寺前城山(470m)・寺前412m峰(412m)        神河町  25000図=「寺前」


“ベレー帽山”と“いのしし山”

大河内中学校と寺前城山(412m峰の中腹より)

 雪形というのがあるが、若葉のころに絵を描く山もある。神河町の寺前では、北と南にそのような山を望むことができる。

 北にあるのが、寺前城山。この時期になると、山頂に2つのベレー帽をのせる。南にあるのが、標高412mの無名のピーク。子供たちは、小学校の校長先生に教えてもらったといって、この山を「いのしし山」と呼んでいる。山頂に、大きないのししの形が表れるのである。
 ベレー帽やイノシシを描くのは、夏緑樹の若葉の色。周りのスギやヒノキの中に、くっきりとその姿を現す。夏緑樹の緑がだんだん濃くなってくると、その輪郭がしだいにぼやけ、ついにはその形が見えなくなってしまう。

1.寺前城山

 寺前の集落を抜け、坂道と石段を登ると最明寺がある。最明寺の左脇に、城山への登山口があった。獣よけフェンスを開いて寺の裏に踏み込んだ。
 コジイとシラカシの枝葉が空をおおって暗い林内に、石仏が立ち並んでいた。石仏の間を、小道がいくつも分枝してついていた。左に寄って進んでいくと、浅い谷にいくつかの円墳が見えた(城山群集墳)。その中の1つは、横穴式石室がほぼ完全に残っていた。
 そこから少し上ったところに簡素な祠が建ち、その中に不動明王の石仏が祀られていた。

 不動明王から、小さな尾根を北に登った。コジイの森は途切れて、植林帯となった。スギやヒノキの幹を透かして、左に石垣が現れた。山道を離れ、ガレ石の上を歩いて、その石垣に寄ってみた。
 石垣は、大小さまざまな規模のものが何段にも斜面に重なっていた。周りには、瓦や陶器のかけらがたくさん落ちている。石垣に沿ってガレ石を登ると、石段が現れた。その石段を登ると、大きな岩壁で行き止まりになった。

城山の2つのベレー帽 石垣とその上の岩壁

 もとの山道に戻った。道は、尾根を離れて植林帯の中を斜めに上っていた。かすかな踏み跡程度だが、ピンクのビニールテープが城跡までの道を示してくれた。
 標高285mで、ひとつ東の尾根に出た。ところどころに、紫のフジの花が散り落ちていた。ヒノキ林の急坂をつづらに登った。
 地面は、花こう閃緑岩が風化した黄土色の土が現れている。安山岩の岩脈が、道に飛び出していた。
 急な坂を登り詰めて自然林に入ったと思ったら、もうそこが寺前城の城跡(口の城)だった。

 城跡には平坦地が広がり、中ほどの少し高いところに「寺前城跡」の標柱が一本立っていた。あたりはコナラの林。コナラの若葉は、まだ薄くてやわらかい。垂れ下がった花序がゆるく風に揺れていた。
 城跡の南端に立つと、寺前の集落がよく見えた。ちょうど田植えの時期で、田に張られた水が空の雲を映していた。電車が、音を立ててまっすぐ南に遠ざかっていった。
 ここに1本の掲揚ポールが立っていた。以前は、正月になるとここに日の丸が揚がった。やまあそさんが、このポールの台座に校章が埋め込まれているのを見つけていた。それを思い出して、台座の上の土を払いのけてみると、大河内中学校の校章が現れた。
 
 来春、大河内中学校は、学校統合によって48年間の幕を閉じる。いつ誰が埋めたのか知らないが、この校章は、大河内中学校を見下ろすこの位置で、その歴史をとどめてくれるような気がした。

城山(口の城)山頂 掲揚ポール台座に埋められた校章

 口の城跡から、北に向かった。3mほどの深さの堀切を渡り、ゆるく登っていく。ナツハゼが、新しい葉を広げている。クロモジの葉は、陽を透かしてみずみずしい。ホオノキの葉は、もう十分に大きかった。カナヘビが足音にあわてて、落ち葉の間を逃げていった。
 アセビの枝葉を分けて曲輪跡を登ると、奥の城跡に達した。二つ目のベレー帽の頂である。木々の新緑に、ヤマツツジの花が朱色の彩をそえていた。 

クロモジの若葉 奥の城跡

2.寺前412m峰

 地形図では、412m峰は御所山山塊の北に位置する一つのコブにすぎない。しかし、寺前から見上げると南を限るピークとしてそびえている。
 若葉の描くいのしし形は、背中を山頂に置き、頭は左に向けている。背中の盛り上がった恐竜のようにも見える。

 比延橋のたもとから踏み跡が上っていた。すぐに北側が伐採地となって踏み跡が消えた。潅木を分けて登ると、標高200mの地点で作業道が横切っていた。
 作業道を渡り、尾根をそのまま西へ登った。北側は伐採地が続き、尾根には獣よけネットが張られていた。コガクウツギが、ネットから白い花をのぞかせていた。

イノシシ模様の412m峰 コガクウツギ

 高度を増すほどに、眼下に寺前の町が大きく広がっていった。先ほど登った城山が、寺前の町を抱くようにして大きく立っていた。ネットの向こうの林から、ホオジロとセンダイムシクイのさえずりが聞こえてきた。
 北側の伐採地は、標高315mまで続いた。そこから、ネットをくぐって雑木林の中に入った。コバノガマズミが小さな白い花をつけ、林床のところどころにヤマツツジが咲いていた。
 やぶをこいで登っていくと、今度は尾根の南側が伐採されていて、そこにはヒノキの幼木が植えられていた。南側が開け、はにおか運動公園の野球場から子供たちの掛け声が上がってきた。

412m峰山頂のリョウブ
 しばらく北側の伐採地を歩いたあと、再び雑木林に入った。コナラに、アカマツやソヨゴやネジキが混じっている。このあたりがもう、いのししの頭かもしれない。
 身をかがめて、雑木を縫うようにして先に進んだ。落ち葉が乾いた音を立てた。ホオジロはずっとさえずっていた。
 尾根に現れた大きな岩をいくつか乗り越えると、傾斜が緩くなって412m峰の頂に達した。
 小さな木の杭が打たれているだけの山頂……。コナラやリョウブのやわらかい葉が、風にさわさわとたなびいている。若葉を透かした木漏れ日がやわらかかった。
 木々の間から、東に大嶽山が見えた。南西には、ここから尾根続きのもっと高いピークが見えるが、今日はここで引き返そう。いのしし山の頂上に立てたことで十分だと思った。
 


山行日:2010年5月9日

寺前城山 : 最明寺〜城山群集墳〜石垣群〜寺前城 口の城跡〜奥の城跡(往復)
寺前412m峰 : 比延橋〜412m峰(往復)
 寺前城山へは、最明寺左脇の登山口から登ることができる。道は踏み跡程度であるが、ピンクのビニールテープが山頂の城跡まで続いていた。
 寺前412m峰へは、小田原川に架かる比延橋のたもとから東尾根を登った。伐採地の端を歩いたり、雑木の中の踏み跡をたどったが、一部でヤブこぎが必要であった。

山頂の岩石 城山 口の城跡 → 後期白亜紀 寺前岩体 細粒花こう閃緑岩
        城山 奥の城跡 → 後期白亜紀 大河内層 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
        寺前412m峰 → 後期白亜紀 大河内層 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
 寺前城山の南側は、花こう閃緑岩から成っている。これは、市川の東側で大規模な採石が行われている大嶽山とひと続きの岩体である。
 石垣上の岩壁で観察したものは、石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・角閃石から成る細粒の花こう閃緑岩である。斜長石とカリ長石の区別は、ルーペ下では難しい。黒雲母と角閃石は、変質しているものが多かった。岩壁のところどころで、最大30cmの細粒暗色含有物が観察された。
 口の城跡付近の花こう閃緑岩はさらに細粒で、風化によって黄土色をしているものは一見すると砂岩のように見える。

 城山奥の城跡には、珪化した溶結火山礫凝灰岩が表れていた(露頭かどうか不明)。灰色で硬く、溶結構造が観察できる。
 
 寺前412m峰には、大河内層の溶結火山礫凝灰岩が分布している。石英や長石の結晶片、頁岩などの異質岩片を含んでいる。全体的に風化が進んでいるが、風化面で溶結構造が観察できた。

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