千 町 ケ 峰    (1141m)         一宮町・大河内町     25000図=「神子畑」
千町ケ峰、山上の生命
 
段ケ峰から望む千町ケ峰(1999年10月25日撮影)
 若葉が陽を透かし、雑木林の中は淡く明るい光で満ちていた。イヌシデやミズナラの葉は、まだ薄くみずみずしい。カマツカの白く小さな5弁の花が集まって咲いている。タニウツギのピンクの花は、山に暖色の彩りを添えている。山頂に近づくとアセビが増えてきた。アセビの枝先には、まだオレンジ色の新芽が群れている。サラサドウダンが小さな鐘形の花をいっぱいつり下げていた。
 千町ケ峰……。段ケ峰から見たのが初めてだった。平石山からは、山頂が平らな山体がどっしりと大きかった。今年の3月、雪のため百千家満から草木の道を車で越すことができずに断念したこの千町ケ峰を、今歩いている。

 アカマツやアセビがまばらに生えたササ原の先に山頂があった。山頂を示す三角点のまわりは、ちょっとした裸地になっている。そこからは、一部でマツの木がじゃまをしているが、展望は大きく開けている。雪がすっかり消えた氷ノ山、その手前には藤無山、水平に近い稜線のわずかな高みに頂上のマツの木が見える段が峰、夜鷹山の三角形の左には砥峰高原から峰山高原……。初めて、双眼鏡を山へ持って上がった。その視野いっぱいに、千ケ峰の吊り尾根が大きく広がる。肉眼では見えなかった篠が峰の山頂のアンテナ群も見える。この間、オフで歩いた高星山から平石山への稜線が近い。その山塊の下には、長谷ダムの湖面が小さく光っている。あのダムのすぐ下の村には、老いた私の両親が二人で暮らしている。そういえば、昨年のちょうど今頃、家族みんなで蛍を見た。ポゥー、ポゥーと蛍の群が呼吸を同調させながら放つ淡く黄色い光。そんな光に、寂しげな両親の姿が重なった……。どうも、故郷の見える山はいけない。
 先ほどから、魚の焼けるいい匂いがしている。先に着いていた2人組がザックから目刺しを取り出して焼いているのだ。しばらくして、家族連れがにぎやかに上がってきた。山頂は10人ほどのひとであふれ、思い思いに食事をしたり語らったりしている。私は、時折、それらの人たちと言葉を交わしながら、この山頂にしばらく立っていた。
少し厚い絹層雲が空の一部を覆い、日暈がその雲に半分かかっている。その下では、2,3の片積雲がゆっくりゆくっりと動いていた。

弘法池
 下山の前に、もう一度あの蝶が来ていないか見たくなって「弘法池」まで戻ってみた。弘法池は山頂から稜線を南西へ少し下ったところにある。水草や落ち葉で埋まった長さ10m、幅3m程度の浅い水たまりである。落ち葉の間を、多くのイモリが動いている。一匹をそっとすくい上げてみると、慌てて赤い腹を見せながら手から逃げ落ちた。池を覆うカマツカの木の枝には、大きな2つのモリアオガエルの卵塊がぶら下がっていた。この卵塊に、さっきは小さな蝶が止まっていたのだ。薄い黄色で縁の黒い羽をもったその蝶は、近づいて見ようと思ったらひらひらとどこかへ飛んでいって行ってしまった。
 池の周囲はコケが密生した湿地となっている。夏でも、この池の水は枯れないという。山上にある閉ざされたこんな小さな水たまりで、長らく続いてきた生命の営み。登山道のすぐ側にあり、林道もすぐ近くまで延びてきている。不思議な感動と共に、いつまでもこのままでと思わずにはいられなかった。
山行日:2001年6月3日

山 歩 き の 記 録
行き:下千町「こぶしの村」登山口〜弘法池〜山頂
帰り:山頂〜無線小屋〜(林道、地形図実線路)〜上千町大谷出合〜下千町「こぶしの村」登山口

カマツカの花 イヌシデの若葉
タニウツギの花 サラサドウダンの花

 百千家満(おちやま)から草木(くさぎ)を過ぎ、下千町の集落の手前にある「こぶしの村キャンプ場」に着いた。ここが、千町ケ峰の登山口となっている。ここに車を止め、草木川に架かる橋を渡って、山に入っていった。キャンプ村のいくつかの古びた小屋の側を通り、土間のような所を通り抜けると、雑木林からスギの植林地に変わった。登山道は、広い谷に沿って南東方向に続いている。単調な登り。渓を流れる水の音が聞こえている。スギ林と雑木林が何度か交互に現れる。傾斜が少しづつ急になってきた。苔むしたガレ石の間をチョロチョロと水が流れているスギ林を抜けると、アカマツが疎らに生える明るいササ原に出た。尾根に近づくと、アセビの木がふえてきた。アセビは、もうとっくに花は落としているが、枝先にはオレンジ色の新芽をつけている。
 辿り着いた広い尾根には、「弘法の池」と「北へ頂上10分」と記された白い標柱が立つ。ここから弘法池までは、南へすぐ。弘法池から、この分岐に戻り、北へ丘のような斜面を上っていくと、千町ガ峰の山頂に達した。
 山頂から、東北東に伸びる水平に近い山稜を歩く。サラサドウダンの花が咲いていたのはここであった。笹原の中の登山道は、無線小屋の立つ地点から広い林道となって、山を下っている(地形図の実線路)。九十九折りに曲がりくねった林道を、上千町の「大谷出合」まで降りていった。

   ■山頂の岩石  白亜紀 生野層群最上部累層 流紋岩質溶結凝灰岩

 山頂付近は、白亜紀の生野層群最上部累層が分布している。登山道沿いには、大きな露頭がないが、風化のかなり進んだ流紋岩質凝灰岩が所々で見られた。
 山頂付近の流紋岩には肉眼で溶結構造を認めることはできなかった。しかし、山頂からかなり下った林道沿いに(標高950m付近)には、長さ1cm程度のレンズが多く含まれた(溶結構造)部分があった。
 林道の標高750m付近から下には、細粒の斑れい岩が分布している。風化の激しい部分では、この斑れい岩は赤土に変質していた。この岩石は、舞鶴層群夜久野岩体に属するもので、上位の生野層群に比べるとずっと古いものである。

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