とんがり山(風早峰)    (257m)           姫路市      25000図=「龍野」
神話を秘めた尖峰、とんがり山
 
石倉から見上げるとんがり山
 昨日は、播磨ではめずらしく雪が積もった。夜には、雪が雨に変わり、そして今朝は一転して青空が広がった。その青空に誘われるように、姫路市西部の「とんがり山」と「峰相山」をめざした。
 山陽自動車道を西に行くとき、右手にチラリと小さいが鋭く尖った峰が見える。この山は、峰相山から南西に続く尾根上にそびえる標高256.7mの三角点の立つ峰で、地元では「とんがり山」と呼ばれている。また、『伊勢村史』には「風早峰」とある。この山は、その秀でた姿とともに、『播磨国風土記』や『峰相記』にも興味ある記述があり、以前から私を惹きつけていた。
 最近になって、この山域は登山愛好家や地元の人たちによって森林公園化が進められ、2000年の12月に石倉からとんがり山までの遊歩道が完成している。峰相山大池の奥に、新しく大きな案内板と、登山口を示す新しい道標が立っている。ここから、登っていった。

神岩の上
 尾根に出て、とんがり山をめざして歩く。山頂手前のコルのすぐ先にあるのが、「神岩」と呼ばれている巨大な岩である。この岩は、私の想像をはるかに超えた圧倒的な容量で尾根上に立ちはだかっていた。横を巻いて登ってから、この岩の上に立つことができる。凝灰岩でできたこの岩石の黒ずんだ赤褐色の表面には、浅く小さな窪みがいくつもある。その窪みの数カ所に、水が溜まっていた。昨日降った雪が溶けてできた水である。
 神岩の下には、「稲作の泉」と書かれた小さな看板が立っている。中世の地誌『峰相記』に、「峰の上に水をたたえた大岩が今もある。崇神天皇の時代、ここに香稲(かしね 香りのよい稲)が4本生えた。すぐに天皇に報告すると、天皇ははその稲を種として諸国で耕作せよと命じた。今、国土に広がっている香稲はおそらくはこの種子である」とある。さらに時代はさかのぼって、『播磨国風土記』に、「大汝命(おおなむちのみこと)と少日子根命(すくなひこねのみこと)が生野の岑からこの山を望み見て、その山には稲種を置くべきであると言った。そこで稲種を送って、この山に積んだ。山の形もまた、稲積(いなづみ)に似ている。それで、稲種山という。」とある。稲積というのは刈った稲を積み重ねたもの。稲ワラを「つぼき(円錐形に積んだものをこう呼んでいる)」にして積むと、まさにとんがり山の形である。稲種山と神岩の稲には深い関係があると思われる。そのようなことから、稲種山は峰相山に比定されているが、むしろこのとんがり山に比定するべきであると私は考える。それにしても、この巨大な神岩には、神話を生み出すのにふさわしい魅力と不思議さが宿っていた。

山頂から大蔵山方面
 ロープの張られた急な坂を登って、とんがり山の山頂に立った。赤い実をつけたソヨゴ、アラカシ、葉を落としたきったコナラやネジキのなどの木の下に、山頂を示す標石が立っていた。昔から、このとんがり山には「亀岩」という岩があるとされていた。これまで、この「亀岩」は先ほどの「神岩」の別名と考えられていた。ところが、2001年の1月に、この山の遊歩道を整備されていたコムサロン21の前田さんと播磨夢路さんが山頂の草木を刈ったところ、亀の姿をしたした岩が現れた。古き人たちによって名付けられ、そしていつかその存在が忘れられていた「亀岩」が、この瞬間この山頂によみがえった……。なんという胸躍る話であろうか。
 私は、残念ながら、この話を後から知った。山頂は、亀の背にあたるというが、頂に立つ私はその時なにも知らなかった。
 山頂の横に突き出た岩があり、その上に立つと西への展望が開ける。正面には、揖保川の後ろに的場山・大蔵山・亀山(きのやま)などの山塊が低く山稜を伸ばしている。南には瀬戸内海が光り、家島の島々が浮かんでいる。その手前には、そこからこの山を見初めた山陽自動車道が走っている。北風が緩く吹いているが、そう冷たくない。上を見上げれば、積雲はやや速く流れている。その積雲のずっと上、飛行機雲が幾本か東西に白く伸びていた。

 ※ 「亀岩」に関しては、コムサロン21の播磨夢路さんに教えていただきました。ありがとうございました。教えていただいた内容を、下に掲載します。

山行日:2001年1月8日
2001年1月31日 内容の一部を訂正
 播磨夢路さんより

 神岩と亀岩の件ですが、実は、昨年まで私達も同じものと思っていました。地元の方々もそうだと思っています。今年の1月にリーダーの前田さんととんがり山の天辺を見晴らしの良いように山頂の草木を刈っていました。山頂から少し降りて山頂を見ると、2メートルくらいの石や1メートルくらいの石が点在し、しばらく眺めているとなんと亀の姿に見えてきました。頭は2メートルくらいで、口を開けて天を仰いでいます。全長は約15メートルくらいです。ちょうど、山頂が亀の背中になります。私達は、絶対とんがり山のてっぺんを亀岩とよんでいたと確信しました。

市民活動支援交流サロン「コムサロン21」 情報交換掲示板 2001年1月30日 より転載
山 歩 き の 記 録 (ルート)

石倉稲荷大明神〜峰相山大池〜登山口「とんがり山・亀岩遊歩道入口」〜神岩(166m)〜とんがり山(258m)〜とんがり山三角点(256.7m)〜3つの250m+ピーク〜峰相山(244m)〜山陽自然歩道〜上伊勢 伊勢小学校裏〜下伊勢〜石倉稲荷大明神
 石倉の稲荷大明神の近くの空き地に車を止めた。この稲荷大明神は元の名を「稲根明神」と言い、4本の香稲を讃えて造られたとして『峰相記』に登場している。稲荷大明神の石段下には、『播磨鑑』に記されている「石の鞍」が祀ってあり、初めから今日の山歩きの雰囲気をつくってくれた。この石段下には、「峯相山寺跡登山口指導標」と彫り込まれた古い石柱も立っている。ここから、峰相山大池の左を通りしばらく歩くと、2000年8月にできた「石倉峰相山寺連景図」の大きな案内板が立つ。そのすぐ先が、登山口。標識によると、とんがり山へは「尾根コース(コシダ山道)」が完成し、「亀岩中コース」、「亀岩谷コース(直登コース」は整備中となっている。尾根コースを登っていった。クヌギ、コナラ、ソヨゴ、アカマツ、ヒサカキなどの雑木林である。足下には、コシダが一面に生えている。道はきれいに整備され、急な坂にはロープが張られていた。130m+コルの少し南の尾根に出た。左に「南展望台」との道標があるが、まだその道は整備中であった。この尾根を北に歩き、170m+のピークを越え、下ったコルの少し先に「神岩」がその巨体を横たえていた。
 神岩を越し、とんがり山山頂直下の険しい坂を登山道の両側に張られたロープを利用しながら登る。山頂とされているのは、256.7m三角点の少し南の地点。山頂には、標識や標石がある。山頂からは、三角点を越して北東に続く尾根を歩き峰相山をめざす。雑木とコシダの道である。不明瞭な部分も少しあるが、尾根にははっきりとした踏み跡があった。途中、西の支尾根に忽然と立つ「大黒岩」の姿が印象的であった。
 峰相山の山頂付近は、平坦な地形となり、どこかで踏み跡をはずしてしまった。地図とコンパスをたよりに歩くと、二つの小さな木のお堂が建つ峰相山の山頂が見えた。
 峰相山の山頂には、この二つのお堂の他、五輪塔やこんもりとした石積みなどがある。ここは、「峰相山鶏足寺」の寺跡と考えられている。この寺は、『峰相記』によると、神功皇后が新羅の王子を連れかえり、峰相山に草庵をつくったのが始まりとされている。その後、寺は栄えたが、天正6年に羽柴秀吉の命を受けた黒田孝高によって焼き払われている。今は、山頂付近にわずかに残されたものが、静かに過去を語るのみである。
 峰相山山頂からは、山陽自然歩道(地形図破線路)を歩いて、上伊勢の「伊勢小学校」裏へ降りていった。

  
   ■山頂の岩石■ 白亜紀 相生層群伊勢累層 流紋岩質凝灰岩

 とんがり山の山頂付近には、多くの岩が露出している。山頂をつくっている岩石だけあって、やはり硬い。やや褐色がかった灰色の凝灰岩である。
 ここの凝灰岩は、1mm程度の大きさの石英や長石の結晶片を多量に含んでいることが特徴である。また、黒雲母や角閃石の結晶片も含まれている。また、2mm程度の薄い緑色をした火山レキも多く含んでいる。異質岩片は少なく、1cm以下の黒色頁岩を少量含んでいる。
 亀岩の岩石も、上と基本的に同じである。ただ、岩石の表面や割れ目は酸化が進み、赤黒くさびている。
 とんがり山の山体下部に、数カ所の採石場がある。帰りに、その中の一つに寄ってみた。緑がかった明るい灰色の凝灰岩で、角張った緑色の火山岩塊や黒色頁岩などの異質岩片をパッチ状に多く含んでいる。結晶片は非常に少なく、山頂付近の岩相とは対照的である。全体的に軟らかく、触ると白い粉が手に着く。軟らかく加工しやすいために、石材などに利用されているのであろう。
 同じ層準の凝灰岩の中で、石英などの結晶片を多量に含み基質も硬い部分が、風化に耐えて、あの「とんがった」山容をつくったのかもしれない。

TOP PAGEに戻る登山記録に戻る