高見城山@(485m)         丹波市    25000図=「柏原」


GW,家族の前にそびえる城跡

山頂より丹波の山々を望む

 GWの一日、家族4人で高見城山に出かけた。

 高見城は1227年に築かれ、天正7年(1579年)織田信長の命を受けた明智光秀の兵火によって落城した。その本丸があったのが、高見城山である。
 JR柏原駅の手前あたりから、車の窓に城山独特の平らな頂上が見え始めた。

 「丹波悠遊の森」入り口付近の三宝寺の北に登山口があった。始めは笹の葉が茂る細い道で、イノシシよけの柵を開けて進んだ。
 少し登ると、小さな五輪塔が立っていた。そこから、僧が座禅をして悟りの域に達したと伝えられる禅座坂にさしかかった。急だが、丸太階段がついていて登りやすかった。
 坂を上り切った259mピークに展望台があった。木々が茂っていて眺めはあまり良くないが、高見城山が、眼前にそびえるように立っていた。

展望台付近より高見城山山頂を望む

 展望台から下り、ゆるやかなアップダウンを繰り返して進むと、「高見城跡950m 展望台600m」の道標のある分岐に達した。
 分岐から、凝灰岩の岩場からなる急な坂が山頂へ続いていた。息を切らしながら家族で山頂へ向かった。
 途中ですれ違った家族連れの小さな女の子が、「一番上まで登ってきたよ」と、誇らしげだった。
 高見城の水源として掘られた亀井戸の跡や、石の小さな祠を越して、まず私と息子の二人が山頂に達した。少したってから、頂上直前で座り込んで休んでいた妻と娘が上がってきて、4人がそろった。

 山頂からは、初めて見る丹波の山並みがまわりに広がっていた。近くを、白山・向山・清水山・譲葉山・金山・石戸山といった500m級の山がぐるりと取り囲んでいた。
 西南西に遠く見慣れた笠形山がかすみ、東には黒頭峰・夏栗山の向こうに多紀アルプスが見えた。

 家族4人での山頂の時間は、ゆるやかに過ぎていった。

山行日:1999年5月3日

行き:「丹波悠遊の森」駐車場〜登山口(三宝寺横)〜禅座坂〜展望台(259mピーク)〜亀井戸跡〜高見城山山頂
帰り:高見城山山頂〜分岐(230m鞍部)〜丹波悠遊の森広場〜駐車場
 「丹波悠遊の森」駐車場から、禅座坂と259mピークを経由して山頂へ達した。下山は、急坂を下った分岐から南に折れて、元の地点に帰った。

山頂の岩石 後期白亜紀 鴨川層 流紋岩質火山礫凝灰岩
流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
(丹波悠々の森七ッ塚キャンプ場奥)
 高見城山には、弱溶結の流紋岩質火山礫凝灰岩が分布している。結晶片としては石英が多く、長石は白く変質している。風化が進んでいる部分が多く、明るい褐色、緑、明るいオレンジ色などの色を呈している。凝灰岩の中には、数mm〜数cmのシルト岩・チャート・黒色頁岩などの異質岩片が多く含まれている。

 丹波悠々の森の七ッ塚キャンプ場奥に、節理の発達した溶結火山礫凝灰岩からなる崖があり、そこで新鮮な岩石が観察された。
 この地点の岩石は、全体的に緑色、緻密で硬い。その中に、濃い緑色の扁平になった軽石が見られる。角張った黒い岩片は黒色チャート。チャート以外にも黒色頁岩の岩片が含まれる。

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