  25000図=「篠山」「谷川」

初冬の雑木林をトンガリ山から西寺山へ

トンガリ山(井根口池より) 西寺山(今田新田より)

 井根口池の畔に車を止め、四斗谷の田んぼと点在する民家の間を歩いた。葉を落とした林の中から、ツグミの声が聞こえてくる。初冬の朝の空気は、冷たく凛としていた。
 村はずれの薬師堂。その裏には、妙見堂が建っていた。ここが今日の登山口。木の鳥居をくぐって、古い参道を上っていった。
 落ち葉の上に、木漏れ日がちらつく。道に降り積もった落ち葉を踏み分けて歩いた。落ち葉を踏む音は心地よいが、その音で野鳥は逃げてしまうかも知れない。
 道の傍らには、石碑や祠が祀られていた。道は途中からつづらになった。枝に残ったコハウチワカエデの黄葉が陽を透かしている。
 大きなアベマキの木の下を過ぎると、石垣が組まれていて、その上に二段の平坦面が広がっていた。石段を上り、平坦面の上に出ると、左右に石灯篭があって広場の真ん中に「妙見宮跡」の石碑が立っていた。
 はじめ山頂にあったものがここへ移され、さらに今は参詣の便を考え登山口へ移されている。三基の小さな祠と、その枝葉で空をおおい隠すスギやヒノキ、それにウラジロガシの古木が、かつての面影をとどめていた。

コハウチワカエデ 妙見宮跡

 道はここから細い山道となった。あたりはずっと自然林。夏緑樹は、ほとんど葉を落として山を褐色に染めている。その中に、シキミ、ソヨゴ、アセビなどが、所々に緑色を混ぜていた。
 尾根道は、そのうち方向を北へ変えた。木々の細い枝の向こうに、時々尖った山頂が見えた。最後のコルから見る山頂は、見上げるばかりに高かった。すぐ近くに、ぐんと突き上がっている。
 さあ、気合を入れて一気に!と踏み出したが、露岩が気になり、鳥の声に立ち止まり、結局はいつものようにだらだらと登っていった。

 大きな岩の間を縫って山頂へ登りつめると、突然に展望が開けた。目の前に胸のすくような風景が広がっている。
 北西に白髪岳と松尾山。白髪岳の手前は四斗川によって深く削られ、山の斜面には何本もの谷が刻まれている。人工物のない大きな自然がそこに横たわっていた。
 南西には、西光寺山がゴルフ場の上に初冬の陽射しを浴びて裾野を広げている。そこから目を右に移すと、遠くに薄く七種の山々と明神山、色を濃くして笠形山、またに山、千ヶ峰、三国山、粟鹿山が稜線を長く連ねていた。
 山頂には、岩が積まれ、その台座の上に板壁とブリキの屋根の小さな祠が祀られていた。その横に座って、昼にはまだ少し早かったが弁当を広げた。

トンガリ山山頂 トンガリ山山頂より
白髪岳(左)と松尾山(右)を望む

 いつからそう呼ばれるようになったのか、「トンガリ山」。多田繁治の「なつかしの山々」に、『……この山を遠望して、「トンガリ山(俚称)」という見たままの感じの愛称を捧げながらも……』と出ている。
 しかし古くは、その歴史から「会ケ峰(あいがみね)」、「会嶺(あつまりみね)」、「妙見山」などと呼ばれていた。時は源平の時代までさかのぼる。寿永3年(1184)、平家を追って四斗谷に入った源氏軍は、この山の上空に輝く妙見星(北斗七星)を目標にして山麓に集まった。
 時は移り、延元元年(1336)、不来坂まで敗走して来た足利尊氏が、この山の上にきらめく妙見星を拝み、大願を成就できれば山上に妙見大菩薩を祭ると誓って九州へ落ちる。その後、東上して幕府を開くと、誓願どうり山上に妙見堂を建立した。このような伝えが地元に残されている。
 妙見山と名のつく山は多いが、この山を含む5つの妙見山が一列に並ぶ「妙見山直列」もミステリーだ。この尖峰は、いくつもの歴史に彩られ、そして謎を秘めている。

(山名や歴史については、「歴研ひろば151(兵庫県歴史研究会会報 2004年5月)」を参考にしました。妙見山直列については、島田さんのHP「山であそぼっ」「妙見山直列についての考察もどき」をご覧下さい。)

 空は、きれいに水色に晴れていた。風もなく、日差しがぽかぽかと暖かい。近くで、ルリビタキが鳴いていた。

トンガリ山山頂より望む笠形山から千ヶ峰の稜線

 トンガリ山の山頂から、西寺山を目指した。尾根づたいのそのルートは、トンガリ山からは雑木に埋もれて厳しそうに見えたが、切り開きがきれいについていた。積み重なったコナラやリョウブの落ち葉を踏んで順調に足を伸ばした。
 ところが、小さなピークを2つ越えたところで尾根をはずしてしまった。急斜面をどんどん下り、谷に深く沈んでいく。標高で100mほども下ったところで、道をはずしたことに気がついた。落ち葉におおわれたヤブの斜面を、ずりずりと滑りながらトラバースして、再び尾根に乗った。
 黒石越えの峠から、Ca.550mピークまで急な上り。木々の間にまばゆい陽をちょうど正面に見上げながら登る。Ca.550mピークに達したときは、ひと山登ったような気分になった。木の間に見える西寺山は、高くてまだ遠かった。
 次の570mピークはアカガシの下。そして、最後のコルから今度こそ一気に登り詰めて西寺山の山頂に達した。
 山頂は狭い裸地になっていて、その真ん中に三角点がひとつぽつんと立っていた。周囲は、モミ、アカマツの実生の幼樹やソヨゴやアセビ。それらの枝に、登頂プレートが3つ、4つ。林床には、ミヤマシキミが赤い実をつけていた。

西寺山へ(Ca.550mピーク手前) 西寺山山頂のミヤマシキミ

 山頂から、南の小さなピーク(Ca.600m)までたどってみた。下から見上げたときに、山頂の南に小さく突き出したコブである。そのコブの先は、切れ落ちていて、南の展望が開けた。正面に平らな山頂の和田寺山、その右に丸い山頂の清水山……。
 西寺山の山頂に戻り、東へ下った。初めこそ切り開きがあったが、途中からヤブの中へ。そして、急崖のすごい下りとなった。崖に張り付く木々を頼りに何とか枝沢へ下りついた。その沢を下ると、埋もれかけた林道が見つかり、その道を下って四斗谷へ戻った。

山行日:2008年12月7日
四斗谷 井根口池〜薬師堂〜妙見宮跡〜トンガリ山山頂(620m)〜Ca.550mピーク〜570mピーク〜西寺山山頂〜井根口池
 井根口池は、改修工事中だった。四斗谷の集落内を歩き、村はずれの薬師堂(地形図鳥居記号)へ。ここが、トンガリ山の登山口である。妙見宮跡(地形図卍記号)までは古い参道。そこから、登山道が山頂まで続いている。
 トンガリ山から西寺山までは、尾根上の切り開きを進む。西寺山の山頂から東へ下ったが、途中から急崖のヤブとなった。谷の古い林道に下りて、その道を下って四斗谷へ戻った。
■山頂の岩石■ トンガリ山・西寺山→白亜紀後期 平木溶結凝灰岩上部層 多結晶流紋岩質溶結凝灰岩

 トンガリ山から西寺山の山稜部には、平木溶結凝灰岩の上部層が分布している。酸化によって、岩石全体が赤く染まっているのが特徴である。軽石が押しつぶされて縞状になった溶結構造が明瞭で、強く溶結していて緻密で硬い。
 トンガリ山山頂付近で採集した岩石は、多くの結晶片を含んでいる。赤褐色の石英(最大5mm)の結晶片が、ギラギラと光って目立つ。石英には細かく割れ目が入り、一部がオパール化している。オパールの中には、遊色が見られるものもある。結晶片には、石英の他に、長石・黒雲母が認められる。また、小さな黒色の岩片が含まれている。

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