奥妙見山(296m)    市川町               25000図=「前之庄」

今も、地元に親しまれて……

大姫神社と妙見山

 8月最後の一日、近くの3つの小さな山に登った。初めは、市川町奥の妙見山。奥の集落の西に立つ標高296mの山である。

 山に入る前に、ふもとの姫大神社に寄ってみた。
 姫大神社本殿の右に、お稲荷さんの小さな祠があり、その横の石碑と灯篭に「妙見社遥拝所」の文字が刻まれていた。灯篭は、1883年に建てられたそうである。今、ここから妙見山はすぐ前の建物に隠されてその山頂がわずかに見えるだけであった。
 そこで、姫大神社の境内を出て、隣のゲートボール場に立った。ここからは、姫大神社の左に均整のとれた三角形の妙見山がよく見えた。奥の人々は、昔からこの山を妙見信仰の山として仰ぎ見ていた。
 夏の終わりの青空の下で、地図とコンパスを手にしながら、夜空の星座の位置を思い浮かべてみた。このあたりからだと、この信仰で祀られる北斗七星はちょうど妙見山の上あたりに沈むのかもしれない。

妙見社遥拝所(大姫神社内) ふもとの池より妙見山を望む

 南麓の人工池の堰堤を渡ると、先ほど土地の人に聞いたとおり妙見山への登山口があった。
 雑木林の急な斜面を、コシダを縫って一筋の細い道が上っていた。山に数歩踏み出すと、黒の地に黄紋鮮やかなキンモンガがヒラヒラとコシダに舞い下りた。
 地面の風化した凝灰岩に階段状に道がつけられているが、表面の湿ったコケがつるつると足を滑らせた。木の枝を拾って、くもの巣を払いながら上っていった。もう日も高く、セミがやかましく鳴いていた。

 道は自然に尾根道となり、その尾根を曲がりくねって上っていた。傾斜が緩くなったところで、一旦雑木が切れて明るくなった。そして、すぐにアカマツ林に変った。

 再び傾斜を増した尾根をつづらに上り、スギ・ヒノキの林を抜けると、夏草に半ば埋もれた山頂のお堂が見えた。
 お堂の手前には、古い手水舎が残っていた。その石の手水舎には、「天保七申年正月吉日」の刻があった。
 お堂の縁に腰掛けて休んだ。
 夏草の中に、黒い炭が広がった焚き火の跡がある。奥では、毎年2月頃、大人も子どもの一緒になってこの山に上る。子どもたちは、ここでお菓子をもらうのを楽しみにしていると聞いた。

 もっと、このお堂でゆっくりしたかったが、一匹のアブがそのじゃまをした。あたりでは、相変わらずセミがやかましく鳴いていた。

 
山行日:2006年8月31日
南麓の池登山口〜山頂〜南麓の池登山口
 農面道路から奥の集落に入り、西へ進むと石組みの堰堤でせき止められた人工池がある。その堰堤を北へ歩くと、そのまま妙見山の登山口がある。
 登山道は明瞭で、南東尾根をゆるくつづらに曲がりながら山頂まで続いている。
■山頂の岩石■ 白亜紀後期 七種山層 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩

 今回歩いたコースのすべての地点で、火山礫凝灰岩が見られた。全体的に風化が進み、淡褐色から黄土色に変色している。岩石中には石英と長石の結晶片が多く見られ、ところどころに岩片が含まれている。
 これらの岩石の新鮮な部分は、登山口の池から流れ出る渓流で見られる。岩石は明るい灰色で、石英・長石の結晶片やチャート・頁岩などの岩片を含んでいる。溶結構造も明瞭で、一部は再流動したように見える。

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