白 髪 岳    (722m)            篠山市      25000図=「篠山」
不来坂から白髪岳・松尾山を経て文保寺へ
 
 吉川JCTで中国自動車道から舞鶴自動車道へ入り、最初のトンネルを抜けると急に左右から山々が迫ってくる。私は、この瞬間が好きである。やがて、左手前方に二つの山が見える。どちらもきれいなピラミッド型であるが、左の山は稜線がゴツゴツとしている。これが、白髪岳である。そして、その右に並ぶ稜線の滑らかな山が、松尾山である。先日は、北に立つ三尾山からこの二つの山を見た。黒頭峰と夏栗山を結ぶ緩やかな曲線がつくる窓のはるか奥に、この二つの山が仲良く並んでいた。
三尾山山頂から松尾山・白髪岳を望む
(手前:左が夏栗山、右が黒頭峰  後方:左が松尾山、右が白髪岳)

 この日、篠山盆地は冷え込みによって朝霧が薄くかかっていた。一日、良い天気になりそうである。車を止めた不来坂からは、白髪岳の南面が鮮明に見える。山頂に近い部分は、あちこちに白い岩稜が露出している。その姿が白髪混じりの頭に見えることが山名の由来になったという考えに、素直にうなずける。(慶佐次盛一氏は、その著書『兵庫丹波の山(下)』で、白髪岳の「白(ハク)」が銅鉱石を表す「璞(ハク)」などの文字から来ている可能性を示している。)白髪岳の姿を特徴づけるこの白い岩石は、マグマが貫入して固まった、流紋岩の岩脈であった。

アラカシの木

 住山の集落で、一般コースを離れ、そのまま北西へ進んだ。茶畑が尽きたところから、スギの植林された斜面を登っていくと白髪岳の南尾根に出た。雑木林の広がる尾根には、落ち葉が敷き詰められた小径が続いていた。コナラ・クヌギ・ネジキ・ツツジ・リョウブ・イヌシデ……。途中、根から幾本にも枝分かれしたアラカシの大木があった。一面に広がる秋色の中で、アラカシの薄緑色の木肌と枝に広がる葉の緑が新鮮に感じられた。
 白髪岳山頂の手前2カ所で、大きな白い岩が立ちはだかっている。岩の割れ目を足がかりにしながら、設置されたロープや鎖を頼って登る。この2つの大岩越えがこのコースの大きな魅力だ。勇んで登っている間に、岩石が凝灰岩から流紋岩に変わった地点を見逃してしまったのが不覚であった。後戻りしようかと考えながらも進んでいると、すぐに山頂に辿り着いてしまった。

 さすがに人気の山。山頂は賑わっていた。眺望は四方に開け、北に多紀アルプス、西に笠形山・千が峰などの播磨の山々、北東には遠く氷ノ山・鉢伏山が見える。南には六甲の稜線が長く霞んでいる。見下ろす近くの山はスギ・ヒノキの緑と雑木林の茶色のまだら模様。それに、積雲の黒い影があちこちに重なりさらに趣を加えている。住山の茶畑で作業中の方に「今日は、天気がいいから明石海峡大橋が見えるかも知れんよ。」と言われたのを思い出して目を凝らしたが、それは見えなかった。京都から来たという人と一緒に山座同定をする。


白髪岳への稜線から望む松尾山
 白髪岳の東に立つ松尾山は、高仙寺山とも呼ばれている。大化元年(645年)法道仙人によって開かれた高仙寺が、かつてここに建っていた。また、戦国時代には酒井氏治の山城がここにあったが、明智光秀によって滅ぼされた。名残をとどめる山頂平坦面には、アセビ・イヌシデ・イヌツゲ・モミなどが疎らに生え、笹が生い茂っていた。
 歴史に彩られた松尾山の山頂から、文保寺に降りる。文保寺の庭は、古い大きなイチョウの木から落ちた葉で埋まっていた。黄色く色づいたカエデの木に日が射し込んでいる。大化年間に開かれその後興廃を繰り返した文保寺は静かに、下山した私を迎えてくれた。

山行日:2000年12月2日
山 歩 き の 記 録 (ルート)

松尾山山頂まで:不来坂〜住山〜白髪岳南尾根(360m付近)〜453mピーク(NHK共同アンテナ)〜一般コースとの合流点(610m)〜白髪岳山頂〜610m+分岐〜600m分岐〜松尾山山頂
松尾山山頂から:松尾山山頂〜肩越えの辻(550m+)〜文保寺〜二村神社〜味間南〜JR篠山口〜電車にてJR古市駅〜不来坂
 多田繁次氏が著書『北神戸の山々』(神戸新聞出版センター刊)で辿ったコースを歩く。下山後は、JR福知山線篠山口駅から古市駅まで電車を利用して車に帰ることにした。
 不来坂(このさか)に車を止め、天神川に沿って住山まで車道を歩く。一般コースは住山の集落内で大きく北東に曲がるが、今回はそのまま真っ直ぐに北西に進む。茶畑の間を進んでいくと、やがてスギの植林された斜面にぶつかる。踏み跡が林内にいくつか続いているが、水の流れに沿って登っていった。踏み跡はやがて消えたが、下草がほとんど生えていないので、そのまま尾根を目指して登る。尾根の手前で、スギの植林地から雑木林に変わった。尾根には、明瞭な小径がついていた。落ち葉の敷き詰められた気持ちの良い道だ。白髪岳までこのままこの尾根を登っていけばよい。途中、453mピークにはNHKの共同アンテナが立っていた。大きなアラカシの木の先で一般コースと合流する。そのまま進み、大岩を2つ越すとすぐに白髪岳山頂に着いた。

文 保 寺
 白髪岳から松尾山をめざす。山頂直下の急坂はすごい。登山道の両側にはロープも張られていて、一気に標高にして70m降りる。下りきってからは、地形図破線路の径が緩やかに松尾山に向かっている。文保寺への分岐を二カ所過ぎて、笹が多い斜面を上ったところが松尾山山頂。
 松尾山山頂からは、笹原から雑木林に続く踏み跡を北東に下る。踏み跡は次第に明瞭な径となり、やがて地形図の破線路と合流した。少し歩くと「肩越えの辻」と書かれた標柱が立つ五辻に着く。ここから、西斜面の急坂を文保寺のある谷へ降りていく。地形図には描かれていない最近整備された道である。一番上の砂防ダムの堰堤に出た。谷沿いに下ると文保寺。寺のすぐ上での送電線鉄塔工事が気にかかる。
 味間南、味間新、中野、大沢と、街の中を歩いてJR篠山口へ。
   ■山頂の岩石■ 白亜紀  有馬層群鴨川層 流紋岩

山頂の流紋岩
細かい縞模様(流理構造が見られる)
 白髪岳の山頂は、流紋岩でできている。色は白に近いが、淡く緑色・灰色・クリーム色がかっている部分が多い。肉眼で斑晶を認めることができない(『篠山地域の地質』 地質調査所 1993年 には、無斑晶の非顕晶質流紋岩と記載されている)。この流紋岩には、幅が1mm以下の細かい縞模様が見られる。これは、マグマの流れを示す流理構造であり、湾曲しているところも多い。
 部分的に珪化が進んでいて、割れ目に細かい水晶の結晶が光っているところがある。硬く、しかも割れ目(節理)の発達したこの岩石の特徴が、岩稜の多い白髪岳の景観をつくっている。
 山頂手前で、鴨川層の流紋岩質溶結凝灰岩からこの流紋岩に変わっている。後者が前者に貫入したものと考えられる。注意深く歩くと、貫入面(両者の境界)が観察できそうである。

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