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猿岩~馬船丸山(515.5m)~御所山(520m) 神河町 25000図=「寺前」 山腹に立つ圧巻の大岩 map 神河町上岩(あげいわ)から南の山を見上げると、山腹をおおう木々の中に一つの大きな岩が見える。村の上のこの岩が、上岩の地名の由来となったという。
第二栗谷橋からスタート。鹿よけネットのゲートに、「猿岩まで1.9k」の標識がかかっている。ここから、谷に広い道がゆるく上っていた。
道が二つに分かれたところで、左に進んで沢を渡った。ここには、「猿岩まで1.5k」の標識。
ロープをたどっていくと、広い道に出た。先ほど分かれた林道がここへ上がってきている。この道を東へ進んだ。道は地形に沿ってほとんど水平に続いていた。
道にタケニグサが現れたところに、「猿岩登り口 猿岩まで100m」の標識がかかっていた。ここから急な斜面を真上に向かって道がつけられていた。
猿岩の下から、左右どちらからでも巻き上れるようにロープがつけられていた。左は岩の真横を、右は岩からかなり離れて大きく回り込むようにつけられている。
猿岩の上から、まっすぐに上へと登った。今日は、ここからまだ長い。
三角点から下って登り返す。このあたりは切り開きがあって歩きやすかった。 登り詰めた573mピークは、今日の最高所。切り立った岩の上に、アカマツやネジキやリョウブが根を下ろしていた。 573mピークから、神河町と市川町の境界尾根を進んだ。もう切り開きはなくなって、尾根はヤブにおおわれていた。尾根の南側に、道らしきものが残っていたがそれも途絶えがちだった。サルトリイバラのトゲが行く手をのじゃまをした。 コルを過ぎてまた登っていくと、鉄塔の下に出た。ちょうどお昼の時間。ここで昼食にしようとザックを開けたが、コンビニで買ったおにぎりが入っていない。うっ、車に置いてきた・・・。このショックは大きかった。 気持ちを立て直せないまま、再びヤブにもぐりこんだ。 よけいに厳しい尾根歩きとなった。倒木の上に、リスが食べ残した松ぼっくりの芯「森の海老フライ」がひとつ。モチツツジが、やわらかなピンクの花を2つだけ残していた。こんなものが少しだけ気持ちを慰めてくれた。 小さなピークで境界尾根から分かれて東に進むと、馬船丸山の山頂に達した。ソヨゴの林の下で、三角点(515.5m)は土や落ち葉になかばうずもれていた。サルトリイバラの実が、ほんの少しオレンジ色に色づき始めていた。
境界尾根に戻り南へ進んだ。
御所山からさらに進んだ。木の間越しに七種の山々が見えた。
401.7mピークの三角点は、コナラの幼樹の下に埋まっていた。
ヤブをこいで尾根を下った。
山行日:2023年6月5日
第二栗谷橋~猿岩~向山(412m)~505.1mピーク~573mピーク~馬船丸山(515.5m)~御所山(520m)~401.7mピーク~御所谷小池 map |
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| 第二栗谷橋のたもとの広いところに車を置く。猿岩まで道が整備されている。猿岩から歩いた尾根には道がないが、一部で切り開きが利用できる。 下山後は、御所谷橋に置いていた自転車でスタート地点まで戻った。 |
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| 山頂の岩石 猿岩・馬船丸山 白亜紀後期 大河内層 溶結火山礫凝灰岩 御所山 白亜紀後期 大河内層 流紋岩 401.7m三角点 白亜紀後期 花崗閃緑岩 |
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緑灰色で、結晶片として長石・石英・黒雲母、岩石片として流紋岩・泥岩・軽石をふくんでいる。軽石がレンズ状に押しつぶされた溶結構造が見られる。 猿岩では、北に分布する花崗閃緑岩の貫入によってホルンフェルス化してる。硬いが割れ目に沿って割れやすい。 御所山周辺には流紋岩が分布している。白からオレンジ色で、長石と石英の斑晶を少量ふくんでいる。球顆の見られるところがあった。 486mピークや401.7mピーク付近には花崗閃緑岩が分布している。主に、石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・普通角閃石からなる中粒の花崗閃緑岩である。カリ長石は、薄いピンク色をしている場合が多い。尾根で見られたこの花崗閃緑岩は、著しく変質していることが多かった。 |
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