竜宝寺(254.4m)  洲本市        25000図=「郡家」


嘉兵衛の郷の一等三角点


竜宝寺山(山頂下に奥の院の屋根が見える)

 妻との淡路日帰り旅行。高田屋嘉兵衛ゆかりの地を訪ね、伊弉諾神宮へ。そこに、短時間で楽に登れる山を加えようと探したのが竜宝寺山。
 標高わずか254.4mだが、その山名は地形図に記され、カーナビの画面にも堂々と現れる。淡路に3つある一等三角点のうちの1つが、この山の頂にあるのだ。
 山登りといっても、ほとんどが龍宝寺奥の院までの石の階段。山頂は、奥の院のわずかに上である。これなら超簡単に登ることができる。

 龍宝寺に着いたときには、もう午後2時を過ぎていた。立派な仁王門をくぐる。手水鉢のまわりのスイセンは、満開の花を付けていた。淡路の春は早い。
 龍宝寺は、「高田屋嘉兵衛ゆかりの道」のコースにあって、境内には「龍宝寺ガイドマップ」が張ってあった。
 境内の横には広場があって、そこからゲートボールの熱い声が聞こえてきた。

仁王門から本堂をのぞく

 まずは、本堂でお詣り。333段あるという石段を、奥の院目ざして登りはじめる。右手は竹林、左手は雑木林。クヌギやカクレミノの落葉が落ちている。クヌギのどんぐりをよけながら、一段一段登っていく。ヤブツバキが、赤い花を二つ三つ付けていた。

奥の院への石段

 車道をまたぐと、石段はますます急になって続いていた。
 石段の両側は花崗岩の露頭になった。花崗岩は風化して、表面がボロボロと崩れかけている。そこに、周りの花崗岩よりも粒の小さなトーナル岩が貫入しているようすが、観察できた。

車道をまたぐとさらに石段が 花崗岩に貫入したトーナル岩

 私がうろうろと石を見たり写真を撮ったりしていると、時間を持て余した妻はもう上で待っていた。
 石段の上には境内が広がり、そこに奥の院と閻魔堂が並んで建っていた。

龍宝寺奥の院(左は閻魔堂)

 閻魔堂の左手、カラスザンショウの木の下からヤブの斜面をわずか20歩?ほど登ると、そこはもう竜宝寺山の山頂だった。
 4つの保護石に囲まれた一等三角点は、落葉に埋まって頭しか出ていなかった。三角点の上のヤマモモの若い葉は、まだ薄くて柔らかだった。

竜宝寺山の三角点

 奥の院まで下って、二人で景色を眺めた。
 アンテナの林立する山(点名.念仏堂)が目立ち、その左に富士型の先山が見える。遠くに、柏原山や論鶴羽山が薄青く稜線を引いている。

先山と論鶴羽山を望む

 雲間から光が放射状に射し込み、山や丘を淡く浮かび上がらせていた。視界の右端には、湊の港。瀬戸内海の水面は逆光をまぶしくはね返した。

 奥の院から、登ってきた石段を下る。石を調べ直していると、妻は先に下へ。私は、あわてて後を追った。

奥の院からの光景(右端に湊港と瀬戸内海)

山行日:2019年2月10日

龍宝寺〜奥の院〜竜宝寺山山頂 (同じコースで下山)
 龍宝寺本堂の右手から、新しい石の階段が奥の院まで続いている。奥の院から、裏の雑木の中を登ればすぐに山頂である。

山頂の岩石 白亜紀 都志川花崗岩  粗粒角閃石黒雲母花崗岩
花崗岩の表面
 龍宝寺本堂の下、奥の院への石段脇、奥の院周辺で見られたのは、粗粒の花崗岩である。
 露頭の表面は風化が進んでいるが、普通角閃石・黒雲母・斜長石・カリ長石・石英から成っていることが分かる。
 左の写真では、鉱物が長くなって同じ方向に並んでいる(ボールペンの軸の方向)。これを、フォリエイションという。特に、大きなカリ長石(最大30×6mm)の定向配列が目立つ。
 この都志川花崗岩は、領家古期花崗岩類に属している。領家古期花崗岩類は、フォリエイションが発達していることが特徴であり、花崗岩が貫入・固結したあとの変形・再結晶作用を受けたものと考えられている。
 この花崗岩に、これよりも細粒の深成岩(トーナル岩〜石英閃緑岩)が貫入しているようすが、石段脇や奥の院周辺で見られた。


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