棚原山(406m)         姫路市    25000図=「前之庄」「姫路北部」


八葉寺から登る落ち葉の尾根道

棚原山山頂(中央)を鷹取山北斜面から望む

 明日から3月というのに、八葉寺の境内には小雪が舞っていた。今日はここから、二人の子供と棚原山に登った。

 八葉寺は、天平8年(736年)、行基上人の開基と伝えられている古刹である。毎年1月7日に行われる「鬼追い」では、赤鬼と青鬼が息災延命、五穀豊穣の願いを込めて踊り、多くの人々で賑わう。

八葉寺


 八葉寺本堂のすぐ裏に、登山口があった。登山口からヒノキの下の急な坂を登ると、すぐ尾根に出た。登山道は、ここから棚原山の頂上までずっと尾根に沿って続いていた。よく整備された道で、ところどころに「自然歩道」と書かれた道標が立っていた。

 小さなピークを越えてコルから急登すると、標高333m鷹取山に達した。東へ踏み跡があったので辿ってみると、すぐ近くに祠が建っていた。祠には、鷹取山元旦登山の由来が記されていた。元旦には、100人前後の登山客でにぎわったそうである。

 鷹取山を越すと、ほとんど水平に続く尾根が北西に見えた。尾根の北の高みが棚原山頂上で、そこにはまばらに生える木々の下に黄土色の土がのぞいていた。
 尾根には、アカマツの木が多かった。植林されたスギやヒノキに雑木が混じる。アラカシやコジイ、ソヨゴが緑の葉をつけていた。尾根を北へ進み、恒屋へ下る分岐を過ぎて丸太階段のつけられた急な坂を登り詰めると、棚原山の山頂だった。

 山頂には、「棚原明神旧鎮座跡」の石碑と小さな石の祠があった。山頂からは、ここまで歩いた尾根が一望できた。東がよく開けていて、市川の流れる沖積低地の向こうに深山や畑山がよく見えた。北には、笠形山が雪を頂いてかすんでいた。

 娘は、落ち葉で滑って、ここまで4、5回転んだ。しかし、頂上で食べたおにぎりで復活し、引き抜いたススキを振り回しながら先頭を切って下山した。

棚原山山頂にて
 後ろの尾根が八葉寺からの登山道


※ 2009年3月棚原山に登ったのを機会に、10年前の記録を改稿した。2人の子供がまだ私についてきていた頃のなつかしい山行である。私が石を調べているときも、2人はけなげに待っていた。その時のフィールド・ノートを見直してみると、山頂にいたのは30分。「おにぎりは2合では少ない」と記していた。(2009.4.1記)

山行日:1999年2月28日

八葉寺登山口〜鷹取山(333m)〜332.8m三角点〜棚原山頂上  (同じルートで下山)
 香寺町(現.姫路市香寺町)相坂の八葉寺から、尾根をたどった。八葉寺の境内には、自然歩道の案内板や「棚原山頂2.2km」の標識が立っている。
 棚原山へ登るには、このほかに、矢田部からのコース、恒屋からのコース、北の坂地峠からのコースなどがある。

山頂の岩石 後期白亜紀 夢前層 凝灰岩質中粒砂岩
 今回歩いた尾根道には、露頭が多くはなかった。鷹取山(333m)の手前には褐色の粗粒砂岩が、また棚原山山頂に近い標高360m地点には劈開の発達した頁岩が見られた。これらは、ジュラ紀に付加した丹波帯南山コンプレックスの地層である。
 棚原山の山頂に露頭はないが、山頂下の丸太階段の脇に凝灰質の中粒砂岩が分布していた。中粒砂岩は、細粒砂岩の薄層をはさんで成層している。黄土色に風化していて、手で崩せるほどもろい。この凝灰質砂岩は、白亜紀の夢前層の地層であるとされている(山元他、2000)。

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