新田山(97m)    たつの市         25000図=「龍野」


「烏岩」と「重ね岩」、巨岩を乗せた風土記の山

烏岩(からす岩) 重ね岩

 たつの市の新田山は、栗栖川の畔にたたずむ標高100mにも満たない小さな山である。この山の山頂に、「烏岩」と「重ね岩」の二つの巨岩がある。

栗栖川の向こうに新田山(中央上の小丘)

 栗栖川に架かる西光橋のたもとに登山口があった。「西山公園」の案内板が立ち、ここから四国八十八ケ所霊場巡りの石仏が並んでいる。
 ハコベやナズナ、キュウリグサにキランソウ・・・春の野草が顔をそろえていた。ヤエムグラが、小さなうす緑の花を付けている。石の間に、ヒメウズがひっそりと咲いていた。
 石の祠には、各霊場御本尊の石仏が赤い帽子の弘法大師の石仏と一緒に祀られていた。5番大日如来の前には、タチツボスミレの一輪の花。アラカシの若葉は、まだ色がうすくて柔らかだった。
 道は、急な斜面を何度か折り返しながらついていた。15番十一面観音あたりは、岩の間を縫うように登っていった。
 モチツツジは、まだつぼみ。雑木の林を抜けると、明るく開けた。そこはもう、新田山の山頂だった。

新田山山頂の広場

 山頂は、広場になっていた。タンポポンの花が点々と咲いている。藤棚の下のベンチに座った。
 ホオジロやコゲラが広場の向こうの木の枝を渡り、近くでウグイスが鳴いた。

 山頂から北へわずかに進むと、2基のステンレス製の大きなタンクがまぶしく光をはね返していた。新宮のシンボルにもなるように建てられた配水池で、ライトアップの設備も施されていた。

ステンレスの配水池

 アカマツの下をさらに進むと、テイカカズラにおおわれて上に尖った大きな岩が現れた。この岩が「烏岩」で、兵庫県郷土記念物の標柱が立っている。
 烏岩の下に回り込んでみると、この岩の全貌があらわになった。テイカカヅラにおおわれているのは岩の頂部で、岩全体の高さは8mぐらいある。柱状の岩に三角の岩が乗り、栗栖川に向かって突き出していた。

烏岩

 烏岩を後にしてさらに北に進むと、突端部に四角い大きな岩が乗っていた。岩の表面は、乾いた餅のようにひび割れている。これが「重ね岩」で、もとは「とうの岩」と言った。
 反対側に回ってみると、この大きな岩を厚くて平らな岩が台座として支えているのが分かった。


 烏岩と重ね岩の二つの巨岩には、古代のロマンが秘められている。それは、「播磨国風土記」に記されている「天にあった二つの星」に比定されているからである。

 「揖保の郡」の「阿豆村(今の宮内付近という説がある)」の謂れとして、次のような記述がある。
 『昔、天に二つの星あり、地に落ちて石になりき。ここに、人衆が集まり来て語り合った。だから(集まったので)、阿豆(あつ)と名づけた。

 この二つの岩は、昔から霊岩として崇められ、地元では今も万灯という行事が受け継がれている。お盆の夕方、人々がたいまつに火をつけて山に登り、この二つの岩にたいまつを投げ上げて豊作を祈る。
 烏岩の手前に上が平らになった岩があって、昨年の万灯で燃やされた松明の跡が残されていた。

重ね岩

 重ね岩の先に立つと、北の展望が開けた。向かいに立つ大鳥山の若葉の色が瑞々しい。その右には、天神山と大寺山。眼下には新宮の街並みが広がり、栗栖川がここを取り巻くように湾曲して流れていた。

南端より新宮の街並みを望む

 満開のアセビの花を見て下った。タネツケバナが、白くて小さな花を付けていた。大師堂から石段を下った。クサイチゴの花が、風に揺れていた。

アセビ タネツケバナ

山行日:2013年4月27日

登山口(西山公園案内板)〜新田山山頂〜配水池〜烏岩〜重ね岩〜大師堂〜登山口
 栗栖川に架かる西光橋のたもとに登山口がある。ここには、「西山公園」の案内板があって、新田山に登るコースが記されている。西側からは、山頂まで車道も伸びている。

山頂の岩石 白亜紀  揖保層  安山岩質溶結凝火山礫凝灰岩
新田山山頂の岩石の表面
 新田山には、後期白亜紀揖保層の火砕流堆積物が分布している。
 岩石は、輝石と斜長石の結晶片を多く含んだ火山礫凝灰岩で強く溶結している。また、岩片として安山岩の火山岩塊や火山礫を含んでいる。新鮮な部分は、暗灰色を呈する。

 烏岩や重ね岩など山頂に点在する岩石も同じ岩石であるが、文化財なので割ることができない。
 左の写真は、岩石の表面(風化面)である。5mm程度の黒い安山岩の火山礫、3mm程度の斜長石と輝石の結晶片を認めることができる。


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