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雨上がりの越知川名水街道を下る 神河町を流れる越知川は、播但国境を源とし千ヶ峰や笠形山のふもとを走り抜けて市川に注いでいる。川沿いには多くの名水所があり、自然や歴史にまつわる民話がいくつも残されている。 「越知川名水街道」は、越知川に沿った道を自転車下りコースとして整備したものである。コースの主要部は村の古くからの道や農道を通っているが、一部はバス道を利用している。 GWの最終日、越知川名水街道を下った。季節はずれの寒気によって、この日は朝から不安定な天気だった。スタート地点の「新田ふるさと村」で、名物のソバを食べながら雨宿り。ときどき、窓が光って雷鳴が聞こえた。 そんな雨も午後1時には上がり、薄日も射し始めた。1時20分に出発した。 コースには、順路を示す看板がNo1から続いている。 No2で右に折れ、木橋を通って右岸に渡った。林を抜けて、山すそのあぜ道を歩く。足元には、タチツボスミレやヤマルリソウ、クサイチゴにムラサキケマン、そしてニョイスミレ、カキドオシと春の花が次々と咲いていた。 雨に濡れた花々は、雨後の柔らかな光を浴びていっそう色鮮やかに見えた。
No3から少しだけ寄り道をして、不動の滝(雌滝)へ。水かさを増した滝の水は、黒い岩肌を勢いよく流れ落ちていた。
No4からバス道を歩いた。道の脇には、タネツケバナ、カキドオシ、ノヂシャなど。民家の石垣には、ジシバリやオニタビラコが黄色の花をつけていた。
交流センターを過ぎ、No6で井根橋を渡って、川に沿ったあぜ道を歩いた。水の張られた田のあちこちで代かきが行われていた。道の傍らに、ヒメオドリコソウやノヂシャ、カキドオシがそれぞれの群落をつくっていた。 No8から下村橋を渡り、バス道を歩くと大歳神社に着いた。神社の境内の端に三段重ねの岩が立っていて「重箱石」と呼ばれている。 この岩に秘密を打ち分けても、いつまでも開けられることがないので、その秘密は絶対にもれることがない。そこから、この石の重箱は、秘密封じの名刹として地域の信仰を仰いできた。
No10で左へ折れ、大原橋を渡った。数件の民家の前を通り、越知川左岸の山すその道を歩く。溝の石垣にシャガが咲いていた。
いったんバス道に出て、No18で矢床橋を渡るとライラックの花の匂いがした。道端の草むらには、ミヤマキケマンが咲いていた。
午後5時を過ぎていた。歩くに従って、陽もゆっくり稜線を移動して沈みそうでなかなか沈まなかった。
No33で明神橋を渡ると、首切地蔵。江戸時代、年貢減免の直訴に向かおうとした上月平左衛門がここで役人に切り殺された。人々は、その霊をなぐさめるためにお地蔵さんを祀ったが、すぐに首が落ちてしまった。ちょうど、平左衛門が殺された姿と同じように・・・。小さな社の中に、首の切られたお地蔵さん今も祀られていた。 すぐバス道を折れて農道に入り、その道を真っ直ぐに歩いた。 No37で太子橋を渡り、安寿庵を過ぎて、先を急いだ。 夕暮れの空に、たくさんのこいのぼりがたなびいていた。こいのぼりの下の坂道を登り、午後6時、グリーンエコー笠形にたどり着いた。 新田ふるさと村からグリーンエコー笠形まで16.2km。花を撮りながらの4時間30分の道のりであった。 2012年5月6日 「越知川名水街道」で咲く花々
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「越知川名水街道」全行程は、No1「新田ふるさと村」からNo62「神姫グリーンバス粟賀営業所」まで。今回は、この中のNo1からNo41まで歩いてグリーンエコー笠形に達した。 JR寺前駅横「カーミンの観光案内所」で、パンンフレット「越知川名水街道ツーリズムガイド」をもらうことができる。 ←「越知川名水街道ツーリズムガイド」より 図をクリックすると大きくなります |
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