大倉部山(691.9m)   朝来市    25000図=「但馬竹田」「八鹿」


雲海の尾根と山頂の小石

雲海の尾根を歩く

 竹田城跡に登れば、北に大倉部山が大きく迫っている。その尾根は長大で、ゆるく起伏しながら西の山頂へと上っている。
 地元では「おくらべ」・「おくらべさん」と呼ばれて親しまれ、今も岡の観音寺から登山道を整備して、定期的に登山会が開かれている。

 山々が色づいて秋の深まった一日、枚田の慧林寺(えりんじ)からとりつき、長い尾根を歩いて山頂へ向かった。

 日本列島が大きな高気圧におおわれ、今日はどこでも良い天気だと思っていたのに、但馬は朝から時雨れていた。寒気の影響による天気のぐずつきだという。
 岡の道端に車を止めてちゅうちょしていると、雨足が弱くなって、霧雲の上に大倉部山が姿を現した。意を決して、下山予定の岡観音寺に自転車を置き、そこから車で慧林寺に向かった。

霧雲の上の大倉部山

 
山裾に白壁の映える慧林寺。大きな石の仁王が迎えてくれた。こちら側からの道はない。釣鐘の左脇に石段が上っていたので、とりつきはこれを利用することにした。
 石段は、いくつかの墓のそばを通り抜けていたが、一番上の墓の前で途切れた。そこから、石仏の並ぶ道が現れたが、それもすぐに尾根からそれていった。
 
慧林寺

 倒木が多く荒れた尾根を登った。細い木の幹をにぎると、枝葉からボタボタと大粒のしずくが落ちてきた。
 広い尾根が急な傾斜で上っていた。倒木が少なくなると歩きやすくなった。カマツカの葉がオレンジ色に染まっている。アベマキが、黄色の落葉を地面にまいていた。
 雨はもう上がっていたが、あたりはうっすらと霧がかかって空気が湿っていた。
 高い木が途切れ、上空が開けたところはシダにおおわれていた。傾斜はさらに急になった。ぬかるんだ土とその上の落葉に、何度も足をとられそうになる。
 ヤブの中からウグイスの地鳴きが聞こえてきた。

 標高315mで傾斜がゆるみ、345mで再び急になった。地形図通りの傾斜の変化。気圧が安定しているので、高度計の数字がくるわなかった。
 また、倒木が多くなってきた。登るほどに霧が濃くなった。近くのアセビやヒサカキの葉も、白くかすんだ。

登路の黄葉

 標高415m。山頂へ続く主尾根に達した。
 尾根にも道はなかった。コナラやアベマキ、リョウブやアセビなどの雑木を縫って進む。ときどき、ピンクのビニールテープが木の幹や枝に巻きつけられていた。
 ホオノキが、一面に大きな葉を敷き詰めていた。コシアブラの落葉は、5枚セットの黄色の葉。南の谷から鐘の音が上がってきた。11時。

 いつの間にか、霧雲の上に出ていた。尾根の両側、木々の向こうに雲海が見えた。エナガの群れが、木々を渡っていった。

尾根を歩く

 520mの小さなピークを越えた。尾根が少し右に曲がったところに、行く手をふさぐようにアカマツの幼樹が繁茂していた。その上に立つ数本の枯れ木に、カラ類が群れていた。シジュウカラやヤマガラにコガラが混じっていた。
 尾根はゆるく上り下りを繰り返した。倒木が多い所には低い木が多く、ヤブ漕ぎをしなくてはならなかった。
 ヤブから抜け出したとき、腰元が軽いことに気がついた。ヤブの中にハンマーを落としてしまったのだ。いくらか戻って探してみたが、見つかるわけもなかった。ここから石がおもしろくなるのに・・・。足取りが重くなった。
 568mピークの先の広いコルは、大量の落葉で埋まっていた。そこからも、ゆるくなったり急になったりして尾根が続いた。枯葉や枯れ枝、クリのイガを踏みながらひらすた登る。
 雲海が少しずつ薄くなって、切れ間から周囲の低い山が見えるようになった。

ウリハダカエデの紅葉

 尾根の上に、大きな岩が増えてきた。小さなコブを越えると、こちらに気付いたシカが白い尻を見せて逃げていった。しばらくして、ピョーという声が遠くで聞こえた。

 12時53分、大倉部山の山頂に達した。木製の小さな山頂プレートが岩の間にひとつ立っていた。こんな山頂がいい。

山頂へ 大倉部山山頂

 山頂に着くと、まず石を調べた。この春、和田山郷土歴史館の斉藤さんからこの山頂の石を送ってもらっていたのだ。

 その箱の中に入っていたのは、細粒の砂質ホルンフェルスと溶結凝灰岩。
 溶結凝灰岩は、黒色ガラス質で硬く、一見するとチャートのように見える。この石の表面が白く風化したものもあって、風化面で溶結構造がはっきりとわかった。
 また、大きさ2cmほどの丸い小石が10個ほど入っていた。どれも扁平でおはじきのよう。小石の種類は、角閃岩と流紋岩。
 山の上に、角の取れたこんな丸い石。礫岩の中の礫が洗い出されたものだろうか。

 山頂には大きな岩がいくつか重なっていたが、どれもガラス質の溶結凝灰岩だった。風化して白くなった表面で、軽石が融けてレンズ状に引き伸ばされた溶結構造が明らかだった。
 ホルンフェルスは、山頂にはないがここまでに見られたので、もう少し低いところで採集されたものであろう。
 さて、小さな小石は・・・。数ヵ所で、岩の間の土の上にまとまって転がっていた。小石の種類は、送ってもらった角閃岩、流紋岩の他にも、結晶質溶結凝灰岩、玄武岩、泥岩、砂岩、結晶片岩、花崗岩と多様である。角閃岩は舞鶴帯の夜久野岩類、花崗岩はこのあたりに広く分布しているピンク色の和田山花崗岩。
 もし現地の石なら、この小石のもととなった礫岩がここになくてはならない。しかし、それはどこにもなかった。誰かが、何かの理由で、近くの川原でひろった小石をここへ持ってきてばらまいたものらしい。それとも、カラスが・・・?
 想像するとなかなか楽しかった。

山頂の岩石 ガラス質溶結凝灰岩 山頂の小石

 ふもとのあちこちからガスが湧き、広がりながら上昇し、あるいは横に流れ、上空で消えていった。眼下の竹田城跡は、そのガスの間に見え隠れした。
 この山頂にも、ときどきガスが上がってきた。ガスが去ってしまうと、周囲の山々が遠くまで見えた。

 南東に粟鹿山が高く、そこから南へ雲須山、青倉山、朝来山、千ヶ峰と稜線を引いている。
 北には、来日岳、矢次山、大岡山・・・それらの山々は雲海の上に青く浮かんでいた。空には層積雲が低く広がり、鉢伏山や氷ノ山はその中に頭を没していた。

山頂から見る来日岳(写真中央奥)
 
山頂から見る大岡山(左奥)と矢次山(右奥)

 下山は、岡観音寺への登山道を利用した。
 山頂からしばらくは、落葉に埋もれた道を何度か見失いかけた。標高600mあたりで、明瞭な尾根となって道もはっきりしてきた。

カマツカの実 岡観音寺へ下る

 急な下りが続いた。登山道のカマツカが、赤い実をつけていた。
 山頂から1時間ほどで、岡観音寺に下りついた。

岡観音寺

山行日:2018年11月2日


枚田慧林寺〜520mピーク〜568mピーク〜大倉部山山頂(691.9m)〜岡観音寺
 枚田の慧林寺から尾根を進んで山頂へ。このルートに道はない。低木がまばらなので、ヤブ漕ぎをするところは多くない。倒木は多いが、比較的容易に歩くことができた。
 山頂から岡観音寺までは、地元有志によって整備された登山道。岡観音寺のお堂の縁側には、「おくらべ登山のしおり」が置かれている。これには、コースマップや山頂からの展望、おくらべの植物などの写真も載せられている。
 観音寺に置いていた自転車で、慧林寺へ帰った。

山頂の岩石  古第三紀  矢田川層群出石累層  ガラス質溶結凝灰岩
溶結凝灰岩の風化面に見られる溶結構造
写真横49mm)
 大倉部山の山頂には、ガラス質の溶結凝灰岩が分布している。
 やや緑色を帯びた黒色の岩石で、緻密で硬い。石英や長石の結晶片をふくんでいるが、その量は多くない。また、大きさ数mmの砂岩や頁岩の岩片をふくんでいる。
 軽石が融けてレンズ状に引き伸ばされた溶結構造は、白くなった風化面で明瞭に認められる。レンズの長さは、数mmのものから最大10cmに及ぶものまである。
 山頂部のこの溶結凝灰岩は、豊岡市の出石や朝来市の和田山に分布している火砕岩類(矢田川層群出石累層)の下部にあたる地層と考えられる。

 大倉部山の尾根上に分布していたのは、ホルンフェルスである。黒い泥岩起源のものと、黄土色の砂岩起源のものがある。砂岩起源のホルンフェルスには、大きさ数mmの礫がふくまれているものがあった。この地層は、御祓山に分布する舞鶴帯の御祓山層群(三畳紀)に対比されるものと思われる。花崗岩の貫入によってホルンフェルス化している。

 大倉部山のふもとは、花崗岩である。中粒ピンク色の花崗岩で、竹田城跡や金梨山に見られる和田山花崗岩と同じものである。

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