豊岡市竹野町の田久日(たくひ)は、小さな入江にできた漁村です。この海岸で、青島のグリーンタフと弁天社の流紋岩を見ました。 1.青島のグリーンタフ 青島は、波の侵食によってつくられた波食棚(海食台)です。漁港に立ち西の海岸を見た瞬間に、青島の濃い緑が目に飛び込んできます。緑は青とも言い表されるので、青島と呼ばれているのです。 駐車場から、漁船を係留するスロープを西へ歩いていくとその上に立つことができます。 この波食棚をつくっているのは、「グリーンタフ」と呼ばれている凝灰岩です。凝灰岩といっても、単純に火山灰が固まってできた岩石ではなく、多くの岩石の破片が集まってできています。岩の上を歩きながら、観察しました。 岩石の破片の種類は、緑色〜白色の流紋岩あるいはデイサイト、紫色を帯びた黒色の安山岩、軽石などです。大きさは50Cmを越えるものから数mmの小さいものまで多様で、角はとがっています。 流紋岩あるいはデイサイトの中には、流理の発達したものがあります。 基質は緑色、ガラス質で、石英を少量ふくんでいます。 日本海が開くとき、海底に多くの断層ができました。その断層に沿ってマグマが上昇し、海底では激しい火山活動が起こります。グリーンタフはこのときの火山噴出物が海底に堆積してできたものです。 噴出物が海底火山活動に伴う熱水の作用によって変質すると、火山ガラスや有色鉱物が緑泥石などの緑色の鉱物に変化して緑色凝灰岩となりました。
波食棚の上に丸い穴が空いています。これは、ポットホール(甌穴:おうけつ)です。ポットホールは、穴に入りこんだ石が波の力で転がりまわって穴の壁や底を少しずつ削り取ってつくられたものです。 また、ハチの巣のような穴がたくさん空いたところがあります。これは、「タフォニ」と呼ばれています。 タフォニは、岩にしみ込んだ海水が蒸発するとき、海水にふくまれていた石膏などの結晶が成長し、岩石をもろくしていくことでつくられます。
青島のグリーンタフは、北但層群の八鹿層にあたるものと考えられます。 2.弁天社の流紋岩 港の東側は、急斜面の崖となっています。この崖の上の方に大きな穴が空いていて、そこに弁天社が祀られています。弁天社は、地元では「弁天さん」と呼ばれ、大漁を祈願して信仰されています。 この崖をつくっているのは流紋岩です。大きく湾曲した流理がはっきりと見えます。流理の方向は、海面付近はほとんど水平ですが、弁天社のあるところは垂直となっています。
弁天社まで、細い石段の道が斜めに上っています。緑色凝灰岩でできた鳥居をくぐって弁天社へ登ると、小さな社殿のそばにクジラの骨が置かれていました。 弁天社の鎮まる穴は、波の力によって侵食された海食洞と考えられます。高いところにあるのは、温暖期、たとえば約6000年前の縄文時代、海水面が今より高かった時代に、大きく侵食されたのかもしれません。
石段を弁天社まで登って海食洞を内側から見上げると、表面が赤くなった流紋岩の見事な流理が見られます。海食洞は複雑な形をしていて、斜め上に突き抜けています。
この崖の下の方で、この流紋岩を観察しました。 褐色を帯びた灰色の流紋岩で、斜長石(無色)、カリ長石(淡いピンク色)、石英(少量、無色透明)、黒雲母(変質)、角閃石(変質)を斑晶としてふくんでいます。風化面では、白く変質した斜長石が目立ちます。
この流紋岩は、照来層群高山累層に対比されていますが、その位置づけは十分に明らかになっていません。成因についても、山本・先山(2016)では、地表を流れた溶岩流ではなく、溶岩ドームや貫入によって形成された可能性があるとされています。 引用 山本大寛・先山 徹(2016)山陰海岸ジオパークの流紋岩からなる地質とジオサイトの地域資源的価値の再検討.Japan Geoscience Union MEETING2016講演情報 ■岩石地質■ 新第三紀中新世 北但層群・照来層群 |