東床尾山(839.1m)・西床尾山(843m)  
朝来市   25000図=「直見」「出石」


糸井の大カツラから、東床尾山・西床尾山を巡る

糸井の大カツラ

 下山予定地の羅漢口に車を止め、そこから糸井川の流れに沿った林道を登っていった。
 スギの疎林の中に白い綿のようなものが風に舞っていた。それは、種を付けたアザミの綿毛であった。
 宙を舞う白い綿毛の背景に、「糸井の大カツラ」が見えてきた。約80本のひこばえが、朽ちた主幹を円く取り囲んでいる。その高さは35m、枝張りは30mにも達する。
 大カツラのひこばえの内部にそっと入ってみた。
 交錯した根は地面から高く浮いている。苔むした灰褐色の幹は、外から見た印象よりも一本一本が太い。
 見上げると、ハート型の緑葉をつけた枝が風に緩やかに揺れ、その緑の間から青い空が見えた。この小宇宙にしばらく佇んだ。
 外では、夏の終わりを告げるセミが盛んに鳴いていた。今日は、ここから東床尾山、そして西床尾山をめざす。

大カツラの中で見上げる

 大カツラ左奥の小橋を渡り、谷に沿った登山道をしばらく登っていくと、白い綿毛をつけたアザミの原があった。
 そのアザミの原を抜けると谷が狭くなった。

アザミの原の登山道

 大カツラから30分ほど歩くと、分岐があった。そのまま真っ直ぐ谷沿いの道を登れば、東床尾山と西床尾山を結ぶ稜線上、821m地点南のログハウスに出る。右の小橋を渡り斜面を登れば、東床尾山に直接つながる尾根に出る。
 「これより尾根道 約30分」の標識に従い、後者の尾根への道を選んだ。スギの木立の急坂をまっすぐに登ると尾根に達した。
 イワカガミの群生地があった。花期はとっくに終わっていたが、光沢ある腎臓型の葉が光っていた。
 スギやヒノキにホオノキ・クヌギ・アセビなどの雑木が混じる尾根の急坂を、ただひたすらスカイラインをめざして登ると、東床尾山の山頂に達した。

 山頂には、広々とした草原が広がっていた。三角点や頂上を示す標識の横には、10畳余りもある板床が張ってあった。その端に腰掛け、ここまでの汗を拭いた。
 眺望は四方に開けていた。北には、京都府との県境になる法沢山から高竜寺ヶ岳への稜線が見える。
 東に見える穏やかでどっしりとした山塊は、大江山であろうか。西の蘇武岳や妙見山、さらにその奥の氷ノ山は、白い霞の中にぼんやりと見えるのみであった。
 南東の空に雄大積雲が浮かんでいた。午後は、雷雨になりそうだという天気予報を思い出した。キアゲハが舞い、ツバメが越えていくこの山頂に別れを告げた。

東床尾山山頂

 東床尾山から西床尾山へは、稜線上のいくつかのピークを越える。植林されたスギやヒノキにクヌギ・ミズナラ・アセビなどの雑木が混じっていた。
 821mピークは、すぐ下のロッグハウスを経由して大カツラに達する道との分岐になっていた。  白い殻を破った赤いキノコが出ていた。絵本に出てきそうな不思議なキノコ。それが、タマゴダケだと家に帰ってから息子に教えてもらった。
 道は、よく整備されて分かりやすいが、781mピーク周辺は尾根が広くなっていて注意が必要だった。

タマゴダケ

 西床尾山は、標高843m。東床尾山よりわずかに高く、この床尾山塊の最高峰である。頂上では、先行の4人のパーティが休み、山仕事の男たちが静かに弁当を食べていた。
 スギの落ち葉が敷き詰めたこの頂上で、ここからの厳しい下りを予感しながら、私もしばらく休んだ。

西床尾山から東床尾山を振り返る

 西床尾山からは、急傾斜の尾根を羅漢谷めざして下った。一気に標高差250m……予想通りの厳しい下りであった。
 深くて狭い羅漢谷は、「甌穴(おうけつ)」、「らいでんの滝」、かつて金を採ったという「坑道跡」、「精錬所跡」など見どころが多かった。
 ただし、甌穴とらいでんの滝は、支沢に入らなくてはならない(案内板がある)。甌穴は見に入ったが、らいでんの滝を見に行く余力はもう残っていなかった。

2000年8月22日


羅漢口(不動の滝の上の羅漢谷出合)〜糸井の大カツラ〜東床尾山〜西床尾山〜甌穴(おうけつ)〜羅漢口
 円山川リバーサイドライン(右岸道路)の糸井橋東交差点から、糸井川に沿った道路を車で走る。「不動の滝」のすぐ先の谷の出合が羅漢口で、西床尾山の登山口(小さな案内板が立っている)となっている。
 下山予定地点であるここへ車を止め、糸井川に沿った林道を歩いた。大カツラまで600mの地点が、林道から分かれる分岐。
 大カツラまで車で行けるが、「現地の駐車スペースには限りがあります。また、自然愛護と合わせ、ここからの車はご遠慮ください」と書かれた看板が立っていた。
 大カツラ左奥の小橋を渡った所が、東床尾山の登山口になっている。「山頂まで約50分、東床尾山から西床尾山まで約70分」と案内板にあった。
 ここから東床尾山に登り、尾根を西床尾山まで歩き、羅漢口へ下った。

山頂の岩石  新第三紀 中新世 北但層群豊岡累層  安山岩・砂岩
 新第三紀の中新世になると、日本列島の各地で断層運動や沈降運動が起こった。同時に、海底火山活動が活発化し、緑色凝灰岩(グリーンタフ)を特徴とする多量の火山噴出物が堆積した。このときの変動をグリーンタフ変動という。
 兵庫県では北部の但馬地域において、この変動が進行し、この時の火成作用により形成されたのが北但層群である。床尾山塊は、この北但層群より成っている。
 糸井渓谷には、安山岩あるいは石英安山岩が多く見られた。しかし、尾根に出てからはほとんど露頭がなかった。東床尾山から西床尾山の稜線上に見られた小石(露頭ではない)は、ほとんどが砂岩であった。この砂岩は、黄褐色中粒で、黒い線(ラミナ)が細かく入っていることが多かった。

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