高 倉 山  (427.1m)                    新宮町      25000図=「安志」
冬枯れ色に染まる秀峰
 
新宮町千本あたりから望む高倉山

 栗栖神社から、うまい具合に林道が沢に沿って続いていた。

 高倉山は、新宮町の真ん中あたり、揖保川の支流栗栖川の北に位置する標高427.1mの山である。昨日の夕方、国道179号線を車で東へ走っていると、新宮町千本あたりで、正面に形の良い山が現れた。暮れかかった空に、その山はピラミダルな山容をシルエットのように際立たせていた。家に帰ってから地形図を開き、その山の名が高倉山ということを知った。

 地形図では、いろいろな箇所から取り付けそうだが、いざ足を踏み入れるとなると迷いが出る。山の麓を何度か行ったり来たりしながら、車を栗栖神社に乗り付けた。見ると、神社への参道はそのまま林道となって、谷間を先へ延びている。
 栗栖神社に車を止め、ここから歩き始めた。道はため池の畔を通り、その先は沢に沿って忠実に北へ続いていた。通る車も絶えているのか、背の高い草がかなり進入している。ある程度のヤブこぎを覚悟していたが、この道のおかげですんなりと山頂に近づいていく。やがて、沢の水はほとんど枯れ、林道も終点となった。林道の終点からは、沢の左にガレ石と落ち葉の細い道が山を登っている。スギの植林と雑木が混じった沢筋には、枝打ちされたスギの枝や間伐された幹がそのまま放置されている。そま道が獣道に変わったのか、イノシシのひづめの跡が上に向かっている。空気は、ひんやりと湿り、自分の荒い息づかいとガレ石を踏む音、幾種類かの小鳥の鳴き声がする。シロダモの木は、ときどき赤い実をつけていた。
 傾斜を増すほどに、倒れたスギの木やガレ石の中で、道はだんだん不明瞭となってきた。やがて、沢筋が消えて道も消えた。ガレ石の斜面を登りきると、そこは山頂のすぐ下の小さな鞍部であった。

栗栖神社奥の堰堤から望む高倉山
 高倉山の山頂は、まるく切り開かれていて、その中にトタン屋根の朽ちかけた木の祠があった。三角点の標石は、祠の横に四つの石に囲まれて埋まっていた。コナラやリョウブは、もうすっかり葉を落としている。山全体が枯れ葉色に染まった中で、ヒサカキ、アセビ、ソヨゴ、ヤブツバキなどの常緑樹がややくすんだ緑を呈している。眺望は、南方向だけが開けている。眼下に、栗栖川の流れる田園や集落が見える。栗栖川の流れはやがて低い山並みの向こうで揖保川と合流し、播磨平野につながっている。海岸の工場群の煙突の先に播磨灘がにぶく光り、その中に小さな島がぽつりと一つ霞んで見えた。
 三角点の前に、真新しい「高倉山親子登山記念21」と記された標柱が立っていた。裏には、「2001.1.7 東栗栖小PTA」と書かれている。新しい世紀の初めに、地元の小学校でこの山に登る催しがあったようである。なだらかな山並みが重なるこの辺りでは、この高倉山は秀でた姿でそびえている。この山を仰ぎ見る地元の人たちに、長く愛されてきた山なのであろう。 


山行日:2001年12月8日

山 歩 き の 記 録
行き:栗栖神社〜溜池〜林道終点〜390m+コル〜高倉山山頂
帰り:高倉山山頂〜390m+コル〜420m+ピーク〜390+コルに戻る〜林道終点〜溜池〜栗栖神社
高倉山山頂の三角点と記念碑 高倉山山頂から大蔵山

 国道179号線から、平野の集落内の道に入る。姫新線の踏切を越えて西村の数件の家を左に回り込むと、栗栖神社に達した(地形図147.5m三角点の右上にある神社の記号が栗栖神社)。神社には、広い駐車場があった。ここに車を止めて、歩き始める。
 広い地道の林道が、ため池の畔を通り、沢に沿って北へ続いている。ため池の先で、左へ細い道が分岐している。小さな峠を越えて能地へつながる小径のようである。そのまま、沢に沿った林道を上っていく。林道の終点から、道は荒れた細いそま道に変わる。傾斜がだんだん増し、沢筋が消えるとその道も消え、そこからはガレ石の斜面を登っていった。やがて、山頂のすぐ東の小さな鞍部(390m+)に出た。尾根には、はっきりした切り開きがある。鞍部から、左へほんの少し登ったところが、高倉山の山頂であった。
 山頂から東へ続く尾根を歩いて下山しようとした。420m+のピークまで歩いたが、先ほどから気になっていた猟犬の吠える声が行く手から近づいてくる。犬は苦手。猟師の鉄砲はさらに恐い。ここで、Uターン。千が峰の麓で買った、マスコットの小さなオカリナをピーピー吹きながら、先ほどの鞍部から来た道を下っていった。
   ■山頂の岩石■ 白亜紀  相生層群伊勢累層  流紋岩質溶結凝灰岩

 高倉山には、相生層群伊勢累層の溶結凝灰岩が分布している。林道に露出する凝灰岩は、かなり珪化していて硬い。基質は、褐色や淡青色で1cm以下の頁岩やチャートなどの異質岩片を多く含んでいる。弱い溶結構造が観察される部分があった。
 山頂に岩石は露出していないが、そのすぐ下の鞍部に小さな露頭があった。褐色の粗粒な凝灰岩で、淡褐色の長石と角閃石らしき黒色鉱物の結晶片を多く含んでいる。石英の結晶片は、ほとんど認められなかった。

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