三角点山(457.0m)  西脇市   25000図=「谷川」


こぶ岩から三角点山へ

登路より三角点山を望む

 岡稲荷神社に立ち並ぶ赤い鳥居の下に車を止め、自転車に乗って門柳川に沿った道をさかのぼった。
 左手に、白山と妙見山が見える。日時計の丘公園にテントを張って、家族4人で白山に登った何年も前のことが懐かしく思い出された。
 その白山の岩肌は朝陽を浴びて、紅葉した木々のオレンジ色が鮮やかに映えていた。

 門柳川の南、小杉原山と呼ばれている山の頂上近くに、「こぶ岩」という不思議な岩がある。そのこぶ岩を訪れ、そのあと尾根をたどって三角点山に登り、岡稲荷神社に下るというのが今日の予定である。
 
 村中の集落を過ぎ、道路に門柳川が迫ったところがこぶ岩の登山口。シカ除けネットをくぐって橋を渡ると、「こぶ岩参道」と書かれた古い標識が掛かっていた。近くに自転車を置き、タチカンツバキの花の下で身じたくをした。
 コンクリート道を登り、さびれた別荘地を抜けると山道に入った。雑木林の中の細い道。落ち葉を踏んでしばらく歩くと道はヘアピンに曲がり、小さな沢に架かる木橋を渡った。低い尾根を一つ越すと、道は次の少し大きな沢に沿って上っていた。いくつかの分岐が現れたが、要所に「こぶ岩→」の標識が立っていた。
 アベマキの葉がいっぱい落ちていた。葉表の濃い褐色と葉裏の白っぽい色が細かいモザイク模様を描き、タカノツメの落葉がところどころに黄色のアクセントをつくっている。岩の間を流れる水が、チョロチョロと音を立てた。
 道は沢を離れ、右手の斜面を上っていった。目の前のやぶから2羽のカケスが突然飛び出して驚いた。雑木の道を登っていくと、明るい広場に出た。そこにこぶ岩が立っていた。318mピークのすぐ下である。

 こぶ岩は、高さ4.5m、周囲10m。その名の通り、丸いこぶがごつごつと出て、一方だけ平らな面で切れ落ちている。岩にはしめ縄が掛けられ、岩の前には祠が建てられている。
 こぶ岩はがんや腫瘍封じの神として祈願され、人々の難儀を自分の身に移して助けたため現在の姿になったといわれている。祠の横の案内板には、江戸時代中期、寛保年間より自然の神として信仰を集めたと記されていた。

 岩は周囲と同じ、石英と長石の結晶を多く含む溶結凝灰岩。なぜこのような形になったのか?いくつかの可能性が推測されたが、それはまた別に書くことにしよう。

こぶ岩

 こぶ岩をあとにして、318mピークから尾根を南東へ進んだ。ひと上りしたところで、道が二つに分かれた。一方はそのまま尾根の道、もう一方は左へトラバースする道である。尾根の道がはっきりしていなかったので、ピンクのテープの見える左の道へ進んだ。
 道はスギ林に入った。水のない浅い谷を渡ると伐採地に入り、間伐されたスギが斜面のあちこちに寝かされていた。地面に板状に割れた岩が重なり、その上にスギの枝葉が乗っていて歩きにくい。この道は林業用の道だったようで、伐採地の端で消えてしまった。
 先ほど渡った浅い谷の上部をめざして登り返し、その谷に沿って上をめざした。標高で100mの高低差を一気に登る。
 植林からコナラ林に変わった。シキミやヒサカキやソヨゴの幼樹を手でつかみながら体を上へ引き上げた。登り切ったところは、主尾根の小ピーク(470m)だった。
 そこは少し開けていて、木々の間から南に数曽寺山塊や金城山が見えた。西に見える三角点山は、ここから遥かに遠かった。

470mピークから見る数曽寺山塊や金城山

 主尾根には切り開きがあった。まず南にぐんぐん下る。コナラやアカマツの下に、イヌツゲやアセビの生えた雑木林。リョウブは、もうすっかり葉を落としていた。南中した太陽から木々の枝葉を透かして光が射しこみ、その光を真正面に受けて進んだ。
 419mピークの手前で、大きく西に曲がらなくてはならない。ここが今回のルートでいちばん難しいところ。ときどき現れる「境界明確化」の小さな杭が、道を踏み外していないことを教えてくれた。この杭には、三角点山の頂上までずっと助けられた。

 主尾根に沿って、今度は西へ進んだ。ここからは、一歩一歩が三角点山に近づいていく。木漏れ日が地面の落ち葉をまだらに照らす。頭上に広がるコナラの葉は葉先からオレンジ色に変化し、その上の青空に積雲が1つ2つ浮かんでいた。

コナラの黄葉と青空

 尾根の道はしだいに消えそうになってきた。切り開きはコシダの群れに没し、その中に隠れたサルトリイバラのとげが行く手をはばんだ。尾根が広がったところでは、地図と磁石で方向を確認ながら進まなければならなかった。

コシダに隠れた道

 小さなピークを3つ越え、腰までシダに没して急登すると324mピークに達した。ここには、テレビ用アンテナが1本立っていた。そこから少し下ると、大きな一枚岩のスロープに出た。岩の上に立つと、目の前に眺望が広がった。12時50分。ここで、周囲の山々を眺めながら弁当を食べることにした。
 北西に千ヶ峰から笠形山の稜線。南東には、西光寺山が平らで長い稜線を引いている。そして、スロープの下っている方向には、三角点山が大きくそびえていた。三角点山は、オレンジ色に染まった広葉樹の葉が逆光にまぶしく照らされ、山ひだに深い影を落としている。山すそに静まる記念池は、湖面がさざ波を打って光をはね返していた。
これから歩く尾根を目で辿ると、三角点山の前に深い鞍部が沈んでいた。
 ときどき、日時計の丘公園から子供たちの歓声が上がってきた。風が冷たくなり、体が冷えてきた。

岩のスロープから三角点山を望む

 岩のスロープをあとにして尾根を下った。あいかわらずコシダに没した道を、アカマツやコナラの木を縫って下った。ネズミサシがチクリと腕や足を刺した。
 下り切った219mコルには、東から明瞭な道が合流していた。コルからいきなりの急登。この急坂を登り切ると、そこから道は緩急を繰り返しながら少しずつ上っていた。
 標高290mあたりは岩場の続く急な上り。少し緩くなったと思うと、335mの肩の手前の激しい上りとなった。木々の幹をつかみながら、両手と両足で高度を稼いだ。
 まだまだ、上り道は続いた。405mあたりも岩場。大きな岩が尾根上にいくつも飛び出していた。
 冬の太陽はもう南西にだいぶん傾いている。前方の木の影が長くなって、まっすぐこちらへ伸びてきた。ソヨゴの赤い実が落ちていた。最後に、ようやく緩くなった道を登り詰めると三角点山の山頂に達した。

三角点山山頂

 山頂にはススキの穂が揺れていた。展望がぐるりと開けている。西に七種の山々が重なり、その上に明神山がちょこんと突き出ている。
 そこから北へ、笠形山、千ヶ峰、篠ヶ峰・・・。白山と妙見山の山頂には、雲の影が落ちている。南東に目を移せば、西光寺山の長い稜線の右に御嶽、さらにその右には六甲の山稜が薄い影を引いていた。
 眼下には、山の間の平野の中を両岸を堤防に限られた加古川がゆったりと流れていた。
 ぐるりと取り囲む山々の上を、初冬の雲がおおっていたが、この山頂の上には青空が広がっていた。天頂を2機の飛行機が、白い筋を描いて通っていった。

山頂からの眺望(左は西光寺山への平らな稜線、
真ん中は御嶽、右は遠くに薄く六甲の山稜)

 西への下山路も急峻だった。石の祠に祀られた役行者や愛宕大神の祠のそばを通り抜け、くるぶしまで落ち葉に埋まりながら、ふもとの岡稲荷神社に下っていった。

岡稲荷神社
 
 
山行日:2015年11月28日


こぶ岩登山口〜こぶ岩〜318mピーク〜主尾根470mピーク〜324mピーク〜219mコル〜三角点山〜323m点〜岡稲荷神社
 村中の集落を抜け、道路に門柳川が迫ったところにこぶ岩登山口がある。ここから、318mピーク下のこぶ岩まで、要所に標識がある。
 318mピークから尾根を南東へ進み、主尾根上の470mピークを目ざす。今回は、この途中で林業用の作業道に入り、道が消えてから谷を登ったが、尾根をそのまま進むのがよいと思われる。
 主尾根を、南西へ三角点山へ。この尾根には切り開きあるが、シダに埋まって道が消えかかっているところもある。「境界明確化」の小さな杭を見落とさないように進んだ。
 三角点山の山頂から西へ下って、岡稲荷神社に達した。

山頂の岩石 白亜紀後期 有馬層群
  ■こぶ岩周辺の岩石  平木溶結凝灰岩上部層 流紋岩質(結晶ガラス質)溶結凝灰岩
  ■三角点山  鴨川層 流紋岩質(ガラス質)溶結火山礫凝灰岩
 こぶ岩もふくめ、こぶ岩周辺の岩石は、淡褐色の結晶ガラス質溶結凝灰岩である。石英・カリ長石・斜長石の結晶片を多く含んでいる。強く溶結しているため、緻密で硬い。板状節理が発達し、同じ層準の「丹波鉄平石」と同じ岩相である。
 324m下の一枚岩や三角点山山頂の岩石は、
流紋岩(同質岩片)や黒色頁岩・細粒砂岩・チャート(異質岩片)の岩片を含む溶結火山礫凝灰岩である。結晶片として石英・カリ長石・斜長石を含むが、その量は少ない。溶結は弱く、硬くはない。

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