| 進美寺山(361m)〜須留岐山(449.6m) 日高町・養父町 25000図=「江原」 |
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車を降りて伊佐橋の上に立ち、山を見た。進美寺山(しんめいじさん)は円山川の右岸から急な角度でせり上がり、その山頂からいったん高度を下げた稜線は、緩やかに起伏を繰り返しながら再び高度を上げて須留岐山につながっている。山を眺めていたわずかな時間に雲は切れ、朝の陽の光は進美寺山と須留岐山を円山川の流れの向こうに浮かび上がらせた。
進美寺の境内は、一面こけにおおわれていた。周囲には、古い石仏がポツンポツンと立っている。仁王門の向こうの観音堂は、藁のすだれでまだ囲われていた。軒下に雪の残る境内に、紅梅がほころんでいた。 観音堂の裏手から、進美寺山の山頂まで雑木とササの急な斜面を真っ直ぐに上った。山頂には、こじんまりとしたお堂が建ち、このお堂にも冬囲いがしてあった。 進美寺山の山頂から、急な斜面を下った。シイやカシ、それにイヌツゲやソヨゴなどが疎らに生える雑木林だが、ときどきハッと息を飲むほどの大木が立っている。低木や下草はほとんど生えていない。濡れた落ち葉の下は、ぬかるんでいる。下まですべり落ちないように、木の幹に抱きついたり、枝をつかんだりしながら、それでもほとんどすべるようにして下りていった。やがて、いい具合にめざしたコルに下り立った。そこには、伐り開かれた小径が通じていた。木の間越しに見えていた須留岐山のピラミダルな山影が、ここからはさらに高く見えた。
いくつかのピークとコルを過ぎ、山頂の手前のコルに着いた。すると、先程のピークの手前で消えたシカの足跡がまたここで現れた。忠実に尾根道を辿った私に対して、シカはピークを一つ省略して、ここまで歩いてきていたのだった。シカの方が、数段上である。そのシカの足跡に導かれるようにして、須留岐山の山頂に辿り着いた。 丸く切り開かれた須留岐山の山頂には、アセビがもう大分伸び始めていた。山頂からは、周囲の木の間越しに眺望が開けている。円山川が蛇行しながら、自ら開いた平野の中を悠々と流れている。三川山、蘇武岳、妙見山と連なる但馬の中央稜は、白く雪をまとっている。なかでも、真ん中に大きく横たわる蘇武岳の山頂ドームは真白く光り、燦然と輝いて見えた。 少し霞んだような青い空から、柔らかな春の初めの陽光が注いでいる。時折、ひんやりとした風が下から吹き上げる。しかしその風は、もう身を切るほど冷たくはなかった。 ※ 山名の表記について 地形図には「須留岐山」と記されているが、登山道や山頂の道標には「須留喜山」と書かれている。また、手持ちの道路地図にも「須留喜山」と記されている。 山行日:2002年3月3日
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国道312号線を北上。八鹿町から日高町へ入ってすぐの交差点を右折して、円山川を越え、赤崎の集落の手前に車を止める。 赤崎の集落を抜け、「伊久刀神社」の側を通って、山道に入る。道は、沢からすぐに離れ、山の急な斜面を上っていく。標高200mあたりで尾根に出るが、この地点には5丁の丁石仏が立ち、この道が進美寺への参道であることを教えてくれる。やがて、9丁の石仏の立つ地点で、道は進美寺方向(地形図破線路)と進美寺山頂方向に分かれる。この分岐を、進美寺へ向かった。進美寺山の北斜面を少し上った後、緩やかに下ると進美寺の境内が広がる平坦地に達した。 進美寺からは、進美寺山の山頂に向かって雑木とササの斜面を真っ直ぐに上った。山頂の一歩手前で、先の分岐からの道と合流する。お堂の建っている進美寺の山頂からは、木の間越しに但馬の山々や円山川の両側に開けた街や田園が見える。 進美寺山頂から東へ須留岐山をめざした。山頂からの急な斜面をすべり降りて達したコル(260m+)には、道が通じていた。道は、尾根の少し南を巻くように進み、送電線の下をくぐると、「須留喜山」の道標が立っていた。道は尾根上に切り開かれ、端を赤く塗った竹札や板の札がこの道に沿って枝から吊り下げられていた。コナラ、イヌシデ、クヌギ、アセビ、リョウブ、ヒサカキなどの混じった雑木を縫った尾根上の道を進み、いくつかのピークを越えて須留岐山の山頂に達した。 須留岐山からの帰りは、元来た道を最初のコル(360m+)までいったん下りる。そこから、南斜面を浅間の集落方向へ下りていった。雑木の下の急斜面を、すべるように降りていくと、浅間の集落の西の道(地形図実線路)に出た。ここから、円山川の右岸に沿って歩き、赤崎まで帰った。 |
| ■山頂の岩石(須留岐山)■ 新第三紀中新世 北但層群豊岡累層 砂岩 須留岐山の山頂手前(標高約400m)に、礫岩の露頭があった。礫岩には、最大で30cm程度の円礫が多く含まれている。礫の種類は、細粒花崗岩・チャート・流紋岩などで、それらの礫を粗粒砂岩が埋めている。礫岩のすぐ上に褐色の細粒砂岩の露頭があり、この砂岩が須留岐山の山頂付近に小規模に分布している。砂岩には、珪質で硬い部分もあり、また、炭化物が含まれているのが観察できた。 礫岩は、しばしばある地層の層準の最下部にくる。進美寺山や須留岐山の大部分はは北但層群八鹿累層でできているが、山頂付近の礫岩と砂岩は、この上に堆積した豊岡累層と考えられる。 また、山体最下部にあたる円山川の右岸には、流紋岩質凝灰岩が分布していた。石英の斑状結晶を多く含む灰色の硬い岩石で、軽石や他の種類の岩片を含んでいる。この流紋岩質凝灰岩は、矢田川層群に属すると考えられる。 |