四郷宮山(91m)  姫路市        25000図=「姫路南部」


姫路市埋蔵文化センターから流紋岩の山並みへ


四郷宮山から続く丘陵
写真左:四郷宮山(91m)  中央:70mピーク   右:八重鉾山(62m)

 姫路市の四郷町は、古くから開けた地である。平野部や丘陵地には、多くの古墳や国分寺などの遺跡が集中している。
 今回は、宮山古墳から背後の宮山に登り、そこから丘陵の尾根を北へとたどった。

 登山口は、埋蔵文化センターの2階。ドアを開ければ、そのまま宮山古墳へとつながっている。

姫路市埋蔵文化センター 埋蔵文化センターの2階が登山口

 宮山古墳は、古墳時代中期に築かれた直径約30mの円墳。周囲がぐるりと擬木の柵で囲まれている。
 今は埋め戻されているが、この中に3基の竪穴式石室があって、そこから金製の垂飾付耳飾や金環、環頭太刀などの副葬品が見つかった
 あたりはアベマキの林。樹上で、モズが鳴いていた。この秋、里で聞く初めてのモズの声。アベマキの実が落ちて、地面でコツンと音を立てた。

宮山古墳 宮山古墳の頂部

 古墳を越えると、墓があった。そこからは、もう道がない。
 南北に連なる丘陵の尾根をめざしてヤブの斜面を西へ登った。コシダが繁茂しているあたりから激しいヤブとなり、北へ進路を変えながら登っていった。
 顔がクモの巣にまみれた。ウルシだけには気を付けないと・・・。木々を潜り抜けていくと、尾根の道に出た。もうそこは、山頂のすぐ下であった。

 山頂の南側には、赤っぽい色の岩盤が広がっていた。流紋岩だった。球顆が飛び出したり抜け落ちたりして、岩の表面がでこぼこしている。
 岩の上で振り返れば、秋の雲の下に仁寿山と麻生山が見えた。

 宮山の山頂は、岩盤の先の木々の中だった。ヤマハギが咲いていた。カナメモチの実が、少しふくらみかけていた。

宮山山頂の露岩 露岩から望む仁寿山

 山頂を越して北へ進んだ。木漏れ日の射す落葉の道。拾った木の枝で、ジョロウグモの巣を払いながら進むが、それでも帽子や顔にまとわりついた。
 四角い屋根の古いあずま屋を過ぎ、小さなピークを越えた。

尾根の登山道

 ホタルガが多かった。道のホタルガは、追われるように私の前を飛んでいく。そんなに慌てると、クモの巣にかかってしまうでぇ。
 アカマツの幼樹の平坦なところを進んだ。貨物列車の走る、大きな音が木々の向こうから聞こえてきた。すぐ近くを市川が流れ、そこにJRの鉄橋が架かっている。
 再び道が上りはじめた。尾根道から右へ分かれ、鉄塔の方へ向かった。

 鉄塔の脇から樹林の中に入ると、紫の翅の小さなチョウが飛んでいた。マルバハギに止まったそのチョウは、ルリシジミ。

ルリシジミ

 道は、印鐸神社へ続いていた。そこから荒れた竹やぶの中の参道を、ふもとの太神社へと下った。鳥居には、幟が立っていた。秋祭りはもうすぐである。

山行日:2019年9月25日

姫路市埋蔵文化センター〜宮山古墳〜宮山(91m)〜印鐸神社〜太神社
 南北につながる尾根伝いに道が開かれている。今回は、その道に埋蔵文化センターからヤブをこいで合流し、70mピークを越え、八重鉾山(62m)の手前で東に分かれて印鐸神社へと下った。

山頂の岩石 白亜紀後期 伊勢累層  流紋岩
流紋岩に見られる流理構造
(ハンマーのピックの方向が流理)
 宮山から八重鉾山へ続くこの丘陵は流紋岩でできている。
 山頂の岩盤は、変質が進んでいる。岩の内部は、ピンク色と帯緑灰色がまだらに混じっていて、石英と長石の斑晶がかろうじて残っている。
 大きさ10cm〜数mmの球顆を含み、球顆が飛び出したり抜け落ちたりして表面がゴツゴツしている。
 山頂以外のところで、やや新鮮な流紋岩を観察することができた。石英(<2mm)と長石(<3mm)の斑晶を含み、流理構造も明瞭に観察された。

 この流紋岩は、岩脈として貫入したものと考えられ、白亜紀後期のこの地域の火山活動を考える上でおもしろい。
 また、流紋岩は周囲の凝灰岩(溶結凝灰岩)より硬く、市川の流れがこの丘陵にぶつかって曲がっている原因となっている。
 

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