千町岩塊流・杉山(1088m) 宍粟市 25000図=「神子畑」
緑したたる千町岩塊流から杉山へ
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千町岩塊流 |
千町峠から、既設の林道を北西へ下った。2つ目のヘアピンカーブ(標高810m)に車を止め、そこから谷を上っている仮設道を歩き始めた。
ここは今、千町岩塊流や、その上の稜線に並ぶ笠杉山、杉山、段ケ峰の入口となっている。2人のハイカーが前を歩き、1台の車が私を追い越していった。仮設道の周りは明るく開け、ジシバリやオニタビラコ、それにタンポポなどの里の植物がこんな山中まで入り込んでいた。
道は大きく曲がった先で、広いアスファルト道に合流した。開設中の広域基幹林道「千町・段ケ峰線」である。しかし、この林道はこのすぐ先で途絶えている。当初の計画が岩塊流の主要部を通ることが分かり、工事がストップしているのである。
道が合流した北側は不思議な地形になっている。いったん狭くなった谷が広がり、傾斜の緩くなった斜面に小さな沢が何本も網状に流れ込んでいる。それらの沢がより合わさって、この下で1本の流れとなっている。
林道から離れて、この斜面に踏み込んでみた。あたりはスギ・ヒノキの植林地で、地面は降り積もった落ち葉でフワフワしている。落ち葉の中に、ミヤマカタバミやシハイスミレなどが葉を出していた。花期はもうとっくに終わっていたが、チゴユリが1つだけポツンと花をつけていた。
沢に下りると、岩の上にヒメレンゲの黄色い花が水しぶきを浴びていた。
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チゴユリ |
ヒメレンゲ |
流れに沿って下り、再び同じ道を上った。先に下りた斜面の上は、さらに傾斜が緩くなってほとんど平坦となっている。ここに広がる湿原をスギの木立越しに見ながら進むと、岩塊流に達した。
この地点は岩塊流の下部に位置するが、幅も広くて岩塊流の主要部といえる。しかし、残念ながら、林道工事によって道の幅だけ岩が平らにならされてしまった。周辺の木も切られ、日当たりがよくなって岩に付いたコケが枯れてしまっている。それでも、まだ幸いなことに、岩と岩の間には十分なすき間が残り、そのため岩の下の水流がここでふさがれることはなかった。
岩塊流の手前で立ち止まっていると、向かいのスギの木のてっぺんで、オオルリがさえずり始めた。ヒガラが、スギの枝葉の中で忙しく動いては、どこかへ飛び立っていった。
平らにならされた岩の上を歩いて岩塊流の向こう側へ渡った。ここにも狭いながらも、湿原が広がっていた。湿原の黒土はぬかるみ、ところどころに水たまりができていた。あたり一面は、ホタルイとミゾソバにおおわれている。その中に、ミズタビラコが小さな青紫色の花と、それよりもっと小さなピンク色のつぼみをつけていた。湿原の周辺には、ヤブデマリが花をつけ、そこだけが白く浮かび上がっていた。
ここから岩塊流に沿って、山上の浅い谷を登っていった。大きな岩が累々と積み重なり、厚くコケにおおわれている。
その上に、木が岩を抱くように根を張り巡らせ、さらにその根を岩の下へ伸ばしている。ミズナラの横にフジがつるを立て、風が吹くと紫色の花を落とした。アサノハカエデは、岩の上を這うように幹を斜め下に伸ばして新しい葉をつけていた。
岩の上ではどの木も大きくなれないが、それでもたくましく命をつないでいる。かつてここを一緒に歩いた橋本光政さんは、このような岩塊流上での樹木の更新に、新しく「岩上更新」という名をつけた(橋本光政(2005)
小さな観察“岩上に発達した広葉樹林”.植物地理・分類研究,53,211-216)。
岩塊流に沿って、遊歩道がつけられていた。踏み跡程度の、かぼそい道である。この遊歩道が、岩塊流を横切るところに、案内板が立てられていた。そこには、千町岩塊流の規模やこの岩塊流が周氷河作用によってつくられたことが記されていた。
岩塊流に立ち入ると、岩の下から絶えず水音が聞こえてきた。その水が、岩の間から地表に湧き出しているところがあったが、すぐまた地下にもぐっていた。水が湧き出したあたりでは、岩の上のコケがたっぷりと湿り、そのコケの上にタニギキョウが白くてひかえめな花をつけていた。
案内板から少し登ると、「くじら石」が横たわっていた。長さ、約7m。溶結凝灰岩が冷えるときにできた板状節理がクジラの体側の縞模様をつくり、先端の割れ目がクジラの口となっている。「くじら石」は、この岩塊流のシンボル的な存在である。
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岩の下に根を伸ばすミズナラ |
くじら石 |
再び遊歩道に戻った。道は、岩塊流の北側のスギ林のなかにかすかについていた。小さな丸太の橋を渡ると、道は岩塊流から離れて山の斜面を九十九折りに上っていた。
標高1000mの地点に大乢方面と杉山方面との分岐を示す道標が立っていた。杉山方面へ踏み出すと、道はますますうすくなった。このあたりは下草がほとんどなく、どこでも歩けた。道を離れて、斜面を斜めに進み、岩塊流の谷の源頭に向かった。
斜面のところどころに、大きな岩が立っていた。これらの岩は、岩塊流に届かなかった岩で、次の寒冷期までここ一休みしているのだ。
岩塊流の谷では、標高1100m地点でも、岩の連なりが途切れていなかった。5mほどの大きな岩が谷に連なっている。
標高1200m地点まで登ると、岩の並びにすき間ができてきた。落ち葉に埋もれた地面に大きな岩が点在している。そこから、標高で10mも登ると稜線に達した。
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岩塊流と広葉樹 |
稜線へ |
稜線の周辺には、コナラやミズナラなどの広葉樹が広がっていた。アセビが枝先にオレンジ色の若葉をつけている。ウリハダカエデが黄色の小さな花を垂らしていた。
若葉の色がみずみずしい木々の下を登っていくと、稜線が広くなって傾斜を失った。もう、高木はまばらになった。草地のところどころにアセビがこんもりと生え、その間に岩が点在している。ササの間には、ヒカゲノカズラが地面をおおい、アカマツが所々に立っている。そんな庭園のような景色が、山上にずっと続いた。
アセビの間を縫って進むと、高原に笹原が大きく広がる高みに達した。標高1080m、HP「山であそぼっ」の島田さんが「奥段ヶ峰」と名づけたピークである。
正面に、段ヶ峰が稜線をゆるく、そして長く左右に伸ばしている。1本の細いポールが立っているのがフトウガ峰。稜線を左に追うと、辻ケ淵トンガリ山が小さくピークを突き立てていた。雄大で開放感あふれる光景が目の前に広がっていた。
奥段ヶ峰から、杉山へ向かった。段ヶ峰の分岐を見送り、ネジキの枝の下をくぐって笹原の中につけられた踏み跡を進むと、杉山に達した。
丸い笹原の山頂に、アセビがぽつんぽつんと生え、「宍粟50名山」の標柱が1本立っていた。いつの間にか、空は雲におおわれていた。雲の底は暗くて、その底が段ヶ峰にかかりそうになってきた。
分岐に戻り、そこから南東に下ると段ヶ峰の手前のコルに達した。ここから、谷を南に下ることにした。
スギの落ち葉が積もる坂を下っていると、左手、スギ木立の向こうに道が見える。この谷にも、広い作業道が伸びてきていたのだ。
しばらく、谷の流れの脇を下っていたが、そのうちガレ石が転がっていたり落ち葉で滑りやすくなったところを歩く気がしなくなり、作業道に出た。カッコウの声に見送られるようにして、よく整備された道を複雑な気持ちで下っていった。
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稜線上の1080mピークより段ヶ峰を望む |
杉山山頂 |
さて、ストップしていた林道工事はどうなるのか。
地元で開催された「岩塊流検討委員会」での審議や地質関係の予備調査を経て、林道はコースが変更されることになった。岩塊流を横切ることには変わりないが、その地点が下流側に約100m移動して、そこに30mの橋が架けられる。そこは、岩塊流の幅が狭くなった所で、ルートの設定や橋の工法については、地形や植生の改変をできるだけ小さくするように検討された。岩塊流の保全が十分考慮された今回の決定を歓迎したい。
稜線のすぐ下のこの谷には、これまでほとんど人が足を踏み入れることがなかった。岩塊流の存在も人の目に触れることがなく、そのため庭石などに持ち出されることもなくて今日まで残された。
しかし、今では車で来ることができるようになり、いくつかのガイドブックにも紹介されるようになった。林道が完成すれば、さらに便利がよくなる。
岩の上のコケはもろく、人に踏まれてはがれてきているところが多くあった。岩の上への立ち入りの制限や、遊歩道のつけ方も今後考える必要があるかもしれない。
岩塊流の価値は、岩そのものがつくる地形にある。長く連なる岩の重なりが、氷期における寒冷な気候下での地形形成を示している。これほど大規模な岩塊流は他にはなく、学術的に貴重である。林道工事によって一部の岩が動かされたが、これ以上動かしてはならない。
ここではまた、岩の下を流れる水やそこから立ち上る水蒸気を利用して、植物が岩の上で命をつないでいる。そして、それらがすべて一体となって素晴らしい景観をつくり出している。
植林が周辺から迫り、一部は岩塊流の中まで入り込んでいるが、それらを自然林に戻すと、そこにはもっと幻想的な原始の風景が広がるのではいか。
宍粟市では、岩塊流を天然記念物に指定する動きがあり、岩塊流を生かした地域づくりがこれから検討される。
岩塊流が保護され、岩塊流を取り巻く自然が豊かに保全されてこそ、人々をひきつける地域の宝となる。その上で、多くの人たちがここを訪れるようになれば、ここに岩塊流のあることの価値がもっと高まるように思う。
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林道工事で平坦になった岩塊流(標高912m) |
新しい橋梁予定地(標高900m) |
山行日:2009年5月23日