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沼島おのころクルーズと「さや状褶曲」 この島の周囲を漁船でぐるりと巡る「沼島おのころクルーズ」に参加しました。国生み神話の「上立神岩」や珍しい「さや状褶曲」など見どころいっぱいの人気のクルーズです。 1.沼島の地質 沼島は三波川変成帯にあって、全島に結晶片岩が分布しています。 結晶片岩には、主に原岩のちがいによっていくつかの種類があります。その中で、沼島の北部には緑色片岩が、南部には泥質片岩が多く見られます。 緑色片岩は玄武岩質の火山岩や火山砕屑岩が変成作用を受けたもので、緑色~淡緑色をしています。 泥質片岩は泥岩が変成作用を受けたもので、黒色~灰黒色です。この色の違いによって、船からの観察でもどちらかがだいたいわかります。 その他、砂岩が変成作用を受けた砂質片岩や、チャートが変成作用を受けた石英片岩も分布しています。石英片岩の中には、紅簾石をふくんで赤い紅簾石石英片岩も見られます(厳密にいうと、Fe>Mnのため紅簾石ではなく、Mnをふくんだ緑簾石です)。 これらの結晶片岩には、真白い石英脈が片理と平行にあるいは斜交して薄層やレンズ状に入っていることがあります。 また、上立神岩の周辺には蛇紋岩が小規模に分布しています。 三波川変成帯の変成岩のもとの岩石は、白亜紀後期の付加体(四万十帯北帯にあたる)です。それが、プレートの沈み込みによって地下深くへと引きずり込まれて低温高圧型の変成作用を受けました。 沼島の変成岩からは、今から9500~8500万年前という変成年代が得られています。この年代は、沼島の蛇紋岩と泥質片岩の反応部の緑泥石に富む岩石中のモナズ石からチャイム(CHIME)法という方法によって得らました(Suzuki et al,2018)。 2.おのころクルーズ 船は沼島港から、反時計回りに島を一周します。沼島では、この回り方を女回りといいます。この反対は男回りです。男回りと女回りの名の由来は、古事記に書かれたイザナキとイザナミが国生みの始めに寝殿の聖なる御柱を回った方向からつけられたということです。 この日の船は上野宏文さん船長の宏漁丸、案内は沼島観光ガイドの小野山豪さんです。小野山さんは地質にも歴史にも神話にも詳しく、楽しい解説が途切れなく続きました。
3.上立神岩へ 港を出ても波はほとんどなく、すべるように船は進んでいきます。こんなに海の静かな日は1年に何日もないと小野山さん。 島の周囲は切り立った海食崖で、北に30°ほど傾いた泥質片岩の地層が続きます。その海食崖が途切れたところが入江になっていて、そこに砂浜が見えました。古水浦です。 ここから縄文時代などの製塩土器が見つかっています。その中の棒状の土器は、海の水を煮詰めるときの突沸を防ぐために使われたことがわかっているそうです。
中瀬ノ鼻を回り込むと、船は外海に出ます。この海域は、南に紀伊水道があってその先には太平洋が広がっています。北西の鳴門海峡の向こうには播磨灘、北東の友ヶ島水道の向こうには大阪湾があって、沼島は海路の要衝であることがわかります。沼島は昔から海人の島だったのです。 黒い泥質片岩の中のところどころに、緑色の岩がはさまれています。緑色の大きな三角形の岩には、ずばり青磯という名前がついていました。
このあたりは、大小の岩礁が海面に顔を出しています。その中でひときわ大きいのが下立神岩です。岩の上には釣師が一人。どうやってそんなところに立てているの? 下立神岩は、かつては上立神岩よりも高かったのですが、1854年の安政大地震により中ほどから折れたと伝えられています。折れた岩が下の岩にかぶさって中心部に穴の開く珍しい形になりましたが、1934年(昭和9)の室戸台風によって上にかぶさった岩もくずれ落ちてしまいました。 船が下立神岩の横を通り過ぎると、岩の姿は先のとがった岩塔となりました。その下には、崩れ落ちた部分が海の上に顔を出しています。釣り人がもう一人、この岩の上で寝ていました。
しばらく進んだあと、船は船先を陸に向けて断崖に近づいていきました。縦長の四角い穴が開いています。穴の奥は暗くてどれくらい深いかわかりません。穴口と呼ばれているこの穴は、黄泉(よみ)に国に続いているといわれているそうです。
穴口の前で上を見上げると、高い崖が垂直に迫っています。結晶片岩の大露頭です。目の前に、一方向に割れる片理や片理面の上に発達する線構造、細かい褶曲などが迫力ある岩の光景をつくり出していました。
穴口と別れ、船の向きが変わると遠くに上立神岩が見えます。その手前に、周囲が海藻におおわれた平たい磯が海面に出ています。平バエです。 国生み神話の八尋殿(やひろどの)ともいわれ、旧暦の3月3日には漁船が大漁旗を立ててこの島を回る平バエ祭りが行われます。そのとき、漁船の航跡が描く円が、天上のイザナキとイザナミが沼矛によってかき回した海を連想させます。
上立神岩の手前にアミダバエが海へ突き出ています。陸から見た姿とはずいぶん印象がちがいます。岩の表面に泥質片岩の縞模様が見えます。
船は上立神岩に近づきました。上立神岩は、高さ30m、沼島を代表する自然景観です。海から空に向かって突き出たこの姿は、国生み神話の天の沼矛とも天の御柱ともいわれています。 岩の中心部のへこんだところが💛に見えて、最近では恋愛成就のパワースポットとして訪れる人がふえているそうです。 周辺の崖やそこからくずれ落ちた岩塊は泥質片岩ですが、上立神岩の大部分は緑色です。しかし、緑色片岩のような片理による縞模様や割れ目は見られません。 上立神岩をつくっているのは、おもにトレモラ閃石岩(透閃石岩)です。この岩石は、泥質岩に取り込まれた蛇紋岩が泥質岩との交代作用よってできたものです。このような蛇紋岩と泥質岩の混合は、沈み込んだプレートがマントルウェッジの蛇紋岩化したかんらん岩をはぎ取って起こると考えられています(Maekawaほか 2004)。 雄大な岩の景観である上立神岩は、国生み神話の舞台でもあり、沈み込み帯の地下深くでの現象を解き明かす地質体でもあり、そして最近のパワースポットとしての人気と、いろいろな魅力にあふれています。
上立神岩の下には、4つぐらいの磯が海中から顔を出しています。その中の2つの磯の間を船は通り抜けました。沼島の漁師は、海底の地形が3Dで全部頭に入っているそうですが、ここを通り抜けることができるのは一部の漁師だけだということです。 スルリを感じながらも、岩を間近で見ることができました。これも緑色のトレモラ閃石岩で、レンズ状や細脈状の脈が多く入っていました。
4.さや状褶曲へ 海岸には緑色片岩主体の地層が続きます。猩々(しょうじょう)バエや殿飛(とのとび)と呼ばれている岩を見ながら進むと、入江がありました。薬師浦です。 昔、沼島で疫病が流行したとき、島を訪れた一人の僧がここに生えていた薬草で島民を救ったという言い伝えがあって、この名がつけられたそうです。
船は、島最北端の黒崎の沖に達すると陸にどんどん近づいていきました。もうこれ以上近づけないところで、船は止まりました。船の先、海面よりわずかに高いところに見えるのが「さや状褶曲」です! 周囲は緑色片岩ですが、その中に茶色に見える岩石がはさまれています。この岩石は、泥質成分をふくむ石英片岩(前川ほか 2024)で、そこにさや状褶曲が現れているのです。
さや状褶曲とは、刀の鞘(さや)のような形をした褶曲で、その断面は同心円状の縞模様になります。船から見えるのはこの断面で、いくつかのさやが重なったようすが観察できます。 さや状褶曲は、この露頭周辺に多数ありますが(前川ほか 2001)、これがもっとも良くさや状褶曲の特徴が認められる露頭です。発見されて30年以上たちますが、発見当時とほとんど変わらずに見事な同心円状の縞模様をなしていました。
双眼鏡で観察し、写真を撮って船長さんにOKの合図をすると、船は再び動き出しました。 ガイドの小野山さんの話に耳を傾けます。クルーズには、自然の好きな人、地質や鳥類の研究者、ハモを食べに来て船に乗った人・・・といろいろいるそうで、客に合わせて話を選んでいるということです。ちがう話で島を三周はできるそうです。 約50分のクルーズを終え、船は浮き桟橋へ帰っていきました。 5.さや(鞘)状褶曲のでき方 沼島でさや状褶曲が見つかったのは、1994年のことです。3年後の、1997年12月18日の神戸新聞に「1億年の地球のしわ」というタイトルで初めて紹介されました。正式に論文として発表されたのは、2001年のことです (前川ほか 2001)。 さや状褶曲は、“Sheath fold”の日本語訳で、シース褶曲、さや型褶曲、さや褶曲とも呼ばれます。 さや状褶曲が初めて報告されたのはフランス、ブルターニュ地方のグロワ島です(Quinquis et al 1978)。その後、イタリア、スウェーデン、台湾、日本、オーストラリア、アパラチア、カナダなど世界各地から報告されています。日本は、沼島以外に四国中央部や長崎などの数ヶ所です。しかし3次元的に観察できない場合は誤認の可能性もあり、3次元的に観察できる沼島は確実で貴重なのです(前川ほか 2001)。 このさや状褶曲は今から約9000万年前、沼島が深さ約30kmのプレート沈み込み帯にあったころにプレートの運動によってつくられらものと考えられています。沈み込んだ地層に強いずれ(剪断)応力が加わって地層がゆがみ生まれたのです。 褶曲で曲率が最大となる点をヒンジといいます。そのヒンジを結んだ線をヒンジ線といいます。地層をつくっている岩石には、硬くて形の変わりにくいところと、軟らかくて流動しやすいところがあります。 さや状褶曲は、地層に強い力が加わって岩石の流動化しやすい部分が引き伸ばされ、ヒンジ線が著しく曲がってさやのような形になったと考えられます(下図)。その断面は、同心円状の構造となります。
引用・参考文献 Quinquis, H., Audren, Cl., Brun, J. P., and Cobbold, P. R. (1978) Intense progressive shear in Ile de Groix blueschists and compatibility with subduction or obduction. Nature, v. 273, p. 43-45. 日本地質学会構造地質部会(2012)日本の地質構造100選,朝倉書店 Suzuki K.,Enami M.,Maekawa H., Kato T.,Ueno T.(2018)Late Cretaceous CHIME monazite ages of Sanbagawa metamorphic rocks from Nushima, Southwest Japan.Journal of Mineralogical and Petrological Science,113,p.1-9 前川寛和・井口博夫・榎本哲二(2001)兵庫県南端部、沼島に分布する三波川変成岩から発見されたさや状褶曲.地質学雑誌,107,ⅴ-ⅵ. 前川寛和(2024)沼島のさや状褶曲,HP「青石三昧」https://bluestone27.com/ Maekawa H.,Yamamoto K.,Ueno T.,Osada Y.,Nogami N.(2004)Significance of serpentinites and related rocks in the high-pressure metamorphic terranes,Circum-Pacific regions.International Geology Reviewkonn,46,p.426-444 ■岩石地質■ 後期白亜紀 三波川変成帯 結晶片岩 |