大倉山(385.0m)・峠山(322.1m) 福崎町・姫路市 25000図=「前之庄」
急坂を登り詰めてチョウ舞う山頂へ
 |
| 中村より大倉山を望む |
大倉山は、福崎町と姫路市の境界に位置している。標高385.0mと低いが、地形図にはその名が堂々と記されている。東からは、南に向かってクジラでも横たわっているような形に見え、どこからかの帰りにその姿が見えると家に近いことを感じさせてくれる。それが、南から見ると意外にも富士のように整った三角形の山形をしているのである。
今回、西谷登山口から大倉山に登り、そこから峠山まで足を延ばした。
 |
| コシダにおおわれた登山路 |
県道からため池の間を北に入ると、登山口があった。そこには、「ようこそ大倉山へ 大倉山を愛する仲間」と書かれた看板や、花こう岩でできた「大倉山登山口(平成20年元旦)」の新しい標石が立っていた。
登山口には、ヤマハギが花をつけていた。それでも、今日は朝から暑くて、準備をしているともう汗ばんできた。
登山口から、細い幹ばかりの雑木の中を、踏み跡程度の道が上っていた。木漏れ日が、地面をおおうコシダの葉をまだらに照らし出した。
標高200mあたりまで登ると、道ははっきりした尾根に出て、傾斜も少しずつきつくなってきた。
古い境界石がときどき立っていた。雑木の中にコナラが増えてきた。標高250mを越すと、尾根はさらに急になり、道はつづらになった。
開けたところで振り返ると、今日はじめての眺望が南に開けた。ゴルフ場が眼下に広がっている。その先に低い丘陵がうねり、その向こうの低地に福崎の街並みが広がっていた。田では、草でも焼いているのか、あちこちから白い煙が上がっていた。
小さな見晴台を過ぎ、そのまま続く急坂の途中で立ち止まって一息入れた。木々の枝葉の上には青い空が広がり、ちぎれ雲がゆっくりと流れていた。
道がつづらになっていたのは少しだけで、あとは真っ直ぐ尾根を上っていた。表面に火山礫が飛び出してでこぼこした岩を見ながら、その急坂を登った。
標高350mまで登ると、ようやく傾斜が緩んできた。360mでさらに緩くなった。傾斜の変化から、ふもとから見た山の形を思い浮かべることができた。
大倉山の山頂は、アカマツ・コナラ・ソヨゴなどに囲まれた小さな広場となっていた。2、3の登頂プレートが木の枝に掛かり、その下に三角点と新しい標石が立っていた。木々の間から、いくつかの方向に視界が開けた。低い山々の間を、市川が南北に流れ、中国自動車道が東西に交わっている。街並みや田畑の間からは、あいかわらず白い煙が上っていた。
少し早いが、ここで弁当を食べることにした。
山頂では2匹のキアゲハがもつれるように舞い、モンキアゲハが悠々と上空を横切っていった。1匹のスジグロヒョウモンが、モチツツジの葉に止まっては、そこから舞い上がり、また戻ってくということを何度も繰り返した。
ツマグロヒョウモンは私が立ち上がるたびに、グライダーのように羽を広げたまますーと近づいてきては、Uターンしてふわふわと舞い上がっていった。
山頂のぽっかり開けた空には、うろこ雲やひつじ雲が浮かび、その下をつみ雲がゆっくりと流れていた。カケスがどこかでギャーと鳴いた。
 |
 |
| 大倉山山頂 |
ツマグロヒョウモン |
山頂から北東へ巡視路がついていたが、北に向かってヤブに分け入った。しばらく進むと、尾根に切り開きが現れた。
少し下ると、前方が開けた。明神山と薬師山が、目の前に大きく立っている。スギの木立の間には、峠山への尾根が連なっていた。峠山の山頂は、尾根上の1つのコブのように見えた。クサギが真っ赤になった5弁のがくを開き、トルコ石色の実をつけていた。
尾根は上り下りを何度も繰り返した。あたりは、また雑木の自然林となった。クリの実や、コナラの実、アカマツの松かさなどが地面に落ちていた。道には、くもの巣が多くなってきた。木の枝を拾って作った棒を、倒したり回したりしながら、くもの巣を払って進んだが、それでも少し油断するとくもの巣が顔や帽子にまつわりついた。
 |
 |
| 見上げれば秋の空 |
クサギの実と赤いがく |
尾根の切り開きはか細く、マップとコンパスと高度計を見ながら進んだ。山頂手前の、2つの330mコブの間の自然林は美しかった。カラ類の混群が木々を渡っていった。倒木を乗り越えて、急坂を登りつめると峠山の山頂に達した。
 |
| 板坂峠 |
峠山の山頂は、雑木に囲まれて展望はなかった。赤い登頂プレートが1枚、ヒサカキの細い枝に掛かっていた。野鳥の声と風の音だけの静かな山頂であった。
峠山の山頂から、市町界を北に向かった。この尾根にも、切り開きが続いていた。板坂峠の手前の標高275mの肩に、柱状節理のある流紋岩の露頭があったが、ここから踏み跡が消えた。北西へヤブの中を下ると、板坂峠に下り着いた。
峠のお地蔵さんは、祠の中に1体、その横に数体立っていた。風化の進んだその姿は、歴史の古さと人々から忘れ去られた今を思わせた。
山行日:2009年9月27日