不来坂から白髪岳・松尾山を経て文保寺へ
吉川JCTで中国自動車道から舞鶴自動車道へ入り、最初のトンネルを抜けると急に左右から山々が迫ってくる。私は、この瞬間が好きである。やがて、左手前方に二つの山が見える。どちらもきれいなピラミッド型であるが、左の山は稜線がゴツゴツとしている。これが、白髪岳である。そして、その右に並ぶ稜線の滑らかな山が、松尾山である。先日は、北に立つ三尾山からこの二つの山を見た。黒頭峰と夏栗山を結ぶ緩やかな曲線がつくる窓のはるか奥に、この二つの山が仲良く並んでいた。
三尾山山頂から松尾山・白髪岳を望む
(手前:左が夏栗山、右が黒頭峰 後方:左が松尾山、右が白髪岳)
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この日、篠山盆地は冷え込みによって朝霧が薄くかかっていた。一日、良い天気になりそうである。車を止めた不来坂からは、白髪岳の南面が鮮明に見える。山頂に近い部分は、あちこちに白い岩稜が露出している。その姿が白髪混じりの頭に見えることが山名の由来になったという考えに、素直にうなずける。(慶佐次盛一氏は、その著書『兵庫丹波の山(下)』で、白髪岳の「白(ハク)」が銅鉱石を表す「璞(ハク)」などの文字から来ている可能性を示している。)白髪岳の姿を特徴づけるこの白い岩石は、マグマが貫入して固まった、流紋岩の岩脈であった。
アラカシの木
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住山の集落で、一般コースを離れ、そのまま北西へ進んだ。茶畑が尽きたところから、スギの植林された斜面を登っていくと白髪岳の南尾根に出た。雑木林の広がる尾根には、落ち葉が敷き詰められた小径が続いていた。コナラ・クヌギ・ネジキ・ツツジ・リョウブ・イヌシデ……。途中、根から幾本にも枝分かれしたアラカシの大木があった。一面に広がる秋色の中で、アラカシの薄緑色の木肌と枝に広がる葉の緑が新鮮に感じられた。
白髪岳山頂の手前2カ所で、大きな白い岩が立ちはだかっている。岩の割れ目を足がかりにしながら、設置されたロープや鎖を頼って登る。この2つの大岩越えがこのコースの大きな魅力だ。勇んで登っている間に、岩石が凝灰岩から流紋岩に変わった地点を見逃してしまったのが不覚であった。後戻りしようかと考えながらも進んでいると、すぐに山頂に辿り着いてしまった。
さすがに人気の山。山頂は賑わっていた。眺望は四方に開け、北に多紀アルプス、西に笠形山・千が峰などの播磨の山々、北東には遠く氷ノ山・鉢伏山が見える。南には六甲の稜線が長く霞んでいる。見下ろす近くの山はスギ・ヒノキの緑と雑木林の茶色のまだら模様。それに、積雲の黒い影があちこちに重なりさらに趣を加えている。住山の茶畑で作業中の方に「今日は、天気がいいから明石海峡大橋が見えるかも知れんよ。」と言われたのを思い出して目を凝らしたが、それは見えなかった。京都から来たという人と一緒に山座同定をする。
白髪岳への稜線から望む松尾山
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白髪岳の東に立つ松尾山は、高仙寺山とも呼ばれている。大化元年(645年)法道仙人によって開かれた高仙寺が、かつてここに建っていた。また、戦国時代には酒井氏治の山城がここにあったが、明智光秀によって滅ぼされた。名残をとどめる山頂平坦面には、アセビ・イヌシデ・イヌツゲ・モミなどが疎らに生え、笹が生い茂っていた。
歴史に彩られた松尾山の山頂から、文保寺に降りる。文保寺の庭は、古い大きなイチョウの木から落ちた葉で埋まっていた。黄色く色づいたカエデの木に日が射し込んでいる。大化年間に開かれその後興廃を繰り返した文保寺は静かに、下山した私を迎えてくれた。
山行日:2000年12月2日
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