奥山②(574.9m)・初鹿野山②(507.6m) 神河町・市川町 25000図=「粟賀町」 ろう石の谷から風土記の山へ map 風もない穏やかな初春の朝だった。
道に転がる石の中に、ろう石が混じっていた。ろう石をいくつか拾い集めてみる。赤紫色や淡い緑色のものが多い。
谷はしだいに狭くなってきた。日差しが届かなくなると、冬の冷気が体に伝わってきた。沢を流れる水が小さな音を立てている。上空からは、飛行機の音が聞こえてきた。
細い道は、試掘跡までだった。スギの木の下の斜面は、上から崩落してきた多くの岩塊で埋められていた。そこを真っすぐ登っていくと、再び道らしきものが現れてつづらに上っていた。
コルから神河町と市川町の境界尾根を登った。この尾根は、いきなり急坂から始まっている。ほとんど四つん這いになって登った。
尾根は、ときどき倒木などでふさがれていたが、歩きやすかった。いったん下って登り返す。町界を離れて、南に進むと、奥山の山頂に達した。
山頂から急な坂を下る。葉をすっかり落とした木々の間から、前方に初鹿野山が見えた。 尾根に倒木が多くなってきた。アセビやソヨゴが多くなり、サルトリイバラのトゲもじゃまをする。身をかがめ、両手で枝を払いながら前へと進む。ネズミサシの尖った葉が肌を刺した。 380mの最低コルを過ぎて急登すると、傾斜がゆるくなった。尾根は、開けていたりヤブになっていたりした。尾根の上に岩も多くなってきた。小さな高みを何度か越えて進んでいくと、初鹿野山の山頂に達した。 初めてここを訪れたのは20年前の夏。そのときは、あたりのヒノキがもっと小さくて三角点のまわりは夏草におおわれていた。今は、大きく伸びたヒノキが陽光をさえぎっていた。枝葉からもれて射し込んだ光が、三角点の横に立つ標柱を白く浮かび上がらせていた。
初鹿野山・・・。この名の由来については、「播磨国風土記」におもしろい話がある。
山行日:2023年1月6日
スタート地点~上の砂防堤~399mコル~奥山~初鹿野山~ゴール地点 map |
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福山川に沿って舗装路が下の砂防堤前まで続いている。そこからも、広い道がUターン地点の先へと続いている。 上の砂防堤の手前から399mコルに延びる地形図破線路は、ほとんど消えていた。 町界尾根は、ところどころでヤブ漕ぎが必要だった。初鹿野山からの下山は、植林の下のまばらな木々の間を下った。 |
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山頂の岩石 白亜紀後期 大河内層 溶結火山礫凝灰岩 |
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今回歩いたコース全般で見られたのは、岩石片を多くふくんだ溶結火山礫凝灰岩である。 写真1の標本が、大河内層の溶結火山礫凝灰岩の特徴をよく表している。 灰褐色で多くの岩石片をふくんでいる。岩石片は5cm以下のことが多く、その種類は黒色頁岩や砂岩などの異質岩片、流紋岩やデイサイトなどの類質岩片である。 軽石は扁平に押しつぶされて、溶結構造を表している。 写真2は、初鹿野山山頂の岩石の破断面を拡大したものである。 岩石は、強く溶結した硬い火山礫凝灰岩である。 黒色頁岩などの岩石片や、石英・斜長石の結晶片をふくんでいる。 軽石は、薄くレンズ状になって同じ方向に並んでいる。 これらの岩石からなる地層は、火砕流が堆積してできたものである。 |
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