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蘇武岳@(1074m) 豊岡市 25000図=「栃本」 早春の蘇武岳に残雪光る
「高校一年生のとき、まだ頂上近辺に残雪のある1000mそこそこの蘇武ヶ岳に息を切らし、クラスメイトと競争して登ったことがあった。雪をガブガブ食べ、舌を荒らしたのを覚えている。(植村直己「青春を山に賭けて」より)」
40分歩いて、493.0mピークの先の林道ゲートに着いた。ゲートの杭とチェーンは雪に隠れていた。 まだまだ先は長い。そこからも、ひらすら林道を歩いた。 標高670mで、備前山の南東尾根にとりついた。積雪が50cmぐらいになって、足が深く沈むことが多くなった。長い長いアプローチが続いた。 備前山(797m)は名色高原スキー場のリフトの終点になっていた。スキー場はすでに閉鎖していて静かだった。 さらに林道を進むと、右手に登山道が分かれる地点らしき所に着いた。このあたりで積雪は80cmほど。登山口の標識は雪に隠れて見えない。 念のため林道をもう少し進んで位置を確認した後、登山口と思われる地点に戻って、雑木の斜面に入っていった。 夏道らしき切り開きを進むと、文字の消えた標識が立っていて、その先の木の枝から赤いビニールテープが下がっていた。やがて、雪面にかすかに残るスノーシューの跡を見つけた。歩き始めてから、ちょうど2時間たっていた。雪の上に立ったまま、おにぎりを食べた。 夏道に入ると、急に雪が深くなった。表面がザラメになった残雪は、まだ1mぐらいの高さで残り、夏道を深く隠していた。 雪はそれほど固くしまっていなかった。ときどき、膝の上まで雪の中にズボッと入り込んだ。 標高900mぐらいまで、雪の斜面のきつい登り。雪に足を取られながら急な斜面を登るのは、かなり体力を消耗する。
息を切らせながら登っていくと、蘇武岳の北尾根に達した。地形図には、尾根の西に林道、東に登山道が描かれているが、その間の尾根を辿って山頂に向かった。 思いははやるが、雪に足がとられてなかなか前には進めない。大小の起伏を乗り越えて、やっとの思いで山頂直下の小さな平坦地に抜け出した。 目の前に大きく広がる丸い山頂を見上げると、雪庇が張り出していた。その下の滑らかだが急な雪面には上から雪が流れたのだろうか、かすかな縦線が細かく走っていた。雪庇が崩れそうで気味が悪かったが、思い切ってこの斜面を登っていった。
山頂下の雪は、よくしまっていた。雪庇の下を左に回り込み、その美しく光る蘇武岳山頂に立った。
山行日:2000年4月2日
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| 名色の林道入り口〜493.0mピーク北〜林道ゲート〜備前山(797m)〜登山口〜蘇武岳北尾根〜蘇武岳山頂(帰りも同じコース) | ||||||||||||
| 名色の集落の南に林道の入り口がある。地形図に実線で描かれたその林道を備前山山頂(797m)の先まで歩く。 760mコルで林道から登山道が分かれているので、ここから登山道(破線路)に入った。登山道を西に進み、蘇武岳の北尾根に達する。尾根の雪の上を南に進み、山頂の東側に回り込んで山頂に立った。 上り3時間45分、下り2時間10分のツボ足での山行であった。 |
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| 山頂の岩石 |
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| 林道の入り口付近に露頭が見られた。砂岩が主で、泥岩を挟んでいる。砂岩は、褐色、粗粒で淘汰が悪い。ところどころで礫岩となっている。泥岩は、葉理が細かく発達している。大部分が風化変質して、粘土状になっていることが多い。 観察された砂岩層は、中新世の北但層群豊岡累層にあたる。蘇武岳の山頂周辺は、その上位にあたる北但層群村岡累層が分布しているが、雪に隠されて観察できなかった。 |
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