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鶴居城山(433m)・大中山(662.3m) 市川町 25000図=「寺前」 鶴居城山から大中山へと辿り、十三回りへ
七種山塊の北に位置する662.3mのピーク、大中山。毎朝の通勤途上で見る山のひとつである。
尾根の道は、しだいに急になった。天然木の丸太階段は上品につくられていて、自然によく溶けこんでいた。傾斜が緩くなって丸太階段が途切れると、アカマツ林の下に285.6mの三角点が埋まっていた。ここから東が開かれ、眼下に鶴居や美佐の家並みと田園が広がっていた。ゴトゴトと音を立てて走る赤茶色の電車は、まるでおもちゃのように見えた。
城山をあとにして、大中山をめざした。尾根には、明瞭な切り開きがあった。木漏れ日の射す落ち葉の道。このあたりに来ると、コバノミツバツツジは、まだたくさん花を残していた。
雑木のトンネルをくぐるように、狭い切り開きを身をかがめて進んだ。エナガがかわいい姿を見せて、さえずった。標高530mあたりで、切り開きは尾根を離れて、南斜面をトラバースするように伸びていた。山の斜面は樹木がうっそうとしていて、しっとりと湿っていた。ほとんど水平に進んだあと少し上ると、七種山から続く尾根に出た。 三角点の周りは小さく開かれていた。周囲から、ソヨゴやコナラ、アセビ、ネジキ、ツツジなどが枝を伸ばし、山頂の空を半ばかくしていた。数枚の小さな登頂プレートが木の枝に掛かっていた。山頂の光景は、10年前とは何も変わっていなかった。
大中山山頂から北へ向かった。かすかな切り開きがあったが、倒木が行く手をさえぎった。このあたりの山は、2004年の23号台風で多くの木が倒れた。そのとき、根こそぎ倒れた木が尾根にそのまま残っていた。
ヒカゲツツジは、ここまで目にすることができなかったので、今回は半ばあきらめていたが、ここに咲いていた。 淡黄色の花びらは、陽が当たって明るく輝いていた。その花びらをルーペで見ると、小さな粒が陽を透かして水晶のようにきらきらと光っていた。 山行日:2010年4月24日
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| 鶴居城山登山口〜285.6m三角点〜鶴居城山(433m)〜498mピーク〜大中山(662.3m)〜635mピーク〜十三回り〜甲良川標高300m地点=(自転車)=鶴居城山登山口 | ||||||||||||||||||
| 瀬尾高圧工業の北にあるのが皿池、その皿池の北に墓地がある。この墓地の右脇から林に入ると、鶴居城山登山口があった。 登山道は、2009年に地元の「城山城址の会」によって整備された。この道は、すぐに南東尾根に出て、その尾根をそのまま山頂まで伸びていた。 城山から大中山までは明瞭な切り開きがあった。この切り開きは、ほぼ尾根に沿ってついているが、標高530mあたりから尾根を離れ南斜面をトラーバスしていた。標高550mあたりで、七種山から続く尾根に出て、かすかな切り開きを北に登れば大中山の山頂である。 大中山山頂から十三回りの峠までは、かすかな切り開きがあった。山頂近くは倒木が多くて、進むのが困難であった。 |
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| 山頂の岩石 後期白亜紀 七種山層 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩 | ||||||||||||||||||
| この山域には、後期白亜紀の七種山層が分布している。今から、約6700万年前の火山活動によってできた地層である。 尾根のところどころに露頭があった。岩石はどれも、火砕流によってできた溶結凝灰岩。全体的に風化が進んでいた。 城山山頂の北、標高420m地点で採集した岩石は、帯緑灰色の基質に、カリ長石(最大3mm)・斜長石・石英の結晶片、頁岩・流紋岩などの岩片を含んでいた。 軽石が扁平につぶされた溶結構造が顕著である。軽石のレンズは最長1cm、多くが緑色をしている。 |
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