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2009皆既日食 in 上海


1、上海へ

車窓から見る上海の街並み
 トップツアーの企画した『上海皆既日食ツアー』に参加した。
 2009年7月22日の皆既日食は、皆既継続時間が21世紀最長の6分39秒。46年ぶりに、日本の国土を皆既日食帯が通る。コロナ、プロミネンス、ダイヤモンドリング……その写真や映像を見るたびに、授業で生徒たちにその話をするたびに、自分の目で実際に見たいと思っていた。

 機材は、タカハシのP−2。1987年、沖縄で金環日食を見たときと同じである。カメラは、今もペンタックスのフィルムカメラ。フィルムの種類が減っていたのには驚いた。モータードライブを修理したり、レリーズを買い足したりして、準備を進めた。

 一緒に参加するFさんと姫路で落ち合い、関空から上海へ。午後10時に、上海のホテルに着いた。タクシーの運転手さんや、ビジネスで上海に渡るという飛行機の中で隣になった人に、「天気が良くなることを祈ってる」と励まされて、ここまでやって来た。
 ホテルは、「上海光大会展中心国際酒店」。パリの凱旋門をイメージさせる近代的な建物である。コンビニへビールやつまみを買いに出たとき、あやうくバイクにぶつかりそうになった。上海では、信号が青だからといって油断してはならない。

 翌日の天気予報は、きわめて悪い。武漢、上海、トカラ列島と、皆既日食帯にぴったり沿って梅雨前線が伸びている。ここまで来た興奮と、天気の不安を、アルコールにやわらげられて、いつの間にか眠っていた。

2、皆既日食

 5時に起き、朝食をとって、バスに乗り込んだ。観測場所は、上海中心部から南へ60km離れた海に近いところ。会場に着くと、もう多くの人たちが観測の準備を終えてそのときを待っていた。
 全天が厚い雲におおわれた空をときどき見上げながら、私たちもシートを広げ望遠鏡を組み立てた。いつもは山で使っているクリノメーターで赤道儀の方向を合わせたが、太陽が見えないので鏡筒の方向を決めることができない。会場の音楽が途切れ、「第1接触まであと○分です。」というアナウンスが流れた。

 太陽が雲に隠れたまま、第1接触に入った。「ただ今、第1接触です」という感情のないアナウンスの声に、拍手がパラパラと起こった。雲の流れは意外に速く、ときどき雲の薄くなったところから太陽が見えた。2度目に見えたとき、太陽の上側が欠けているのが分かった。
 シートに仰向けになって寝転んでいるFさんが、「もうすぐ雲の薄いところが来る。」、「しばらく見えない。」などと教えてくれる。私は、望遠鏡に取り付けたカメラのファインダーに太陽を入れようと必死……。しかし、うす雲の向こうに一瞬見える太陽の光は弱すぎてレンズの先のフィルターを通らない。いっそうフィルターをはずそうかと思ったが、思いとどまった。
 「今、○分食です。」日食は、どんどん雲の向こうで進行していく。太陽が、ときどき顔を出すたびに大きく欠けていっているのが分かった。9分食が過ぎてから、細い線のようになった太陽が一瞬見えた。「おおっ!」というどよめきが会場に湧き上がった。「いけー!」「がんばれー!」という子供たちの大きな声が響いた。

空を見上げるツアーの人々 雲が薄くなると欠けた太陽が見えた
9:11:08(第1接触から47分47秒)

 あたりは急速に暗くなった。西が真っ暗だと思ったら、会場がその暗い影にすっぽりと包まれた。「ただ今、皆既になりました。」のアナウンスに拍手が沸き上がった。
 皆既日食の間は、空も地上も本当に真っ暗だった。望遠鏡などに取り付けられた小さな光源や、ペンライトの光が会場のあちこちにちらちら光っている。会場の向こうのビルには、ネオンが灯っていた。
 黒い太陽もコロナもプロミネンスもみんな雲の上。私は、はずした望遠鏡のフィルターを持ったまま呆然と立っていた。望遠鏡の鏡筒は、一度も太陽をとらえないまま、むなしく空を見上げていた。
 皆既の6分はすぐに過ぎて、再び西側から急速に明るくなった。食が始まる前には33℃あった気温が、このとき27℃まで下がっていた。

皆既が近づくと急に暗くなった
9:35:55(皆既日食開始33秒前)
皆既日食中の光景
会場は真っ暗、向こうのホテルにネオンが灯る
9:38:38(皆既日食開始2分10秒後)

 皆既が始まってから、雨がぽつぽつ降り始めた。その雨は、次第に本降りになってきた。これ以上の観測をあきらめ、機材の撤収に取りかかる。傘をさしてぐずぐず動いていると、雨は一気にどしゃ降りとなった。あっという間に、シートの上に水たまりができた。からだも機材もびしょびしょになって、やっとのことで撤収を終えたときには、あたりには誰もいなくなっていた。

雨が降り始めた
9:44:40(皆既日食終了2分22秒後)
雨の降りはしだいに激しくなった

3、皆既日食のあと

ホテルの部屋に機材を乾かす
 ずぶ濡れのままバスに乗り込みホテルに帰る。乾かすために並べた望遠鏡の部品やタオルや服で、ホテルの部屋は足の踏み場もなくなった。

 夜、同じツアーに参加した人たちと四川料理の円卓を囲んだ。旅行が好きなお父さんと一緒に来ていた女性。「お父さんと来ると、とんでもないことが起こるからもう一緒に行かない。」と、笑っていた。皆既日食が4回目だという男性は、今回は子供と一緒に来ていた。ハンガリーで見たコロナが、忘れられないという。コロナを一度も見ていない者は、一度見たいと願う。コロナを見た者は、もう一度見たいと思う。いずれにしても、皆既日食には人を惹きつける神秘的な力がある。

 日本で次に見えるのは26年後……。来年の7月11日は、イースター島で起こるのだが……。帰りのJL794の機内で、もうこれからのことを考えていた。

 帰国した翌日の授業。生徒たちに観測風景と、皆既中のネオンの写真を見せた。コロナの写真をおみやげにするはずだったが、それが中国のスナック菓子に変わった。日本にはない中国の味を、生徒たちは嬉しそうに(?)顔をしかめたりして食べていた。