大倉部山(691.9m) 朝来市 25000図=「但馬竹田」「八鹿」 雲海の尾根と山頂の小石 竹田城跡に登れば、北に大倉部山が大きく迫っている。その尾根は長大で、ゆるく起伏しながら西の山頂へと上っている。
山裾に白壁の映える慧林寺。大きな石の仁王が迎えてくれた。こちら側からの道はない。釣鐘の左脇に石段が上っていたので、とりつきはこれを利用することにした。 石段は、いくつかの墓のそばを通り抜けていたが、一番上の墓の前で途切れた。そこから、石仏の並ぶ道が現れたが、それもすぐに尾根からそれていった。
倒木が多く荒れた尾根を登った。細い木の幹をにぎると、枝葉からボタボタと大粒のしずくが落ちてきた。
標高415m。山頂へ続く主尾根に達した。
520mの小さなピークを越えた。尾根が少し右に曲がったところに、行く手をふさぐようにアカマツの幼樹が繁茂していた。その上に立つ数本の枯れ木に、カラ類が群れていた。シジュウカラやヤマガラにコガラが混じっていた。 尾根はゆるく上り下りを繰り返した。倒木が多い所には低い木が多く、ヤブ漕ぎをしなくてはならなかった。 ヤブから抜け出したとき、腰元が軽いことに気がついた。ヤブの中にハンマーを落としてしまったのだ。いくらか戻って探してみたが、見つかるわけもなかった。ここから石がおもしろくなるのに・・・。足取りが重くなった。 568mピークの先の広いコルは、大量の落葉で埋まっていた。そこからも、ゆるくなったり急になったりして尾根が続いた。枯葉や枯れ枝、クリのイガを踏みながらひらすた登る。 雲海が少しずつ薄くなって、切れ間から周囲の低い山が見えるようになった。
尾根の上に、大きな岩が増えてきた。小さなコブを越えると、こちらに気付いたシカが白い尻を見せて逃げていった。しばらくして、ピョーという声が遠くで聞こえた。 12時53分、大倉部山の山頂に達した。木製の小さな山頂プレートが岩の間にひとつ立っていた。こんな山頂がいい。
山頂に着くと、まず石を調べた。この春、和田山郷土歴史館の斉藤さんからこの山頂の石を送ってもらっていたのだ。
ふもとのあちこちからガスが湧き、広がりながら上昇し、あるいは横に流れ、上空で消えていった。眼下の竹田城跡は、そのガスの間に見え隠れした。
下山は、岡観音寺への登山道を利用した。
急な下りが続いた。登山道のカマツカが、赤い実をつけていた。
山行日:2018年11月2日
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枚田慧林寺〜520mピーク〜568mピーク〜大倉部山山頂(691.9m)〜岡観音寺 | |||||||||||||||||||||||||||||
枚田の慧林寺から尾根を進んで山頂へ。このルートに道はない。低木がまばらなので、ヤブ漕ぎをするところは多くない。倒木は多いが、比較的容易に歩くことができた。 山頂から岡観音寺までは、地元有志によって整備された登山道。岡観音寺のお堂の縁側には、「おくらべ登山のしおり」が置かれている。これには、コースマップや山頂からの展望、おくらべの植物などの写真も載せられている。 観音寺に置いていた自転車で、慧林寺へ帰った。 |
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山頂の岩石 古第三紀 矢田川層群出石累層 ガラス質溶結凝灰岩 |
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やや緑色を帯びた黒色の岩石で、緻密で硬い。石英や長石の結晶片をふくんでいるが、その量は多くない。また、大きさ数mmの砂岩や頁岩の岩片をふくんでいる。 軽石が融けてレンズ状に引き伸ばされた溶結構造は、白くなった風化面で明瞭に認められる。レンズの長さは、数mmのものから最大10cmに及ぶものまである。 山頂部のこの溶結凝灰岩は、豊岡市の出石や朝来市の和田山に分布している火砕岩類(矢田川層群出石累層)の下部にあたる地層と考えられる。 大倉部山の尾根上に分布していたのは、ホルンフェルスである。黒い泥岩起源のものと、黄土色の砂岩起源のものがある。砂岩起源のホルンフェルスには、大きさ数mmの礫がふくまれているものがあった。この地層は、御祓山に分布する舞鶴帯の御祓山層群(三畳紀)に対比されるものと思われる。花崗岩の貫入によってホルンフェルス化している。 大倉部山のふもとは、花崗岩である。中粒ピンク色の花崗岩で、竹田城跡や金梨山に見られる和田山花崗岩と同じものである。 |
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