奥山②(574.9m)・初鹿野山②(507.6m)    
神河町・市川町     25000図=「粟賀町」


ろう石の谷から風土記の山へ
 map

奥山への登路から見る初鹿野山

 風もない穏やかな初春の朝だった。
 越知川の支流、福山川に沿った車道をゆるく登っていった。左にとんがり山が小さいながらも鋭くそびえ、右には初鹿野山がゆるく稜線を引いている。
 近くの林から、モズやメジロ、ホオジロやエナガの声が聞こえてくる。集落や工場を抜け、スギ林へと入った。
 砂防堤の前で、道は大きく曲がっていた。
 前の山の稜線を、福山鉱山のろう石採掘場が縁取っていた。その茶色の地肌が日に照らされて、城跡のように見えた。

 山の上に見える福山鉱山

 道に転がる石の中に、ろう石が混じっていた。ろう石をいくつか拾い集めてみる。赤紫色や淡い緑色のものが多い。
 ろう感がある軟らかいろう石で、字を書いてみた。

拾い集めたろう石
(下の白っぽいろう石が品位が良い)
 ろう石で書いた落書き
 

 谷はしだいに狭くなってきた。日差しが届かなくなると、冬の冷気が体に伝わってきた。沢を流れる水が小さな音を立てている。上空からは、飛行機の音が聞こえてきた。
 広い道は、東へと続いていたが、予定していた取り付き点を過ぎてしまった。少し戻って、ヤブを下ると沢の手前に細い道があった。この道は、砂防堤の手前で途絶えた。
 そこから、急な斜面を登っていった。地形図の破線路は、すでに消えていた。ヒノキ林の下には、シキミやヒサカキがまばらに生え、コシダが地面をおおっていた。
 沢の水は枯れていたが、岩の下からちょろちょろと音が聞こえるところがあった。

 細い道が現れた。その道を進んでいくと、岩盤に大きな穴が開いていた。ろう石の試掘跡であった。周辺には、ろう石化した岩石がいくつも転がっている。
 穴の入口は、台形を横にしたような形。穴の大きさを測ってみると、幅(下)は2.6m。高さは1.7m。穴を覗き込んでみると、奥行き5mのところまで掘られていた。

 ろう石の試掘跡

 細い道は、試掘跡までだった。スギの木の下の斜面は、上から崩落してきた多くの岩塊で埋められていた。そこを真っすぐ登っていくと、再び道らしきものが現れてつづらに上っていた。
 たどり着いた399mコルには、大きなヤマザクラの木が立っていた。

 コルのヤマザクラ

 コルから神河町と市川町の境界尾根を登った。この尾根は、いきなり急坂から始まっている。ほとんど四つん這いになって登った。
 落ち葉の間に、シダやコケの仲間が生えている。ここ数日、雨も雪も降らなかったのか、ホソバオキナゴケは白っぽくなっていて、触ってみるとさらさらと乾いた肌ざわりがした。
 標高510mまで登るとやっと傾斜が緩くなった。木々の間から、福山鉱山の露天掘り場が見える。そこだけが白っぽくてよく目立った。
 

谷の向こうに見える福山鉱山

 尾根は、ときどき倒木などでふさがれていたが、歩きやすかった。いったん下って登り返す。町界を離れて、南に進むと、奥山の山頂に達した。
 アカマツの落ち葉に埋もれた三角点の上には、ツガの幼樹が枝葉を伸ばしていた。木々におおわれて視界は開けないが、それでも北東に笠形山の山影がのぞいていた。
 山頂にたたずんでいると、エナガや、ヤマガラ、メジロの声が聞こえた。遠くからキツツキのドラミングの音が響いてきた。

 奥山山頂

 山頂から急な坂を下る。葉をすっかり落とした木々の間から、前方に初鹿野山が見えた。
 尾根に倒木が多くなってきた。アセビやソヨゴが多くなり、サルトリイバラのトゲもじゃまをする。身をかがめ、両手で枝を払いながら前へと進む。ネズミサシの尖った葉が肌を刺した。
 380mの最低コルを過ぎて急登すると、傾斜がゆるくなった。尾根は、開けていたりヤブになっていたりした。尾根の上に岩も多くなってきた。小さな高みを何度か越えて進んでいくと、初鹿野山の山頂に達した。

 初めてここを訪れたのは20年前の夏。そのときは、あたりのヒノキがもっと小さくて三角点のまわりは夏草におおわれていた。今は、大きく伸びたヒノキが陽光をさえぎっていた。枝葉からもれて射し込んだ光が、三角点の横に立つ標柱を白く浮かび上がらせていた。

登路より初鹿野山を望む  初鹿野山山頂

 初鹿野山・・・。この名の由来については、「播磨国風土記」におもしろい話がある。

 『大汝命(おおなむちのみこと)と小比古尼命(すくなひこねのみこと)が話をしているうちに、重い堲(はに、粘土)をかついで遠くまで行くのと、ウンコを我慢して遠くまで行くのとどちらががまんできるだろうかという話になった。
 「ウンコを我慢して行く方が楽だと思う。」と言った大汝命と、「堲をかついで行く方が楽だと思う。」と言った小比古尼命が勝負をすることになった。
 何日かたつと、大汝命は「もう我慢できない~」と言って、その場にしゃがんでウンコをした。そのとき笹がウンコを弾(はじ)いて衣に当たった。だから、その村を波自加(はじか)野と呼ぶようになった。
 それを見ていた小比古尼命は大笑いしたが、「私も、もう我慢できない~」と言って、堲を投げ捨てた。そして、堲が飛んで行った岡を、堲岡と呼ぶようになった。
 その堲とウンコは、石に姿を変えて今も無くなっていない。』

 『ふるさと「やかた」の歴史』(後藤丹次 1975)には、「波自加(はじか)野」が、「初鹿(はしか)野」になったのは、応神天皇が狩猟に当地へ来たとき初めて鹿が見つかったことによるとされている。

 日吉神社前の「堲岡の里 神河(神河町教育委員会)」の説明板より


 山頂から、西へ続く尾根を下った。途中で町界尾根を外れ、そこから北へと下った。
 急な下りであったが、ソヨゴやアセビやヒサカキの細い幹が、良い手がかりになってくれた。

山行日:2023年1月6日

スタート地点~上の砂防堤~399mコル~奥山~初鹿野山~ゴール地点 map
 福山川に沿って舗装路が下の砂防堤前まで続いている。そこからも、広い道がUターン地点の先へと続いている。
 上の砂防堤の手前から399mコルに延びる地形図破線路は、ほとんど消えていた。
 町界尾根は、ところどころでヤブ漕ぎが必要だった。初鹿野山からの下山は、植林の下のまばらな木々の間を下った。

山頂の岩石 白亜紀後期 大河内層 溶結火山礫凝灰岩
写真1 溶結火山礫凝灰岩(横10.5cm)
(奥山山頂の西300m地点)
 
 写真2 溶結火山礫凝灰岩(横2.2cm)
(初鹿野山山頂)
 奥山と初鹿野山の山域は、白亜紀後期の大河内層が分布している。
 今回歩いたコース全般で見られたのは、岩石片を多くふくんだ溶結火山礫凝灰岩である。

 写真1の標本が、大河内層の溶結火山礫凝灰岩の特徴をよく表している。
 灰褐色で多くの岩石片をふくんでいる。岩石片は5cm以下のことが多く、その種類は黒色頁岩や砂岩などの異質岩片、流紋岩やデイサイトなどの類質岩片である。
 軽石は扁平に押しつぶされて、溶結構造を表している。

 写真2は、初鹿野山山頂の岩石の破断面を拡大したものである。
 岩石は、強く溶結した硬い火山礫凝灰岩である。
 黒色頁岩などの岩石片や、石英・斜長石の結晶片をふくんでいる。
 軽石は、薄くレンズ状になって同じ方向に並んでいる。

 これらの岩石からなる地層は、火砕流が堆積してできたものである。

「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ  登山記録へ