空 山 (900.9m) 宍粟市 25000図=「西河内」
平成之大馬鹿門
 |
雪に立つ「平成之大馬鹿門」
山頂に「平成之大馬鹿門」というユニークな名の、しかし形は直方体を縦に重ねただけの単純な石柱が立っているのが空山である。
空山の南東麓は、「高保木の森」という名で里山として整備されている。
中央入口から遊歩道に入ると、すぐに炭焼窯が現れ、その横の急な石畳を上ると若いコナラの林へ入っていった。
道には、細かく砕かれた石が転がり、その上を昨夜の雪がうっすらとおおっている。
ピューという鋭い声が聞こえた。斜面を見上げると、木々の間に一頭のシカが見えた。
浅い谷を一つ渡って進むと、分岐があった。分岐を右へとり、上っていくとアカマツの立ち並ぶ尾根に出た。南に面したこの尾根は、融雪が予想以上に進んでいた。まばらに融け残った雪は、固くなって地面にはりつき、その上の新しい雪は透けるほど薄かった。
落葉とその雪に消えかかった道を上ると、山頂広場に達した。
濡れたベンチの傍に立って休んでいると、下からズドンと一発銃声が聞こえた。その音に急かされるように、その山頂を出た。
北に進み、進路を後山方向に変えて下ると、「高保木の森」北の端の分岐があった。空山に向かって、そのまま北へ進んだ。
落葉と融け残った硬い雪が交互に現れる尾根の切開きが、ゆるやかに上り下りしながら続いていた。ヒノキ林に変り、やがて雪が地表の土をすべて隠すようになった。
峠のコルに下るところで、スギやヒノキに山頂部をおおわれた空山が、初めて姿を現した。
 |
 |
| コナラ林 |
登路より望む空山 |
下ったコルで雪が深くなってきたので、スノーシューをはいた。
上り返したあたりから、地形を読むのが難しくなった。木の幹に残る赤テープを頼って進んだ。
やがて、スギ林の急登が始まった。斜面に張り付いた雪は固く、スノーシューをけり込んでその下のクランポンを利かせなければならなかった。
スギがヒノキに変り、アセビが交じりだした。木漏れ日が、まだらに雪面を照らし、ときどきどこからか細かい氷の粒がキラキラと落ちてきた。
やがて傾斜が緩み、空山山頂に達した。
空山山頂は、真っ白い新雪におおわれた丸い高みで、その中に足を踏み入れるのが惜しいぐらいだった。
真ん中には、5個の直方体を上に積み重ねた一本の石柱「平成之大馬鹿門」が立っていた。石柱の下だけ雪が融け、基礎のコンクリートが丸く出ていた。
そこから石柱を見上げた。岩石の中の長石や角閃石の劈開面がギラリと陽光を反射し、その上にちぎれ雲を浮かべた青く澄んだ空が見えた。
 |
 |
| 空山山頂 |
空山山頂から後山を望む
(右後は船木山) |
周りは、ぐるりと高い山に囲まれていた。
後山の山頂付近が白く輝いている。双眼鏡で見ると、そこには樹氷が広がっていた。後山には、さらに樹氷が鮮やかな船木山が重なり、そこから鍋ケ谷山、駒の尾山、大海里、ダルガ峰と岡山県との県境稜線が続いていた。
双眼鏡の視野で、ちくさ高原スキー場のスキーヤーが豆粒のようにゆっくりと動いた。
そして、天児屋山、三室山、植松山……。しばらくの間、石柱の下から山々を眺めていた。
雪の下から、何か黒いものがのぞいていた。掘り起してみると、それは黒いトランクだった。中には、登頂記念のノートや石板が入っていた。ノートを手にとってみると、しっとりと湿っていた。
どれくらいの間、この雪に埋もれていたのだろうか。トランクの中に、乾いた暖かな今日の空気を入れて、再びふたを閉めた。
いつの間にか、天児屋山の上から、巻雲がうすく広がってきていた。
 |
 |
空山山頂から植松山を望む
(山頂は写真右) |
雪の中からトランクが出てきた |
山行日:2006年2月18日