田倉山火山とやくの玄武岩公園
やくの玄武岩公園

 「田倉山」は、朝来市の東端、京都府との県境にある標高350mの小さな山です。宝山とも呼ばれ、地形図にはこちらの名前が記されています。
 きれいな円錐形をしているのは、この山が今から約30万年前に噴出したスコリアが降り積もってできた火山であるからです。山頂部には、その時の火口の跡がくぼ地として残されています。

 「やくの玄武岩公園」は、田倉山山頂から2.5kmほど南東に下ったところにあります。ここで、玄武岩溶岩に発達した見事な柱状節理を見ることができます。この溶岩は、スコリア丘をつくった田倉山火山の噴火に先立つ火山活動で流れ出したものです。

 田倉山は、江戸期にできた石仏巡りの道や宝山公園からの遊歩道が通り、ハイキングコースとして親しまれています。
 晩秋の一日、田倉山とやくの玄武岩公園を訪ね、火山活動の残したものを探してみました。
 

1、田倉山はスコリア丘

田倉山を南より望む 田倉山のスコリア層
 
 三瓶山・大山・扇ノ山・神鍋山など、西日本の第四紀火山は、中国地方から近畿地方の日本海側に点々と分布しています。田倉山はその東端にあたり、京都府では唯一の火山となります。

 田倉山ができたのは、今から約30万年前。火山噴火によって噴出したスコリアが堆積してスコリア丘ができました。30万年の間に侵食され、南側に谷も発達していますが、それでも同心円状に広がる等高線や山頂のくぼ地が火山地形のなごりを示しています。

 空中に飛び出たスコリアは、地面に落下すると、同心円状の高まりをつくっていきます。噴火が連続し、斜面の傾斜が一定の角度を超えると不安定になって、高いところのスコリアが下方へ転げ落ちます。そのため、スコリア丘は、直線的な傾斜をつくるのが特徴で、裾野を引きません。物質が安定に斜面をたもつことのできる角度を安息角(安定角)といい、スコリアのその角度は約30°です。

 下の図は、神鍋山と田倉山の地形断面を表したものです。神鍋山もスコリア丘ですが、田倉山よりもずっと新しく、約1万年前の噴火によってできました。
 神鍋山の比高は120m、西側斜面の傾斜は直線的で約26°です。それに対して、田倉山の比高は約150m、斜面の傾斜は上ほど急になり標高250mまでは約13°、標高250m〜300mは約20°、標高300m以上は29°です。このことからも、田倉山の方がより侵食が進んでいることがわかります。

 山頂のくぼ地は、火口跡と考えられ、直径200m程の大きさでクレーターのように丸くへこんでいます。田倉山の山頂は、この火口縁にあります。

神鍋山断面図(南西ー北東)
「カシミール3D」を使用して作図
田倉山断面(西ー東)
「カシミール3D」を使用して作図

スコリア層から採集したスコリア
(火山岩塊や火山灰も含まれている)
 田倉山をつくっているスコリアはどのようなものでしょうか。
 山の地表は、土壌や落ち葉におおわれていますが、林道ののり面が少し崩れたところなどで、山体をつくっているスコリア層を観察することができました。

 スコリア層は、濃い赤茶色をしています。ハンマーで掘ってみると、中からスコリアがごろごろとでてきました。
 スコリアは、ゴツゴツした不規則な外形で、小さな穴が多く開いているのが特徴です。スコリアの大きさは、にぎりこぶし大のものが多く、その周りをもっと小さなスコリアやその破片、あるいは火山灰が埋めています。

 スコリアは、火山噴火のときに、マグマが火道内で急速に発泡しながら爆発的に放出されたときにできます。スコリアに見られる小さな穴は、その発泡の跡なのです。マグマの化学成分が流紋岩質のときは、色の淡い「軽石」となりますが、玄武岩質のときはこのように色の濃いスコリアとなります。
 スコリアが赤茶色をしているのは、酸化によるためです。火山から噴出され地面に落下したスコリアはまだ熱く、まわりに空隙がたくさんあって酸素が十分に供給されるため、酸化されて赤っぽい色となります。

2、やくの玄武岩公園

柱状節理の湾曲とその上に発達する板状節理 柱状節理の断面

 やくの玄武岩公園は、福知山市夜久野町の小倉地区にあります。ここでは、玄武岩溶岩の見事な柱状節理を見ることができます。

 ここで見られる玄武岩の露頭は、豊岡市の玄武洞と同じように石切場の跡が保存されたもので、案内板によると、崖の高さは15m、幅は150mに及ぶということです。
 1本の柱状節理の幅は40〜50cmほど。垂直方向に発達していますが、上の方では弧を描くようにゆるく湾曲しています。柱状節理は、流れてきた溶岩が冷えると収縮するためにできる割れ目がつくる構造です。
 また、溶岩の表面をよく見ると、水平方向に数cmの幅で縞模様が入っていることがわかります。この縞模様と平行に板状節理が見られます。板状節理は、崖の上の方で特に発達しています。
 崖の西の方では、柱状節理と直角に割れ目が入り、そこから侵食が進んで、丸い石を積み重ねたようなおもしろい構造が見られます。
 崖の前は池のようになっていますが、ここで柱状節理の断面を見ることができます。断面は6角形のものがほとんどですが、なかには5角形のものも見られます。いっそうきれいな断面は、公園の前の道路下の河床で見ることができます。

玄武岩の柱状節理
(水平方向に縞模様が見られる)
柱状節理と風化のようす

 この露頭は、京都府指定の天然記念物に指定されているのでハンマーで叩くわけにはいきません。しかし、玄武岩公園のすぐ北東にも石切場跡があって、ここで玄武岩を観察することができました。

 この玄武岩は、灰色の緻密な岩石で、ハンマーで叩くと外側からはがれるように平面的に割れます。新鮮な面をルーペで観察してみました。
 斑晶として、小さなかんらん石と斜長石を含んでいます(ともに最大1mm)。コロッとした形をしてガラス光沢を示すかんらん石は、一見黒く見えますが、光を当ててよく見ると濃褐色〜濃緑色であることが分かります。斜長石は、長柱状で無色透明、劈開面がきらりと光ります。
 斜長石には同じ向きに並ぶ傾向が見られます。これは、固結する前のマグマの流れを示していて、露頭に見られる水平方向の縞模様はこの流れを反映したものと考えられます。

3、田倉山火山の歴史 

田倉山から望む夜久野ヶ原

 田倉山の南、兵庫県と京都府の県境に広がっている高原が夜久野ヶ原(夜久野高原)です。標高140m〜210m、南北1km、東西4kmに渡るこの高原は、火山の噴火によって流れ出した溶岩が谷を埋めてつくった溶岩台地です。
 
 夜久野ヶ原と田倉山をつくった火山活動は、田倉山団体研究グループ(1984)・古山ほか(1993)・小滝(2004)などによって研究されています。
 ここでは、三度に渡って溶岩を流出する火山活動が起こり、三度目の活動の最後に田倉山のスコリア丘がつくられました。それぞれの活動によって流れ出した溶岩に名前がつけられています。
 もっとも古いのが小倉溶岩で、夜久野ヶ原の東部に分布しています(0.367±0.017Ma)。やくの玄武岩公園で見られるのは、この溶岩です。
 次に、衣摺溶岩が流れ出しました(0.365±0.013Ma)。衣摺溶岩は、夜久野ヶ原の西部に分布しています。
 最後に、田倉山溶岩が流れ出しました(0.313±0.011Ma)。田倉山溶岩は、田倉山の山麓の数ヶ所に小規模に分布しています。この溶岩の流出に引き続いて、大量のスコリアが噴出されてスコリア丘ができ、これが田倉山となりました。

登山記録「火口跡の残る第四紀火山、田倉山(宝山)」

参考文献

古山勝彦・長尾敬介・笠谷一弘・三ツ井誠一郎(1993)山陰東部,神鍋火山群及び近傍の玄武岩質単成火山のK−Ar年代.地球科学,47:377-390.
小滝篤夫(2004)近畿北部,田倉山(宝山)火山のスコリア丘の層序と溶岩台地の基盤形態について.地球科学,58:17-24.
田倉山団体研究グループ(1984)近畿地方北部,田倉山火山の地質と岩石.地球科学,38:143-160.


■岩石地質■ 田倉山火山 玄武岩およびスコリア丘
■ 場 所 ■ 兵庫県朝来市・京都府福知山市 25000図=「直見」「矢名瀬」
■探訪日時■ 2009年11月23日


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