太田池・点名南小田2(850.2m)・太田の滝   
                   神河町          25000図=「長谷」


太田池から小さなピークを越えて太田の滝へ

太田池の風景

 まだ5月というのに、連日30℃に迫る暑さが続いている。しかし、ここ峰山高原には涼しい風が吹いていた。あちこちで咲くタニウツギの花が、陽光に照らされて青空に映えていた。

 太田池は、峰山高原の東部、標高800mの高さに水面を広げている。この池は、はじめ南小田発電所の上部貯水池として明治40年(1907)から43年(1910)にかけてつくられた。昭和55年(1980)から平成7年(1995)には、大河内発電所の上部調整池として5つのロックフィルダムを周囲に配して拡張された。

1 全国鳥類繁殖分布調査

 太田池を見渡す展望台に立った。空気は澄んでいて、湖面には空の青と雲の白がくっきり映っていた。ホオジロやウグイスがさえずっている。カッコウとツツドリの声が遠くから聞こえてきた。

 ここへやって来たのは、明日の早朝に峰山高原で「全国鳥類繁殖分布調査」を行うためである。
 「全国鳥類繁殖分布調査」は、日本各地に調査ルートを設定して20年に1度行われている。私は、岡山の友人、齊木孝さんに誘われて同行することになった。
 齊木さんは、鳥の達人である。鳥は同じ種類であっても、個体によって、また時と場合によってさまざまな鳴き方をするが、いつでもその名前を言い当ててしまう。だいたい、いつどこなら、どのような鳥の声を聞くことができるのかが分かっているのだ。私は、いつも感心するばかりである。

 二人は今夜、この太田池湖畔で野営することにしている。それまで一人で周辺のピークを巡り、太田の滝まで歩くことにした。

タニウツギ

2 840m標高点へ


 まず、太田池の南の小さなピーク840m標高点へ向かった。地形図に破線路が描かれているが、予想通りその道は消えていた。しかし、シカが下草や低木をすっかり食べているのでヤブをこぐ必要はない。
 適当なところから山に入って、破線路に示されたコースをとった。
 右手の平地に、巨大な太陽光発電施設が建設されていた。地図と双眼鏡を持ち、ハンマーをぶら下げた姿は不審に見えるかもしれない。作業員の目に止まらないように、木々に体を隠すようにしてその場を離れた。
 地面は、落葉とその下の腐葉土でふかふかしていて心地よい。
 シジュウカラが、アカマツの上で警戒して鳴いている。メジロの声も近くから聞こえてきた。

 小さな高みを越えて、下ったコルからひと登りすると840m標高点に達した。
 地面をはうように広がるアセビの枝葉から、丸い岩がひとつ飛び出していた。岩石は白色や灰色の火山岩塊をふくんだ凝灰角礫岩。今からおよそ6500万年前の火砕流によってできた岩石である。
 
840m標高点 凝灰角礫岩

3 850.2m三角点(点名南小田2)へ

 そこから、急な斜面を南東へ下った。スギの落葉の間に、マムシグサが生えていた。
 下ったところに、小さな湿地があった。湿地をシオカラトンボが飛び、その周りにムラサキサギゴケが群れて咲いていた。
 湿地の前には、平らな草地が広がっていた。コナスビの黄色の花が、草地のあちこちに小さな斑をつくっていた。
 草地の向こうに、スギにおおわれた低い山が横たわっていた。この山の上に、めざす850.2m三角点がある。
 草地のまん中は草のたけが長いので、山裾を巻くように進むと広い道に出た。
 山脚に達したところで、お昼に。箸を忘れたことに気づき、スギの小枝で弁当を食べる。
 青い空に、低い綿雲がゆっくりと流れていた。アオゲラの声が、森の中から響いてきた。

 間伐されて横たわるスギの幹をよけながら、斜面を登った。ひとつ西のピークから小さなコルを越えると、三等三角点の埋まる850.2mピークに達した。

 いつの間にか、スギ林からヒノキ林に変わっていた。三角点のまわりに小さな空間が開け、ここだけ光が射し込んでいた。ヤマガラの声がのどかに聞こえてきた。

平らな草地と点名南小田2 点名南小田2の三角点

 ヒノキ林を北東に下った。踏み出した靴のかかとが、ひと足ごとにやわらかい地面に沈む。カケスがギャーと鳴いた。
 標高775mで、送電線鉄塔の下に出た。送電線の下には、一筋の巡視路が続いていた。
 巡視路を北へ進むと、あたりが少しずつ開けてきた。日当たりの良い地面には、ミツバツチグリやニョイスミレの花。

 不思議なタンポポを見つけた。葉は前縁で、葉にも柄にも長い剛毛が生えている。舌状花の背面には橙赤色の筋がある。帰って調べてみると、最近ふえつつある帰化植物、ハイコウリンタンポポだった。どこからどうやってここへやってきたのだろう。

ハイコウリンタンポポ ハイコウリンタンポポの葉


 正面に、太田第一ダムが見えてきた。太田池の水を向こう側にせき止めている。ダムの下まで進むと、広い車道に出た。

太田第一ダムに出る

4 太田の滝へ

 車道の脇に立つ「太田の滝 600m」の標識が、来た方向を示していた。ここで折り返し、南東に向かった。
 はじめは広い遊歩道。やがて、細い山道になった。山道を進んでいくと、南小田発電所に流れ込む疎水路にぶつかった。
 疎水路を渡ったところに、あと180mの標識。ここから急な下りとなる。岩がちの道は、ときどきヘアピンに曲がりながら谷底に下っていた。周囲は、ミズナラやコナラなどの広葉樹に包まれた初夏の森。水音がしだいに大きくなってきた。

 急坂を下ると、突然、太田の滝が現れた。
 水は、岩の間を何度か岩盤にぶつかりながら流れ落ちている。滝の下には、大きな岩が重なっている。全体の落差は55m。
 滝の両側から木の葉がかぶさって、落ち口が見えない。暗い谷間に、陽に照らされた木の葉の緑と、岩をはねる水の白が、鮮やかに輝いていた。
 ミソサザイが、近くでさえずっていた。キツツキのドラミングが聞こえてきた。

太田の滝

 太田の滝には、次のような話が残されている。神崎郡誌(兵庫県神埼郡教育会編,1942)から引用してみると・・・

 天正八年戦いに利あらず 赤松族下ほとんど討死し、家臣太田源内も同年正月六日滝に投身死したが、守本尊を首にかけていたと伝え、その後太田の滝と称するやうになった。(一部、現在字体に変換)

 天正八年(1580)1月6日といえば、秀吉が三木城に攻勢をかけて落とす直前。秀吉が播磨の制圧を成し遂げようとしていた時期である。

 滝から登り返した。もとの車道まで標高差100m。疎水路の手前まで来たとき、一羽のチョウが、ふわりふわりと目の前を横切った。本当にふわりふわりと、優雅に・・・。アサギマダラだった。
 車道に出て、次に828.0mの三角点をめざそうとしたが、道がゲートにふさがれて立ち入り禁止となっていた。
 こずえ高くさえずるオオルリの声を聞きながら太田池へ引き返した。

5 太田池の夜

 齊木さんと落ち合い、太田池の湖畔で夜を迎えた。

 あたりが暗くなると、西の空に細い月が浮かび上がった。木星が空高く輝き出す頃、ヨタカの声が聞こえ始めた。遠くでは、カッコウが鳴いていた。
 二人で星を見た。明るい星は湖面に映った。ベガの青白い光は、湖面で小さくゆらめいた。

 夜遅くなって、フクロウが鳴き始めた。フクロウの声は、ときどきその位置を変えた。テントのすぐそばまで来たかと思ったら、また遠くへ移っていった。
 ヨタカが、ずっと遠くで鳴いていた。

太田池の夕暮れ

山行日:2017年5月28日


太田池展望台〜840m標高点〜点名南小田2(850.2m)〜太田第一ダム〜太田の滝〜太田第一ダム〜太田池展望台
 太田池の南西畔に展望台がある。そのすぐ手前に広い駐車場とトイレが整備されている。
 大田第一ダムの下に太田ダムへの入り口がある。道はその少し先で、行き止まりとなっている。

山頂の岩石  後期白亜紀 峰山層  デイサイト質溶結火山礫凝灰岩
 峰山高原には、峰山層が分布している。峰山層は、後期白亜紀の火砕流によってできた地層である。
 太田の滝への道で、新鮮な岩石が観察できた。強く溶結した灰色のデイサイト質溶結火山礫凝灰岩である。レンズ状に押しつぶされ軽石が並ぶ溶結構造は、風化面でわかりやすい。
 普通角閃石と斜長石の結晶片を多くふくんでいる。普通角閃石をふくんでいることが峰山層の特徴である。

 840m標高点では、凝灰角礫岩が見られた。最大8cmの火山岩塊をふくんでいる。火山岩塊には、ほとんど斑晶をふくまない白色の流紋岩と、多孔質で石英と長石の斑晶を含む灰色の流紋岩が観察された。

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