杣谷道からシェール槍643m・石楠花山651.8m・双子山616m
 
神戸市  25000図=「神戸首都」「有馬」


晩秋の六甲、六甲駅から穂高湖を経て花山駅へ 
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穂高湖とシェール槍

 阪急六甲駅から杣谷を遡り、杣谷峠からシェール槍・石楠花山・双子山を巡って神戸電鉄花山駅へと下った。
 杣谷峠までの杣谷道は、石屋川から始まる徳川道の一部。徳川道は、日本が開国を迎えた江戸末期の1868年、外国人とのトラブルをさけるため、幕府の命によって西国街道を迂回する道としてつくられた。実際には利用されないまま開国を迎えたが、大正時代よりハイカーたちがこの道を歩くようになって「徳川道」と呼ばれるようになった。

 六甲駅から少し長いアプローチ。杣谷川に沿ってからは上り坂で、登山口に着いたころには体が温まっていた。
 登山口に咲くオオユウガクギクの花弁に小さな朝露。堰堤から落ちる水が音を立てていた。ここから山道が始まった。

登山口に咲くオオユウガクギク

 摩耶東谷からの小さな流れを渡る。「杣谷峠2.1km」の道標。
 モチツツジが季節外れの花を咲かせていた。
 山寺尾根分岐あたりでは、ヤマザクラの落ち葉が道をオレンジに染めていた。
 ここまで、もう風化した花崗岩が道に現われていた。それが杣谷川を初めて渡る地点で、緑灰色の硬い岩石に変わった。デイサイトの貫入岩であった。ここから何度か、このような貫入岩が見られた。
 石を見ていると、釣り人が川を上っていった。
 長峰台分岐を過ぎると、谷は少しずつ深くなっていった。小さな滝をつくっているところでは、水音が大きくなった。
 「摩耶砂防ダム」の手前で、右岸へと渡り堰堤の横の花崗岩の岩場を登る。コゲラの声が聞こえた。ジョウビタキが先ほどから鳴いていた。

 花崗岩の山は、風化によって崩れやすい。杣谷にも砂防堰堤がたくさん設けられていた。堰堤の前では、沢を渡ることが多く、堰堤の上までは急登となる。

 次の堰堤の下には花崗岩の岩盤が出ていた。表面が多くの登山者の足によって磨かれ、カリ長石の桜色が鮮やかに浮かび上がっていた。堰堤下の水たまりではアブラハヤが泳いでいた。
 再び左岸へと渡り、架けられた鉄製の階段を登る。アケビの実が落ちていた。道の下に滝が見えた。赤茶色に染まった岩肌を、階段状に水が落ちている。
 たくさんの砂防堰堤がつくられる前、杣谷には多くの小さな滝が連続していた。そのため、この道はカスケード道と呼ばれていたが、それも昔の話。

 滝の上あたりから、石段が始まった。花崗岩の間知石をコンクリートで埋めてつくられている。木の袋谷出合で一休み。
 ここからも、ずっと石段が続いた。
 林は、常緑樹の緑に紅葉・黄葉が混じって秋のよそおい。コアジサイの黄葉が鮮やか。ヤマガラが鳴いている。ウグイスのジャッ、ジャッという地鳴きの声も大きい。

秋の登山路

 「杣谷峠0.4km」の標柱が立っていたのに、なかなか峠に着かない。陸上競技場のコース一周が、こんなに長いとは・・・
 ようやくたどり着いた杣谷峠には車道が通っていた。車道の前に休憩所とトイレがある。。
 先ほど出会った男性が、「あったでしょう!」と。登山道に人の顔をした岩があって、今日はその岩を探しに来たと私に教えてくれた人だった。
 「いや、わからなかったです。」と答えると、「いちばんしんどいとこで、みんな下を向いて歩くからなあ」と。
 スマホで撮った写真を見せてもらった。両目、口、あごが岩の割れ目で、口にはハイカーたちが木の枝や石をはさみ込んでいる。もう一つあって、これは以前に撮られていた写真。こちらは、岩に人がまゆや目や歯になる石を置いて愛嬌のある人面に仕立ててあった。

 車道を渡り下っていくと穂高湖に出た。湖には木の桟橋が突き出し、岸にはカヌーが並んでいる。瀟洒な建物は、シェールミエールというレストラン。ザックにおにぎりがふたつ入っているのに、レストランに入ってスパイスカレーを食べ、コーヒーを飲んだ。六甲はいい!

穂高湖とシェール槍

 穂高湖の湖岸を歩き、シェール槍へ向かった。
 はじめから急登。両手を岩にかけて登っていく。岩はもちろん六甲花崗岩。花崗岩らしい割れ方、風化の仕方で、岩角は丸みをおびているが、山頂直下ではやや板状に割れてそこが直線状の溝をつくっていた。

シェール槍へ シェール槍(花崗岩とその上の山頂)

 シェール槍山頂から、展望が広がった。摩耶別山が近くに大きい。北西にスッと尖っているのが新穂高。その右奥の平らに延びている尾根が石楠花山あたり。新穂高の左には、造成された丘陵地に住宅が広がっていた。

シェール槍からの展望(中央やや左に新穂高)

 葉をすっかり落としたウラジロノキの枝先に、白い斑点のある赤い実がついていた。一本のソヨゴの木に実がいっぱい集まって、そのあたりがポッと赤く染まって見えた。
 メエ~とヒツジかヤギの声が聞こえた。声のした方を向くと、木の間から六甲山牧場野の赤い屋根の建物が見えた。
 一組のハイカーさんの写真係をしてシェール槍を下った。

ウラジロノキの実 群れて実るソヨゴの実

 シェール槍を下った道はシェール道。入ったところの紅葉がすばらしかった。道にも落ち葉が積もって真っ赤に染まっていた。
 道をゆるく下っていった。左から沢を流れる水の音が聞こえる。穂高湖から流れ出す、生田川源流の水の音だ。
 道標が立っていて、そこから細い道となった。
 シェール道分岐は、マムシ谷の入口。ここは二つの谷の出合で、小さな湿地が広がっていた。湿地の黒土の上に、タカノツメの黄色の落ち葉が重なっていた。

シェール道の紅葉

 出合からマムシ谷をさかのぼる。道は、何度かアップダウンをくり返した。たどり着いたところが獺池(かわうそいけ)。
 畔のウリハダカエデが真っ赤に紅葉し、日を透かしていた。樹皮のひし形の皮目や縦の裂け目がつくり出す模様や色合いもきれいだった。

獺池ほとりのウリハダカエデ

 車道を少し歩き、山道に入って石楠花山に向かった。落ち葉で埋まった道をゆるく登っていく。落ち葉は乾いていて、カサコソと小気味いい音をたてた。分岐から、荒れた広い道を進む。
 最後はミヤコザサの中の踏み跡をたどり、石楠花山の山頂に達した。

 山名プレートも何もない秋の林に、二等三角点が埋まっていた。クリやコナラは、まだ葉を残している。リョウブは、もうほとんどの葉を落としていた。

石楠花山山頂

 尾根の小道を北へとたどった。ミヤコザサを分けて進む。六甲には道が無数にあるが、こんなに静かな道もあるのだ。
 烏帽子岩は尾根の肩に飛び出した大きな三角形の岩だった。前から見ると、たしかに峰の尖った烏帽子に見える。烏帽子岩は、硬い安山岩でできていた。

ミヤコザサの小道 烏帽子岩

 烏帽子岩から炭ヶ谷分岐に下り、そこから小さな高みを一つ越えて双子山へ。双子山は、その名の通り二つのピークが南北に並んでいる。南峰の方がやや高く標高616m。
 双子山南峰の山頂は、アカマツ林の中にあった。三角点も山頂プレートも登頂記念の札なども、人工物の何もない山頂。
 ヤブツバキやヒサカキの常緑の葉が斜めに射しこんだ陽を受けてつややかに光っている。黄葉のクロモジの枝を折ると芳しいにおいがした。

双子山南峰のクロモジ

 南峰を下り、コルから登り返す。今日最後の登り。もう、かなり、しんどい・・・
 道に落ちたホオの大きな葉を蹴って進むと、NHKテレビ中継放送所の建つ北峰の山頂に達した。

 北峰からは標高差250mを一気に下る激下り。踏み跡程度につけられた道と、張られたロープでずいぶん助かった。
 最後は、踏み跡もほとんどわからなくなったが、見当をつけて下ると予定していた双子山登山口に出た。

 阪神高速の上を渡り、アベマキ林を抜け、草むらの中の道をたどると、マンションの裏に出た。花山東町を下り、日本初という斜行エレベーターに乗って花山駅へと下っていった。
  

山行日:2025年11月24日

阪急六甲駅~杣谷登山口~杣谷峠~穂高湖~シェール槍~石楠花山~烏帽子岩~双子山~神戸電鉄花山駅  map
 阪急六甲駅から杣谷登山口までは車道を歩く。そこからの登山道はよく歩かれていて、要所に道標が立っている。
 石楠花山山頂から烏帽子岩、双子山へのルートは踏み跡程度の小道。双子山北峰から急斜面を下るコースは道がわかりにくいところがある。

山頂の岩石 
 シェール槍 六甲花崗岩 (後期白亜紀)
 烏帽子岩  安山岩(貫入岩)
 双子山   溶結凝灰岩(後期白亜紀 玉瀬結晶質凝灰岩層)
六甲花崗岩(杣谷道 木の袋出合付近)
 杣谷道登山口から石楠花山の手前まで六甲花崗岩が分布している。
 主に斜長石・カリ長石・黒雲母からなっている。六甲花崗岩には角閃石をふくんでいることもあるが、木の袋谷出合付近で採集した左の標本にはふくまれていない。
 カリ長石がピンク色で温かい感じのする花崗岩である。

安山岩(烏帽子岩)
 烏帽子岩は安山岩でできている。六甲花崗岩中に貫入した岩脈だと考えられる。暗灰色の緻密な岩石で硬い。斜長石と角閃石または輝石の斑晶をふくんでいる。

溶結凝灰岩(双子山北峰)
 双子山には、流紋岩質の溶結凝灰岩が分布している。強く溶結していて、暗灰色で硬い。石英・長石・黒雲母の結晶をふくみ、石英は溶食されている。
 左の標本は、周囲が変質して淡い褐色になっている。
 変質した部分では、斜長石・黒雲母の結晶や基質の大部分が粘土鉱物などに置き換わっている。石英はよく残っている。
 この岩石が溶結凝灰岩であることは、新鮮な内部より変質した周囲を見た方がよくわかる。

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