福山とんがり山(369m)〜中村行者山(555m) 神崎町 25000図=「粟賀町」
二つの鋭鋒、新緑のヤブ歩き
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| 福山とんがり山 |
中村行者山 |
笠形山の西に、小さいながらも魅力的な2つの鋭鋒がある。一つは、福山(神崎町)北の369mのピーク。地元では「とんがり山」と呼ばれている。もう一つは、中村(神崎町)南東の555mのピーク、「行者山」である。
両山とも山頂に三角点はなく、登路があるのかどうかも定かではない。尾根でつながるこの二つの山をつないで歩いてみた。
とんがり山は、この日みずみずしい新緑で装われていた。「福山いこいの館」の右手にある墓の裏から、ヤブに分け入り南西尾根にとりついた。尾根には、白く粘土鉱物化した凝灰岩のガレ石が積もっている。ツツジやヒサカキなどの細い灌木が行く手をさえぎった。ときどき立ち止まって空を見上げると、空の青をバックにコナラの若い葉がまだしんなりと下を向いて陽を透かしていた。草刈機の音が少しずつ小さくなり、やがて聞こえなくなった。
大岩を一つ越すと、林床にはコシダが群れていた。その中に足を踏み入れ強引に進もうとすると、サルトリイバラのとげがからみついた。サルトリイバラには、この後もずっと悩まされた。
上り始めて30分程で地形図に記されている岩場に達した。初めて前方が開け、夏緑樹の鮮やかな黄緑にマツの濃緑が混じるとんがり山の山頂部が高く立っていた。露岩の上で振り返ると、南に初鹿野山が大きく立ち、その右手に田園風景がのどかに広がっている。露岩をそのまま越えると、山頂は再び雑木に隠れた。
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| 南西尾根からとんがり山山頂を見上げる |
木々を払い、あるいは木々をつかみながら急斜面を上ってとんがり山の山頂に達した。山頂は、アセビ・ソヨゴ・ミツバツツジ・ナツハゼなどの雑木やヒノキに囲まれ、その下には林界を示す2本の標柱が立っていた。地面には、かすかに木漏れ日が射し、岩に腰掛けて休むと風が木々を抜けてゆるく吹き上げてきた。樹上では、姿は見えないがメボソムシクイだろうか、ジュリジュリジュリとひとしきり鳴いてからどこかへ飛んで行った。
とんがり山を後にする。すぐに踏み跡が現れた。しかし、最初のコルあたりでこの踏み跡はあやしくなり、再びヤブをこいで進んだ。振り返って見たとんがり山は、さらに鋭く尖っていた。
突然目の前が開けたと思うと、それは山を横切る林道だった。全く予想していなかったので戸惑ったが、のり面をよじ登って再びヤブの中に分け入った。
尾根が「への字」に曲がったところで、北が開けた。下に神崎工業団地の工場の屋根が見える。前方に、めざす行者山が尾根の先端に頭をもたげていた。行者山は、山頂のすぐ下がすっぱり切れ落ち、岩壁が大きく露出していた。
尾根には、ときどき踏み跡が現われた。木の幹に幅広く塗られた白いペンキが、道を示してくれた。地形図には現われない小さなピークも含めて、いくつかの峰を越えて進む。進路が北東方向から北北西方向に変わる地点から、今日初めての道が現われた。落ち葉の降り積もった、新緑に囲まれた快適な道だった。痩せた尾根を緩く下り、岩がちになった斜面を最後にわずかに上ったところが行者山の山頂だった。
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| とんがり山を振り返る |
行者山を南尾根から望む |
行者山山頂は階段状にならされ、その一番高いところに古い石の祠が立っていた。祠の中には、二体の石像が安置されていた。左の像は法道仙人だろうか。あごひげを生やし、頭巾をかぶり袈裟衣を身に着けている。左手に錫杖を持ち、右手に経巻を握って座っている。右の像は、若く柔和な顔立ちでやはり座っている。二体の石仏の前に添えられたヒサカキの葉は、もうとうに枯れていた。
行者山は、南から続く尾根の先端に位置し、麓からは鋭いというよりはたくましいという印象でぐいと盛り上がっている。山頂に石像の祀られたこの山には、どのような歴史があって、どのように人々の生活に結びついてきたのだろうか。祠の上では、ネジキの新葉が風に揺れ、ツガの枝葉ががさらにその上を高くおおっていた。
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| 中村行者山山頂 |
祠の石像(左) |
山行日:2004年4月29日