雪 彦 山(915.2m)       姫路市   25000図=「寺前」


そびえ立つ流紋岩の岩峰群
 
賀野神社から望む雪彦山(洞ヶ岳)
(中央左の最高所が大天井岳、その右が不行岳、さらに右が地蔵岳)

 賀野神社から雪彦山を仰いだ。

 大天井岳の右に、不行岳と地蔵岳が鋭く岩峰を突き立てている。
 岩壁には、連続のあまり良くないクラックがほとんど垂直に走っている。凛と引き締まった冷気の中、朝日を浴びたこれらの岩峰は薄オレンジ色に輝いて青空に屹立していた。
 美しいというよりも、凄みをもった迫力と神々しい霊気を感じさせる姿であった。

 『播磨国風土記』に次のような記述がある。
 「品太天皇(ほむだのすめらみこと)が巡行したとき、ここに屋形を造って蚊帳(かや)を張った。そこで、この里は加野(かや)と名づけられ、山と川の名も里の名と同じようにつけられた。」 
 この賀野(かや)神社には、伊弉諸神などの5神と共に誉田天皇が祀られている。誉田天皇と品太天皇は同じであり、応神天皇とされている。また、上の記述による加野山は雪彦山と考えられる。
 古代の人々は、どのような感慨をもってこの山を眺めてきたのであろうか。

 登山口の管理棟で、登山届けを出して登り始めた。随所に岩が露出した、土と落ち葉と木の根の急峻な登山道。足下の岩角や木の根のつやは、この山を訪れる人の多さを物語っている。

 展望岩からは、洞ケ岳の岩峰群が眼前に迫って見えた。
 
展望岩から見る雪彦山(洞ヶ岳)

 出雲岩は、高さ30mの巨岩であった。岩石は、7000万年前の火山活動でできた赤紫色の凝灰岩。
 出雲岩のオーバーハングを下から見上げた。岩の頂部だけに木々の枝葉を透かした陽が当たっている。
 この巨岩のひさしの下に積み重なるロック・フォールを乗り越えて登っていった。

出雲岩を見上げる

 チェーン・ロープのかかる背割り岩の溝を登ると、のぞき岩やセリ岩・・・。岩の名所が続く。
 セリ岩は、人一人が通れるかどうかの狭いすき間。家族で来た子供たちが大騒ぎをして、このすき間を通り抜けていった。通れない人は、右の見晴らし台を回って進まなければならない。このコースのユーモラスな部分。
 私は、体の左右を岩に擦りつけながら、半ば強引に、そして少しあせりながら、何とかこのすき間を通り抜けた。

 道はますます急峻になった。岩やその岩にしがみつくように生える木の幹をつかみながら登っていくと、大天井岳の頂上に達した。

 大天井岳をはじめとする雪彦山は、流紋岩からできている。今からおよそ7000万年前の白亜紀後期、このあたり一帯では激しい火山活動が起こった。地下で生まれたマグマが、地層を割って上昇し、地表に出ると火砕流を引き起こした。
 雪彦山をつくっている流紋岩は、地層中にマグマが板状に貫入し、それがそのまま冷え固まった岩床(sheet)と呼ばれるもの(※)。この流紋岩には、垂直方向の節理が発達し、縦に大きく割れ目が入っている。
 雪彦山の東は、さらに古いペルム紀の泥岩や砂岩などの堆積岩。これらの岩石は、柔らかくて侵食されやすい。それに対して、雪彦山の流紋岩は硬いために、風化・侵食に耐えて残り、また節理によって縦に割れ落ち、このようにそびえ立つ岩峰群になったと考えられる。

 大小の岩が積み重なる大天井岳の山頂には、木造の祠が建っていた。祠の中には、不動明王と高下駄を履いた行者の二体の石仏が祀られていた。
 ツガ、コナラ、アセビなどの木々の間から周囲を展望できた。今朝、そこからここを見上げた賀野神社や坂根の集落、それに登山口の駐車場が緑に小さく埋まっている。
 幾本にも分かれて流れる夢前川の源流が刻み込んだ谷は白く霞んでいる。その霞は、重なる山々の稜線を淡く、しかし、くっきりと浮かび上がらせていた。その谷と稜線の向こうには笠形山や七種の山々がさらに淡くなって浮かんでいた。 

大天井岳からの景観
(左奥の鋭鋒は七種山)

 大天井岳を下り、少し登り返すと天狗岩。そのわずか先に、地蔵岳を経て虹ケ滝に下る分岐がある。コースとしては、こちらの方がおもしろそうだが、まだ時間もたっぷりあるので、さらに北に向かった。
 低木層にミヤマシキミが多い。838mピークを越えるとスギ・ヒノキの植林となった。

 鹿ケ壺分岐を過ぎて、登り着いたところが915.2mの四等三角点。この頂が、地形図での雪彦山である。スギの木立の下で20名前後の人たちが食事をしていた。ここから北東へ向かった。

 ササの鞍部(860m)には、虹ケ滝に降りる分岐があった。ここから、鉾立山への登りにかかった。三角錐のきれいなピークだけに、きつい登り。
 鉾立山の山頂には962mの標識が掛かっていた。スギの木立の間から、今日初めて暁晴山が見えた。

大天井岳から望んだ鉾立山

 その先の942mピークが峰山分岐。峰山の方へも明瞭な小径がついていた。分岐をほんの少し東へ進み、そこで尾根を離れて南へ下っていく。杉林の中のつづら折れの径であった。
 次第に、はっきりした谷となり、いくつかの流れを合流しながら水量を少しずつ増す沢に沿って降りていく。途中、長径2mの見事な甌穴があった。

 やがて、虹ケ滝に下り着いた。右岸の崖から、ロープを伝わって人が降りてきた。地蔵岳からの道がここにつながっている。
 虹ケ滝から、いったん沢を離れ左岸を上って古い林道を東へ進んだ。
 途中に、ユースホステルと記された分岐があったので、そこを下る。雑木が疎らに生えたガレ場を滑るように下ると、「大曲」からの道と合流し、やがて「出合」で元の沢と合流した。
 そのまま下って、登山口の駐車場へ帰り着いた。

 今日は一日、雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。雑木の中を歩いていると、時折、コナラの枯れ葉が落ちてきた。紅葉の見頃は、もう2週間も前であったそうだ

山行日:2001年11月24日

『雪彦山』がどの山を指すのかは、幾通りかの場合がある。これを、次の4つにまとめてみた。@からCにいくほど、その示す山域が大きくなる。

@ 915.2mの三角点 国土地理院発行の2万5千分の1地形図では、ここを雪彦山としている。
A 「洞ケ岳」を雪彦山と呼ぶ場合。 「洞ケ岳」とは、大天井岳・不行岳・三峰岳・地蔵岳の4つの峰の総称である。この中で、もっとも標高の高い大天井岳の山頂には、「雪彦山」の標識が立ち標高884mとの表示がある。また、出版されている多くの本にも884mとある。しかし、この大天井岳は、地形図で見ると800mの等高線が描く小さな円の中にあり、標高884mというのは明らかにまちがいである。 → その後、新たに測量され811.1mに訂正されました。
B 洞ケ岳・鉾立山・三辻山の三山を総称して雪彦山という場合。 鉾立山は、915.2m三角点の北東にある950m+のピーク(現地には962mの標識あり)を通常は指している。しかし、大天井岳山頂に立てられた夢前町の説明板によると、古くから言われている鉾立山は賀野神社北西の山の中腹(標高662m)を指していたそうである。また、賀野神社の真北の標高610m程度の高みに鉾立山と記した本もある。三辻山は915.2m三角点の真北1250mの地点にある915.8m三角点のある山である。(「ふるさと兵庫50山」などでは、三辻山を915.2mの三角点のある山としている。)
C 洞ケ岳と明神山と薬師峯(通称七種薬師)の三山を総称して雪彦山という場合。 明治26年に発行された『播磨名所図絵』の、「的場山観音寺宝積院」の項に、「茲ニ三嶺アリ 仙人字ノ三点ニ表シテ一ツヲ洞ケ嶺ト云ヒ 二ヲ明神ノ嶺ト云イ 三ツヲ明王寺薬師ノ嶺ト云フ 円嶺ナリ 此ノ三ツノ嶺ヲ総称シテ雪彦ト号ス」とある。これについては、島田一志さんのHP『山であそぼっ』で指摘されている。


板根登山口〜不動岩〜展望岩〜出雲岩〜のぞき岩・セリ岩・見晴らし台〜馬の背〜大天井岳(811m)〜天狗岩〜虹ケ滝分岐〜838mピーク〜鹿ケ滝分岐〜地形図雪彦山(915.2m三角点)〜鉾立山(962m)〜峰山分岐(942mピーク)〜虹ケ滝〜出合〜板根登山口
 雪彦山の登山コースはいくつかある。今回歩いたコースはポピュラーなものであり、多くのガイドブックで取り上げられている。
 板根の登山口には、有料(500円)の駐車場があり、ここで登山地図がもらえる。

山頂の岩石  白亜紀後期  雪彦山層 流紋岩
流紋岩の表面に見られる流理構造
(大天井岳山頂)
 大天井岳をはじめとする洞ケ岳は、流紋岩からできている。
 色は白っぽい褐色や緑色。斑晶として長石が含まれるが、量は多くない。流理構造が発達し、岩石の表面に縞模様が浮かび上がっている。節理は、この流理構造と平行に走っていることが多い。全体的に珪質で、硬い岩石である。

 出雲岩は、赤紫色の凝灰岩で白色の長石の結晶片が目立つ。この凝灰岩中に、連続のあまり良くない茶色の縞模様(葉理)が並び、この縞模様と調和的に割れ目が走っている。黒色の頁岩や軽石などの岩片をわずかに含むが、比較的均質な凝灰岩である。
 虹ケ滝の南東斜面にはシルト岩から細粒の砂岩が分布していた。これは、超丹波帯の山崎層(ペルム紀)の地層である。

※雪彦山の岩峰群は、兵庫県のレッドデータで、「地形」「地質」「自然景観」のいずれもAランクに指定されている。その中で、この岩峰群は長径500mの流紋岩の火山岩頸であるとされている。このように、これまで雪彦山の流紋岩は火山岩頸と説明されることが多かった。
 しかし、2002年に出版された『山崎地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図福)』では、雪彦山に分布する流紋岩を「火山岩頸」ではなく、厚さ最大300mの「岩床」としている。
 火山岩頸(volcanic neck)は、マグマが上昇したときの通り道(火道)がそのまま冷え固まったもの。岩床(sheet)は、地層中に板状に貫入したマグマが固まったものである。
 雪彦山に分布する流紋岩が、火砕流堆積物にはさまれて広い範囲に分布していることから、岩床と考える方が適当であると思われる。

「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ  登山記録へ